時間の果実



      
   

   9 時間扉


 石造りの広場を、月明かりが煌々と照らしてた。
「……おい、リリー。ずいぶんと時間がかかるな、ミリューのやつ?」
 ヴェルナーが欠伸をしながらそう言うと、リリーは、しぃっ! と言って、人差し指を口の前
に当てた。
「静かにして、ヴェルナー! ミリューだって頑張ってるみたいなんだから……」
 二人の前では、ミリューが目を閉じて何やら呪文を詠唱していた。彼の額の宝珠は次第に明る
さを増し……たかと思うと、すぐさま暗くなり、また明るくなる、と言うことを繰り返していた。
「……芯の短くなったランプの明かりみたいだな?」
 ヴェルナーが腕組みしながらそう言うと、リリーはさらに口を尖らせた。
「もう、そういうことを言わないでよ、ヴェルナー!」
 そのとき。
「あっ! できたっ!」
 ミリューが目を開けて大きな声で言った。リリーは目を輝かせた。
「え! 成功したのね、ミリュー!」
 ミリューの額の宝珠は七色に光り出し、色の層がぐるぐると彼の周りを周回しだした。しかし、
その次の瞬間に、ミリューは怒鳴った。
「あっ! でも、間違えたっ!」
「何だって!?」
 ヴェルナーが言ったときには、広場の真ん中には巨大な白銀色の扉が現れた。
「これが……失敗なの?」
 リリーが目をぱちぱちと瞬かせながらミリューに尋ねると、ミリューは力無くうなずいた。
「……はい。義兄様のいる場所には……つながりませんでした。もう一度、やってみます!」
 ミリューがそう言ったとき、きぃっ、とかすかな音をたて、扉が急に開いた。
「あ! どうして、勝手に……! あ、そうか、リリーさんが! リリーさん、これはあなたの
扉です!」
 ミリューが言うと、リリーは、え? と言って扉の向こうを見た。
「これがあたしのって、どういうこと……って、ああ〜っ! あれはあたしたちの錬金術工房! 
……イングリドに、ヘルミーナ!?」

*


 日射しが、晴れやかに錬金術工房に射し込んでいた。イングリドは、乳鉢の中の素材をすり潰
しながら、傍らで本を読んでいるヘルミーナに言った。
「ねえ、ヘルミーナ! ちょっと手伝ってくれない? この石、固すぎて、うまくすり潰せない
のよ! ……今、暇なんでしょ? 少しの間、乳鉢を押さえていてくれない?」
 ヘルミーナは、すっ、と本から顔を上げた。
「……あたしは暇じゃないのよ。今読んでいる本は、とても高度な内容ですごく面白いの。ま、
あんたには読めないでしょうけど?」
 イングリドは、頬を膨らませた。
「なんですって〜!」
 ヘルミーナは、しかし、ふん、と言ってすぐさま本に視線を落とした。イングリドは大きくた
め息をつくと、独り言を言った。
「……そういえば、ヘルミーナ。この間からずっとその本にかかりっきりよね……。いったい、
何が書いてあるのかしら?」
 イングリドは、ヘルミーナの肩越しに、こっそり本をのぞき込んだ。
 しかし。
 次の瞬間、イングリドは仰天した。

 え? 嘘……! ヘルミーナの本……真っ白だわ、何も書いてない……。ど、どうしたのかし
ら、ヘルミーナ……。本の読み過ぎで、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかしら?

 ヘルミーナはその気配に気がついて振り返った。
「何よ、イングリド? まだ何か用があるの?」
 イングリドは慌てて言った。
「……べ、別に……。ただ、ちょっと、手伝ってもらえないかなって、もう一度お願いしようと
思ってただけよ!」
 ヘルミーナは、あきれたように言った。
「馬鹿力だけが取り柄のあんたが、一人ですり潰せないなんて……雨でも降るんじゃないかしら
?」
 その瞬間。
 突然、工房の中が暗くなった。イングリドは驚いて窓の外を見た。
「あら? 急に外が暗くなっちゃったわ……?」
 ヘルミーナは本を手にしたまま立ち上がった。
「……本当に天気が悪くなっちゃったみたいね?」
 しかし、ヘルミーナがそう言ったとき、いきなり工房の窓を突き破って、赤茶色の巨大な手が
伸びてきた。その手は窓枠を壊し、カーテンを引き裂いて、あっという間にヘルミーナの身体を
つかむと、外に引きずり出した。
「きゃ、きゃあああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 ヘルミーナの悲鳴が響き渡った。イングリドは、大声で叫んだ。
「ヘルミーナ!? ヘルミーナ!!! 何、あの岩の化け物は!?」
「た、助けて〜! イングリド〜! ドルニエ先生〜! リ、リリー先生!!」
 ヘルミーナは、巨人に身体をつかまれて泣きながら叫んだ。イングリドは杖を振るった。
「……このっ! 化け物! ヘルミーナを離しなさ〜い! シュタイフブリーゼ!!!」
 しかし、イングリドが放った白い雷光は、怪物に何の衝撃も与えず、光はその辺に乱反射した
だけだった。ヘルミーナは怒鳴った。
「もう! 下手くそ! って、何!? この手、あたしに絡んで……嫌ぁっ! 気持ち悪〜い!」
「ヘルミーナ!?」
 イングリドが叫んだ瞬間、巨人の手はどろどろと溶けてヘルミーナの身体を覆い、あっといま
にヘルミーナは巨人の手に吸収されてしまった。
「ヘルミーナ! ヘルミーナぁッ! な、何!」
 イングリドは驚愕の表情を浮かべて巨人を見たが……怪物の手は、何事もなかったかのように、
もとの形に戻っていた。イングリドは、歯をガチガチといわせた。
「……あ、あ、あ、あ、あ、ヘルミーナが、ヘルミーナが、あの巨人に取り込まれちゃった!? 
嫌ぁ〜〜〜〜〜! ヘルミーナッ! え〜い!」
 再度ぶつけられた雷光を、今度岩石巨人は先ほどまでヘルミーナを握っていた手の平で受け止
めると、即座にイングリドに跳ね返した。
「きゃああああっ!」
 イングリドは、そのまま床に叩きつけられて意識を失った。
 岩石巨人のゴーレムは、雄叫びを上げた。

ギ、ギギギギギガギッガッガガガガガガガガガッギグガギギギギギギギギギィイイイイ!

 雄叫びは街中に反響し、それは次第に大きくなっていった。それと同時に地響きが沸き起こり、
ゴーレムはどんどん大きくなり、シグザール城で一番高い尖塔よりもはるかに巨大になった。

 グゲゲゲゲゲゴゴゴッギッッゴゴゴギギギギッグググググッゲッゲゲゲッグググゴゴゴ!!

 その身体はあっという間に錬金術工房を押しつぶし、その辺り一面の建物をなぎ倒し、雲を突
くような巨体となった。ゴーレムは、その巨大な腕をシグザール城に伸ばし、そして、邪魔だ、
と言わんばかりに城の塔を一本、ぽきん、とへし折った。それから片足で、ずしん、と城を踏み
つけた。城は……瞬く間に瓦礫の山へと化した。

*


「きゃああ〜〜〜っ! イングリド〜! ヘルミーナ〜〜〜!」
 扉の向こうの出来事を見ていたリリーは、真っ青になって叫んだ。ヴェルナーは険しい顔で言
った。
「落ち着け、リリー! ……おい、ミリュー! これは'今の'ザールブルグに起きている、'現
実の姿'なのか!?」
 ミリューは首を横に振った。
「い、いいえ! 違います、これは……今起こっていることじゃありません。でも、このまま行
ったら、こうなってしまう、という、可能性の一つです……」
 ヴェルナーは、小さくため息をついた。
「……そうか、ならいい。……に、してもあのゴーレム……この間見たときより、ずいぶんとで
かくなっていなかったか?」
 ミリューはうなずいた。
「はい。おそらくは……僕たちがこのまま負けたら、ああなってしまうのでしょう。僕の持って
いる力をライオスさんが利用したら……きっと、あれくらいのことは朝飯前のはずです」
 リリーは、がくがくと震えながら言った。
「……このまま行ったら、ザールブルグが大変なことになっちゃうわ!」
 ミリューは言った。
「そうですね。でも、そうならないように……僕、頑張ります。もう一度、義兄様と連絡を取る
ように、頑張ってみます」
 
*


「……日が暮れちまいそうだな……って、ずっと日は暮れたままだったな?」
 ヴェルナーが言うと、リリーは言った。
「もう、少し静かに見ていられないの、ヴェルナー!」
 ヴェルナーは、広場に現れた銀色の扉の前で一生懸命呪文を詠唱しているミリューを見て、た
め息をついた。
「……もう、いい加減飽きたぜ」
 そのとき。
 かすかに、風が吹いた。
「ん……、何だ?」
 ヴェルナーがそう言って風の吹いてきた方向を見たとき、
「あ、今度こそ、成功したのか!?」
 と、ミリューが叫んだ。
「お! やったのか!」
 ヴェルナーはそう言って扉を見た。しかし、次の瞬間にミリューは、
「あ! やっぱり、間違えた!」
 と言って、慌てて扉を閉めようとしたが、それは……白い光を放ちながら開け放たれた。
まばゆい光は、しらじらと三人を包み込んでいった。

*


「……もう、いい加減飽きたぜ」

 うんざりしたような声が響いた。リリーは、ハッとしてその声のした方向を見た。しかし……
光がまぶしすぎて、よく見えない。リリーは目をこすった。

 ……誰? 聞いたことがない声だけど、でも、どこかで聞いたことがあるような……変ね?

 リリーは、そう思いながら扉の向こう側の世界を凝視した。光は次第に弱まり、だんだんと向
こう側の世界がはっきりと見えてきた。
 その場所には赤みがかった夕陽が射し込み、足元の地面には……青々とした草が揺れている。
奥のほうには白い城壁が、静かに夕闇に身体を半分溶け込ませながら乾燥した佇まいを見せてい
た。

 ……ここはどこ? あれ? ここって……ザールブルグの町外れの丘の上じゃない!?

 そのとき、向こうのほうから元気の良い女の子の声が響いてきた。
「じゃあ、もういいよ、ヴェルナー! あたし一人で練習するから!」

 ……え? ヴェルナーって……?

 リリーが目を凝らすと、そこには……。
「何時間そいつを振り回してるんだ、カリン? だいたい、それはおまえの親父さんが聖騎士の
お得意さんから預かった剣だろ? ……見つからねぇうちにとっとと返しちまわないと、怒られ
るぜ?」
 十二、三歳くらいの赤茶色の髪をした少年が、あきれ顔で赤毛の十歳くらいの少女を見ていた。
少女は口を尖らせた。
「……もうすぐだよ〜! もうあとちょっと練習したら、聖騎士のお兄さんたちがやってるみた
いに、閲兵式の挨拶ができるようになるんだから、見ててよ、ヴェルナー!」
 リリーは思わず絶句して、二人の子どもを交互に見た。

 ……も、もしかして、これって過去? ……あっちがカリンで、こっちが、ヴェ、ヴェルナー
!? …………………………か、可愛い〜……!

 二人の子どもは、何やら言い争っていた。
「……下手くそだな〜。剣は、こう、胸のところに構えてから、こう、回して、最後に、こう、
仕舞うんだろ?」
 ヴェルナーがそう言いながら閲兵式の挨拶をやってみせると、カリンは不機嫌そうに言った。
「やってるじゃないか! こう、きて、こう、こう、こう、……だろ?」
 ヴェルナーは、やれやれ、といったふうに頭を掻いた。
「……違うな。おい、いい加減諦めろよ。だいたい、そんな大人用の長さの剣なんて、おまえに
扱えるわけねぇだろ?」
 カリンはむきになって言い返した。
「できるもん! この間、ハンスができたんだもん、あたしにだってできるよ!」
 ヴェルナーは、小さくため息をついた。
「ハンスがやって見せたのは、木で作ったおもちゃの剣だろ? ……おまえが持ってるのは、本
物の聖騎士の剣じゃねぇか?」
 カリンは、剣を構えると言った。
「いいの! ハンスがおもちゃの剣でできたんだったら、あたしは本物の剣でやってみせるの! 
ちゃんと証人になってよ、ヴェルナー!」
 ヴェルナーは、やれやれ、と言ったふうにため息をついた。
「……日が暮れちまいそうだな……?」
 カリンは口をへの字に結んだ。
「もう、文句言わないでよ! ……え〜っと、こう、で、こう、回して、こう、と……あ! 分
かった! ヴェルナー! できたよ、ほら! ……うわっ!?」
 カリンが剣を高らかに振り回して、仕舞おうとした、そのとき。
「危ねぇ!」
 剣が勢いよくカリンの手からすっぽ抜けて宙を舞いながら落ちてくるのと、ヴェルナーがカリ
ンの肩をつかんで後ろに避けさせるのが、同時に起きた。その鋭い聖騎士の剣は……夕陽を反射
して金色に輝きながら、さきほどまでカリンがいた位置に落ちてきて、地面に刺さった。
「馬鹿野郎! 大怪我するところだったじゃねぇか!?」
 ヴェルナーはカリンをにらみつけてそう怒鳴ったが、カリンは目を大きく見開いたまま剣を引
き抜くと、その刀身を穴が開くほど見つめている。ヴェルナーは、あきれたように言った。
「……おい、聞いてるのか、カリン?」
 カリンは振り向いてヴェルナーの顔を見ると、バツが悪そうに笑った。
「ごめんごめん、ヴェルナー! ……でもさ、この剣……、やっぱりすごいよ! あたし、もう
聖騎士ごっこするの、やめる!」
 ヴェルナーは、苦笑しながら言った。
「……何だ? もう懲りたのか、カリン?」
 カリンは、首を勢いよく横に振った。
「ううん、そうじゃないよ。この剣、……こんな風に遊びに使っちゃいけなかったんだ。今じっ
くり見て、よく分かったよ」
そう言って、カリンは、にっ、と笑った。
「……決めた! あたしさ、大きくなったら、父さんの鍛えたこの剣よりも、もっとずっとすご
い剣を作るんだ!」
 カリンがそう言ったとき、
「カリン〜! お〜い! そこにいるのか〜?」
 丘の下のほうから、声が聞こえてきた。カリンは青くなって言った。
「まずい! 父さんだ! ……この剣を持ち出して遊んでたのがバレたら、しばらくお仕置きで
ご飯抜きになっちゃう! ……ヴェルナー! 逃げるよ!」
「おい、カリン! ……チッ、何で俺まで……」
 ヴェルナーが舌打ちしたときには、カリンの小さな身体は、風のように丘の反対側へと駆け下
りていた。ヴェルナーは、慌ててその後を追っていった。
 二人が去ると、扉の中は急に灯りを消したように暗くなり、ぱたん、と音がして、時間扉が閉じ
られた。

*


「……あの後、カリンの親父さんにつかまって、俺まで説教されてひどい目にあったんだよな」
 リリーがその言葉にハッとして横を見ると……ヴェルナーが腕組みをしていた。
「やっぱり、さっきのは……ヴェルナーの小さい頃なの?」
 リリーが聞くと、ヴェルナーは憮然とした表情を浮かべたままうなずいた。リリーは、くすり
と笑った。
「……可愛かったわよ、ヴェルナー?」
 ヴェルナーは、ふん、と言って横を向いた。
「……うるせぇな……」
 ミリューは、おずおずとリリーに言った。
「あ、でも、可愛かったですね、ヴェルナーさん?」
「……うるせぇ!」
 即座に横からヴェルナーに怒鳴られて、ミリューは涙ぐんだ。
「……ご、ごめんなさい!」
 ヴェルナーは小さく息をついた。
「まあいいさ。とにかく、はやく義兄さんとやらにはやく連絡をつけてくれ。時間がないんだろ
? って……時間は止まっちまっているんだったな」
「は、はい!」
 ミリューがこくこくとうなずいた、そのとき。

 ミリュー……、ミリュー……!

 風に乗って、凛とした声が石造りの広場の中に響いてきた。ミリューはその大きな目をさらに
大きくした。
「に、義兄様! サジエス義兄様ですかっ!?」

 ……やっぱり、僕を呼んでいるのは、君だったんだね、ミリュー……。僕は、ここだ……分か
るかい、ミリュー……?
 
 その声は、街の建物の間を緩やかな風のように吹き抜けていった。ミリューは涙ぐみながら言
った。
「お久しぶりです! ああ、……分かりました! そちらの方角ですね、義兄様! 今、扉を開
けますから!」
 ミリューは目を閉じて呪文を詠唱し始めた。額の宝珠が……七色に輝き、それは生き物のよう
に辺り一面に光の触手を伸ばしていった。やがてその光は複雑な形に枝分かれし、青白い魔方陣
へと姿を変えた。魔方陣は、旋回しながら扉の周りをぐるぐると周回しだした。それは次第に速
度を増し……突如、ランプの火が吹き消されるようにふっつりと消えた。その瞬間、広場には強
い風が吹いた。風は周囲の町並みまでも、一気に吹き消してしまった。瞬く間に三人の周囲には
何もなくなり、ただ漆黒の闇が広がっているばかりだった。
「……何!?」
 リリーが驚いてつぶやくと、目の前で、ぎいっ、と扉が開く音がして、闇が切り開かれた。リ
リーは恐る恐る、穏やかな光を放つその場所をのぞきこんだ。そこには……銀の燭台が浮かんで
いた。燭台の先は七本に枝分かれし、そこには、ロウソクも刺さってはいないのに、七本の炎が
金色に輝きながら吹き上がっていた。火はゆらゆらと揺らめき、辺りを暖かく照らしだした。ミ
リューは、微笑みながら呼びかけた。
「……義兄様……!」
 ミリューがそう言った瞬間、ふっ、と燭台を握っている白い手が現れた。手は燭台を放すと…
…、燭台はそのまま宙にふわふわと浮かび、ミリューの頭上までやってきて、ぴたり、と止まっ
た。白い手は音もなく持ち上げられ、するり、と何かをかき上げた。かき上げられたものは、銀
色の長い髪だった。髪が現れるのと同時に、青銀色の光の強い瞳が現れた。瞳は穏やかにミリュ
ーを見つめて、にっこりと笑った。
「久しぶりだね、ミリュー」
 言葉と同時に、長い白銀色のローブをまとったその人が現れた。
「……サジエス義兄様……! お会いしたかったです!」
 ミリューが満面の笑みを浮かべてそう言うと、サジエスは、その薄く形の良い唇の両端をゆっ
くりと引き上げ、静かに言った。
「……事情はだいたい、分かっているよ。よく頑張ったね、ミリュー?」


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