時間の果実



      
   

   10 エルフの賢人


 ミリューは、ぼろぼろ泣き出した。
「義兄様……! グシッ、ぼ、僕、僕! 姉様を、守ることが、ヒック、できなくって、グシッ、
ご、ごめんなさい……」
 サジエスは微笑んだ。
「……仕方ないさ。君のせいじゃないよ、ミリュー。それにね、ライオスのことは、僕にも責任
がある。さあ、もういいから対策を考えよう」
 ミリューは、しゃくりあげた。
「だって、だって、義兄様……! ヒック、どうして、僕なんですか? 兄弟の中で一番魔力も
弱くて、歳も若くて技法も未熟なこの僕が、ヒック、……どうして宝珠に選ばれたんですか? 
姉様なら良かったんです、グシッ! 姉様なら、きっと、僕なんかよりもずっと立派にこの宝珠
を護れたのに!」
 サジエスは、静かに言った。
「いいかい、ミリュー。現時点での能力と、生まれ持った器というのは、また別物だ。エメは確
かに優れた技能を持ち、強い魔力を持っている。でもね、その宝珠が選ぶのは、それを身に受け
る相手の器なんだ。それは、僕たちが判断できる種類のものじゃない。……それにね、僕には分
かる。君は、そのうちもっと強くなる。エメよりも、君たち兄弟の誰よりも、この僕よりも、ず
っとだ。……次の千年紀は、確実に君の時間と共に刻まれるだろう。第一、君は今だって、‘時
間の果実’を身に受けて立派に護っているのだから、自分のことをもっと誇りに思うべきだ。い
いね?」
 ミリューは涙をぬぐうと、こくん、とうなずいた。それを見て、サジエスはゆっくりと微笑ん
だ。
「そう、それでいい。君は……とてもいい子だね、ミリュー?」
 そう言って、サジエスはリリーたちの顔を見た。
「……義弟が、ずいぶんと助けてもらったようですね、リリーさんに、ヴェルナーさん?」
 リリーは、驚いて言った。
「あ、あの……何で、私たちの名前を知っているんですか?」
 サジエスは言った。
「ここにいれば、何でも分かるのです。時の水鏡には、過去も、現在も、未来も、……すべてが
映りますからね?」
 ヴェルナーは言った。
「なるほどな。……じゃあ、話は早い。俺たちは、ライオスが操っているゴーレムを倒して、エ
メを助けて、シグザールとダマールスとのいざこざを収めたい。どうすればいいのか、おまえの
知恵を貸してくれねぇか?」
 サジエスは言った。
「あのゴーレムは、普通の方法では倒せません。いかなる魔術も、物理的な攻撃も受け付けない
よう、魔術が講じられているのです。でも、弱点がないわけではありません。……怪物は、神聖
語で操られています。だから、その言葉を消し去れば、元の土くれに還っていくことでしょう。
その方法ですが……ああそうだ、リリーさん、あなたの襟元の、翡翠を貸していただけますか?」
 リリーは、慌ててカラーを留めている翡翠のブローチを外して差し出した。
「……これ、ですか?」
 サジエスはにっこり笑った。
「はい、そうです。少し、そのままでいてください」
 そう言って、サジエスは人差し指をブローチに向けた。
 キーン、と軽い音がして、リリーの手の平の上でブローチが浮き上がった。その瞬間、サジエ
スの人差し指から銀色の光が一筋差し込んできた。ブローチはその光を吸収して……きらきらと
銀色に輝いた。
「……きれい……」
 思わずリリーが目を細めてブローチを見ると、サジエスは、ふいに手を下に下ろした。ブロー
チは再び、すとん、とリリーの手の平の上に戻った。それを見ながらサジエスは言った。
「これでいい……。今、僕がその翡翠に神聖語を読み解く魔力を込めました。この石を、ゴーレ
ムの額にかざして下さい。きっと、神聖語が浮かび上がってくるはずです。そこには 、‘EMETH’、
つまり‘真理’と書かれているはずです。それが見えたら、文頭のEの文字めがけて投げつけて
ください。文頭の のEの文字が消えたら、この神聖語は‘METH’、つまり ‘死’に変わってし
まうはずです。そうなれば、ゴーレムはこの世に存在することができなくなります」 
 ヴェルナーは、興味深げにリリーの手の中のブローチを眺めながら言った。
「……なるほど、やり方は分かった。しかし、確認したいことがある。……そのゴーレムの額の
文字を消すのに成功したら、もう二度と、ライオスの奴は、あの化け物を再生させたりはできな
いんだろうな?」
 サジエスは、微笑みながらうなずいた。
「それは心配ありません。彼の現在の‘力’では、あの巨人を一体操るのが精一杯のはずです。
だからこそ、ライオスはミリューの‘力’を欲しがっているのですが。……それに、今その翡翠
に込めた力は、ミリューが護っている宝珠の‘力’の一部を使っています。それはライオスが操
っている‘力’より、よほど強いはず。宝珠は器を選ぶものです。誤った器に封じられた宝珠は、
その力を正しく発揮することができません。おそらく、ライオスは、‘知識の宝珠’をその身に
受けることで、相当の負担を強いられているはずです。したがって、ゴーレムを操っている神聖
語の力も、ミリューがもっている‘力’ほど強くはありません。神聖語の命令は、より強い力に
よって書き換え可能なのです」
 ヴェルナーは、さらに尋ねた。
「分かった。じゃあ、何とかやってみよう。しかし……どうやってライオスが陣取っている城に
潜入すればいいんだ? 見たところあのダマールス城は……数万人の軍勢でも攻め落とすのに
何ヶ月かを要するって話だぜ?」
 ヴェルナーが言うと、サジエスは静かに言った。
「ライオスは……あなた方を探しています。もうしばらくしたら、ここから南の方角に星が降り
始めます。それを合図に、この時空場も破られ、エルフの大群が攻めてくるはずです。……それ
に惑わされてはなりません。ライオスはエンクレーヴに入れば、自力でそこから出ることはでき
ないため、同胞を操ってあなた方を探させているのです。だから、そのときこそが好機なのです。
ライオスが操る時空の導きの糸を逆にたぐりよせ、彼の背後を突きましょう。城は巨大で守りも
堅固ですが……ライオスの術の跡をたどれば、必ず彼のいる場所に行けるはずです。ミリュー、
いいね?」
 ミリューはうなずいた。
「はい、義兄様!」
 サジエスは微笑んだ。
「頼んだよ。ライオスから‘知識の宝珠’を奪い取ることができるのは、君だけだからね? 僕
も加勢したいけれども……今は、無理だ」
 ミリューは、また目を潤ませた。
「……ごめんなさい、義兄様。……僕がもっとうまくこの‘力’を使いこなせていれば、一時で
も義兄様をこちら側に呼び出すことができるはずなのに……」
 サジエスは首を横に振った。
「いいんだよ、ミリュー。そんなことはしなくていい。君の身体に負担がかかりすぎるからね?」
 ミリューはまた、ぼろぼろと泣き出した。
「……に、義兄様……グシッ!」
 サジエスは、小さくため息をつくと、ヴェルナーとリリーの顔を見た。
「ライオスは、昔は非常に真面目で賢い男でしたが……人間がエルフの領域に入り込むのを非常
に嫌っていました。そのことについては、僕と何度も言い争いになりました。おそらく、その潔
癖なところが書につけ込まれ、読み負かされてしまったのでしょう。善悪を司る第二の書は、読
み手の持っている、侵しがたい憎悪の念に共鳴するものです。僕は、この場所に来て、時間を司
る七枝燭台の火を預かってから、ずいぶんとそのことについて考えました。いったいいつまで、
エルフ族と人間は争わなければならないのだろうか、と」
 リリーは言った。
「……中には、人間と仲良くしてくれるエルフもいるわよ? 隠れ里のエルフたちは交易してく
れたもの!」
 サジエスは、悲しげに微笑んだ。
「そうですね。……しかし、それはほんの一部です。実際、あなた方は森を開き、街を築き、し
かも同胞の間でも国境線を争う……。そのことによって、われわれの棲息地が荒廃していること
も事実なのです。ここにいると、世界のすべてが見通せますが、そのため、僕は世界で最も無力
な者です。これから先に起こる可能性のある争いも、その結果起きることも、すべて分かるので
すが、それに一切の手出しをすることが適いません。このままでは、僕たちエルフは次第に滅び
行きます。すぐにではありませんが……それは確実なことなのです」
 リリーは言った。
「……じゃあ、あなたたちの領域は荒らさないようにヴィント国王に箴言してみるわ! そうす
れば、あなたたちも、あたしたちを襲ったりしないんでしょう?」
 サジエスは目を伏せた。
「お気持ちはありがたいのですが……たとえ、それが確約されても、人間に対して憎悪を抱いて
いるエルフは、簡単に考えを変えないでしょう……。それに、僕たちとあなた方では、物事を判
断する基準が違う。どうやって、対話し折り合いをつけるべきか……」
 サジエスは、深いため息をつくと、ヴェルナーとリリーの顔を交互に見た。
「最大の問題は、僕たちには生まれ育った環境を離れて生きる自由がなく、そしてあなたたちに
は、時間がないということなのです。たとえ僕たちのことを考慮してくれる支配者が現れたとし
ても、僕たちから見れば、あっという間に死んでしまう……。どうして、同じ生命樹から成った
果実を分け合った兄弟同士だというのに、僕たちはこのように道を違えてしまったのでしょうか
……?」
 静かにそう言うと、サジエスはそっと手を上げた。それにつれ、ミリューの頭の上で火を点し
ていた燭台が、ゆっくり、サジエスの手に戻っていった。サジエスは燭台を再び手にすると、ミ
リューの顔を見た。
「それじゃあ、上手くやるんだよ、ミリュー? ……幸運を祈っているからね」
 サジエスがそう言うと、ミリューはうなずいた。
「分かりました……義兄様!」
 次第に燭台のは強くなり、それはやがて周囲を金色に染めて行った。リリーがそのまぶしさに
目を伏せた、その瞬間、ぱたん、と音がして時間扉が閉じられた。それと同時に、辺りには星明
りと夜の街の風景が再び現れた。
「……ありがとうございます、義兄様」
 ミリューは、ぽつんとつぶやいた。


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