7 時空回廊
漆黒の闇が広がっていた。リリーは、そろそろと起きあがった。
「う〜ん……。痛っ、背中が痛いわ。あたし、どうして……ハッ、そうだわ! エルフの大群に
取り囲まれて、ミリューにつかまって移動したんだっけ……でも、ここは……? それにみんな
はどこにいるのかしら? ミリュー! エルザ〜! ヴェルナー〜〜!」
リリーがそう呼びかけた瞬間、周囲が明るくなった。
え!?
リリーは、広い平原に立っていた。そこに、向こうから土煙を上げて、馬に乗った聖騎士の一
団が走ってきた。
「きゃああああっ!」
リリーは思わずうずくまったが、騎士たちはリリーの身体をすり抜けて、向こうに行ってしま
った。
……嘘。あたし……あの騎士たちに、全然ぶつからなかったわ。
そこに、背後から聞き覚えのある凛とした声が響き渡った。
「総員、止まれ!」
リリーは、振り返った。
「……ウルリッヒ様! どうして!?」
しかし、ウルリッヒは、白の駿馬から降りると、先ほどの騎士たちと同じくリリーの身体をす
り抜けて、歩いていってしまった。
……何で? どうなってるの!?
リリーはウルリッヒの後を追った。
「ウルリッヒ様! ウルリッヒ様! あたしです、リリーです! ……聞こえないんですか?」
しかし、ウルリッヒはリリーに気がつく様子もなく、部下の聖騎士に向かって言った。
「ユルゲン! 目標の怪物たちの様子は変わらないか?」
ユルゲン、と呼ばれた栗色の髪の若い騎士は、居住まいを正した。
「はっ! 速度を落とすことなく、十時の方角からザールブルグを目指して近づいて来ておりま
す!」
ウルリッヒはうなずいた。
「うむ、分かった。それでは、予定通り、作戦を開始する。工作部隊は、爆薬を仕掛け終わって
いるのか?」
ユルゲンは言った。
「はっ! すでに準備完了との報告が入っております!」
ウルリッヒは言った。
「よし。それでは、目標が接近してきたら、まずは爆薬で足止めし、そこから一気に波状攻撃を
かける! 各小隊は、臨戦態勢を取るように伝えよ!」
ユルゲンは、はっ! と言って足早に駆けていった。ウルリッヒは唇を真一文字に引き結んだ。
「……おのれ、ダマールス王国め。怪物を操ってわがシグザール王国領に攻め入るとは、何と卑
劣な……」
そのとき、耳障りな甲高い叫び声が聖騎士たちに近づいてきた。
キキィッキイキイキキキキキィィキイキイキイキキキッキキキィッキキイキキィイ…………。
「な、何だ、この音は!?」
ウルリッヒが思わず顔をしかめながら尋ねると、向こうから偵察部隊の騎士が走ってきた。
「副隊長殿〜! ウルリッヒ副隊長殿〜!」
「どうした、マルティン!」
ウルリッヒが聞くと、マルティンと呼ばれた赤毛の騎士は、息せき切って言った。
「た、た、大変です! ものすごい数のエルフが、三時の方角から毒矢を放って攻めて来まし
た!」
さらに、ユルゲンも走って戻ってきた。
「ウルリッヒ様! 十時の方角ダマールスの軍勢が! 例の岩の巨人を先頭に急速に進軍して
来ました!」
ウルリッヒは剣の柄に手を置くと、険しい表情で言った。
「おのれ……。エルフまで動員してくるとは……何ということを。よし! エルフには第二小隊
が応戦せよ! 敵はわが軍の指揮系統の攪乱を狙っているものと思われる。エルフ族の毒矢も魔
法も威力はあるが、近づかなければ決定的な破壊力はない! 本隊から離れず、決して深追いす
るな! 工作部隊は怪物が近づいたら一気に爆薬に着火せよ!」
妖術で操られたエルフたちの甲高い声と、ゴーレムの足音と、ダマールスの騎士たちの馬具が
ぶつかり合う音が、刻一刻と近づいてきた。リリーは、ごくりと唾を飲み込んだ。
……これは、何? ……今、現実に起こっていることなの!?
そのとき。
バーン、という音が辺り一面に響き渡った。続けて、ゴーン、とも、ガシャーン、ともつかな
い音が、続けざまに何発も響いていった。リリーは思わず耳をふさいでうずくまった。しばしの
静寂の後、ウルリッヒが口を開いた。
「……やったか?」
ユルゲンが前方を見てうなずいた。
「やりました! 作戦通りです!」
ウルリッヒはうなずいた。
「よし! それでは、これより戦闘を開始する! 総員……」
「お、お待ち下さい!」
作戦指示をしようとしたウルリッヒの元に、黒髪の騎士が走り込んできた。
「どうした、ニクラス!」
ウルリッヒが言うと、二クラスは青ざめながら報告した。
「あ、あ、あの岩石の怪物ですが……まったくもって、傷一つつきません!」
「何!?」
ウルリッヒは、敵のいる方角を凝視した。そこには……。
「……馬鹿な」
爆煙の中、不気味な雄叫びをあげ、ズシン、ズシン、とこちらに地響きを立てて近づいてくる
怪物の姿があった。
*
ミリューは、闇の中、一人で倒れているリリーを見つけて駆け寄った。
「リリーさん、リリーさん! 大丈夫ですか?」
すると、どん、どん、と音がして、ヴェルナーとエルザも後から地面に落ちてきた。ヴェルナ
ーはまたしても着地に失敗し、背中をさすりながら立ち上がった。
「……下手くそだな、ミリュー? ん? リリーはどうしたんだ?」
ミリューは振り返ると、涙ぐみながら言った。
「……分かりません。意識をなくしているみたいなんですけど……?」
「何? ……おい、リリー! どっかぶつけたのか? ……しっかりしろ、リリー!」
そう言って、ヴェルナーがリリーの頬をぺちぺちと軽く叩くと、突然リリーは大声で叫びなが
ら起き上がった。
「ウ、ウルリッヒ様がー! ウルリッヒ様〜〜〜〜〜〜!」
「……どうしたリリー? 落ち着け……!」
ヴェルナーに肩を揺さぶられ、リリーはようやく周囲の様子に気がついた。
「……あ……れ? ヴェルナー? ……エルザも! みんな、無事だったのね……。さっきのは
……夢?」
リリーは、肩で息をしながらそう言った。
*
「おそらく、リリーさんが見たのは、数日後の‘現実’です」
ミリューは言った。
「ここは‘時空回廊’。つまり……エンクレーヴの中で、一番現実の世界に近い場所です。ここ
では、現実の世界でにおける様々な条件が結合した場合の、近しい未来が見えるのです。ここで
は、人間の意志が時空間に働きかけることによって、未来視が可能になります……人間の中でも、
まれに能力を持った者は、意図的にここに入り、未来を垣間見ることができるのです。もっとも、
これは‘現時点での条件’での結果にすぎません。リリーさんは、ザールブルグのことがとても
気がかりだった。だから、それを見ることができたのでしょう……」
リリーは言った。
「じゃあ……このままいったら、ダマールスの軍にシグザールの聖騎士たちは全滅させられて、
ウルリッヒ様も……あの巨人に殺されてしまうっていうの?」
ミリューは険しい顔で言った。
「……そうなるとはかぎりませんが、そうなる可能性は大変に高い、と申し上げざるをえません」
ヴェルナーは、舌打ちをした。
「……くそ、何か手立てはねぇもんかな?」
ミリューはぼろぼろと泣き出した。
「ね、姉様……、姉様がいないと……ヒック、僕は、どうしていいのか分からない……。それな
のに……姉様が捕まってしまって……ヒック、グシッ、ライオスさんも昔はあんな悪い人じゃな
かったのに……僕にもとっても優しかったのに……グシッ、何があったんだろう? ヒック、僕、
どうしたら……、姉様、姉様〜〜〜!」
「いい加減にしろ! 姉様、姉様って、おまえがしっかりしなけりゃ何も解決できねぇだろう
が!?」
ヴェルナーが怒鳴ると、ミリューは目を丸くした。エルザは慌てて言った。
「ヴェ、ヴェルナーさん……。何もそんなにきつく言わなくても……?」
ヴェルナーは、じろり、とエルザをにらんだ。
「……うるせぇな。だいたい、そんなにご大層な力を持ってるくせに、何でべそべそべそべそ、
泣いてばっかりいやがるんだよ、そいつは……!」
そう言って、ヴェルナーはミリューの顔を見た。
「おい、ミリュー! 姉さんがいなくったって、さっき離脱するときには、きっちり呪文を詠唱
できただろう?」
ミリューは、か細い声で言った。
「は、……はい。あ、でも、それは……必死だったから……」
ヴェルナーは、ゆっくりとした調子で言った。
「でも、できたんだ。それがおまえの実力だ。いいか、人間、必死になったら何だってできる…
…って、おまえはエルフだったな?」
ミリューは、少しだけ微笑んだ。
「……は、はい。そうですね……。できたんですから、……できますよね?」
ヴェルナーは、うなずいた。
「だったら、今できることを考えようぜ? まずは情報がねぇとな……。ここからは近い未来が
見えるんだろ? だったら、おまえの力で、ダマールスの様子を見ることはできねぇのか?」
ミリューは涙をぬぐった。
「……できると思います。やってみます……!」
ミリューが目を閉じて呪文を詠唱しだすと、額の宝珠が七色に輝きだした。光は辺りを旋回し、
突如として四人は城の大広間にいた。
ヴェルナーは、辺りを見回した。
「……ここはどこだ?」
ミリューは言った。
「ダマールス王国の謁見の間です」
エルザはびくびくしながら言った。
「こ、こ、こんな目立つところに出てきちゃったら、捕まるんじゃない?」
ミリューは笑いながら言った。
「大丈夫です! 僕たちは、事物の位相が異なる場所にいるのです。敵には、僕たちは見えませ
ん」
リリーはうなずいた。
「そっか……。さっき見えた人たちも、あたしのこと、見えなかったもんね……?」
そのとき、奥の玉座に腰掛けたダマールスの王が、声を上げた。
「ライオス! ライオスはおらぬのか!?」
しゅる、という音がして、玉座の横にライオスが現れた。
「は、こちらに」
うやうやしく、ライオスが一礼すると、ダマールス王は、ふん、と言った。
「……ずいぶんとあのエルフの女にご執心のようだな、ライオス?」
ライオスは、涼しげに言った。
「‘時間の果実’を入手するための、大切な人質、ですから」
ダマールス王は右手の人差し指で、コツコツと神経質そうに玉座の肘掛を叩いた。
「何もおまえがずっと付いている必要もあるまい。あの女は地下牢にでもぶち込んでおいて、見
張りに屈強な騎士を数名つければ、それで十分ではないのか?」
ライオスは、急に厳しい口調で言った。
「恐れながら、陛下はあれの弟が有している強大な力をご存知ない……」
ライオスは、青白い光を放つ右手の平を王にかざした。
「私のこの‘知識の果実’はまだまだ完全ではありません。何としても‘時間の果実’を入手し
なければ……!」
ダナールス王は、うなずいた。
「うむ。だからこそ、おまえには必要な書物を全て与えたのだが……?」
ライオスは、ぴしゃり、と言った。
「足りません! たしかに陛下から賜りましたテウルギーの書は、私に大きな力を与えてくれま
した。しかし、この書は世界に三冊あるのです。陛下が下さったのは第二の書、第一の書もサジ
エスの大樹の書庫から奪い取りましたが……、この書はサジエスによって、時間鍵がかけられて
います。これを解読するには‘時間の果実’を入手する必要があるのです。それに、第三の書は、
……シグザール王国の王都、ザールブルグにあるはずです。この三冊の書と、二つの宝珠を手に
入れれば、世界はわれわれのものです。良いですか、陛下? 軍事技術的優越は、政治交渉を有
利に進める決定力となるものです。よって、新兵器を確保するのは戦略の極意! 今こそシグザ
ール王国を征服し、長年、シグザール王国から受けた屈辱を晴らすときではありませんか!?
そのためには、より強大な魔術の力が必要なのです!」
ヴェルナーは、ぼそりと言った。
「……どこかで聞いたような台詞だな?」
そのとき。
「何者!」
突然、ライオスが手の平から青い光の球を浮かび上がらせ、リリーたちに向かって投げつけた。
「いけない! 見つかった!」
ミリューが叫ぶと、額の宝珠がまた七色に輝きだした。
一瞬のうちに、四人はまた、漆黒の時空回廊に戻っていた。
謁見のまでは、先ほどまで四人がいた場所には、黒々と焼け跡が残っていた。それを眺めなが
ら、ライオスはつぶやいた。
「やはりミリューか……。ふん、なかなかに素早くなったものだ……」
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