時間の果実



      
   

   5 時間の果実

「時間の果実?」
 ヴェルナーが怪訝な顔をして尋ねると、エメはうなずいた。
「はい。さまざまな名で呼ばれている宝珠ですが、私たちはそう呼んでいます。宝珠と言っても
……普通の財宝とは異なっており……。ミリュー、みなさんにお見せしなさい?」
 ミリューはうなずくと、服と友布の青い帽子を取って、美しい金色の前髪を右手で掻き上げた。
「……あ! すごい……綺麗な石!」
 リリーは思わず感嘆の声を上げた。
 ミリューの額には、七色に輝く、胡桃ほどの大きさの石が輝いていた。ヴェルナーは、宝石を
丹念に眺めると言った。
「なるほどな。そいつが、エルフの宝珠、て訳か」
 エメは微笑んだ。
「ここに見える宝石は、正確には宝珠の力の徴なのです。この宝珠はこれだけ単独で存在してい
るというよりは……護り手の力が加わって初めて全きものとなり得るのです。現在は弟がその
‘力’を守護しています。私たちの一族は、この宝珠の護り手となるため、皆、幼いころから鍛
錬に励みます。しかしながら、最終的には私たちが護り手を選ぶのではなく、宝珠のほうが護り
手を選ぶのです……。護り手が寿命を全うすると、宝珠は次の護り手に‘力’を与え、その徴を
表します。……私たちは七人兄弟で、私が長女、このミリューは末子です。誰もが、まさかこの
幼くて未熟なミリューが次の護り手に選ばれるとは、思ってもみませんでした。本当に……この
ような失敗を犯した以上、愚弟は護り手の名にふさわしいとは言いかねますわね?」
 そう言って、エメは冷ややかな笑みを浮かべてミリューを見た。
「ご、ごめんなさい、姉様……」
 ミリューが消え入りそうな声で言うと、エメは厳しい口調で言った。
「……気をつけるようにとあれほど言ったのに! ミリュー、あなたには護り手としての自覚が
足りませんね。あなたの身に万一のことがあったら、サジエスがどうなると思っているのです
か?」
 ミリューはうなだれた。
「はい、軽率でした……。僕が未熟なばっかりに、危うくお義兄様を二度とこちらに呼び戻せな
くなるところでした」
 ヴェルナーは少々苛ついた口調で言った。
「……おい、さっきから一体何なんだ。 少しは俺たちにも分かるように状況を説明してくれね
ぇか?」
 エメはヴェルナーの方に向き直った。
「失礼いたしました。それではご説明いたしますわね。その前に……、みなさまは創世の神話を
ご存じですか? 人間のみなさま方が信仰している、アルテナやヴィラント、ヴァイツェンとい
った人格神が現れるよりも遙か昔、未だ神が不在であった頃の神話を……?」
 ヴェルナーは答えた。
「……いや、知らねぇな。もっとも俺は、教会に説法を聞きに行く趣味はないからな。おい、エ
ルザ、おまえはそういうの、詳しいんじゃねぇのか?」
 エルザはおかしそうに言った。
「ヴェルナーさん、教会に行くのは趣味の問題じゃないわよ、信仰心の問題なのよ!」
  ヴェルナーは忌々しそうに言った。
「……信仰心が薄くて悪かったな。俺はああいう場所が好きじゃねぇんだよ。ま、信じたい奴が
ありがたがるのは勝手だがな」
 エルザは言った。
「もう! 神様を信仰するのに、好きも嫌いもないわ、ヴェルナーさん!」
 ヴェルナーは言った。
「……そういう、好き嫌いの判断を許さないようなもんが気に入らねぇんだよ、俺は!」
 リリーがしみじみとした口調で言った。
「そうよねえ。ヴェルナー、自分が好きか嫌いかが、物事を判断する一番の基準だものねえ……。
ね、そういう人のこと、何て呼ぶか知ってる?」
 ヴェルナーはリリーをにらんだ。
「あ? ……知らねぇよ」
 リリーは、くすりと笑った。
「……‘もの好き’」
 リリーがそう言うなり、エルザとリリーは顔を見合わせて笑い出した。
 ヴェルナーは呆れたように言った。
「……この状況で……、暢気な連中だぜ」
 ミリューは、その青く澄んだ瞳を輝かせながら言った。
「ヴェルナーさんは、もの好きな方なんですか? お義兄様もそうなんですよ! 姉様と結婚し
たときには、エルフの里のみんなから、もの好きだって言われてました!」
 エメはミリューの顔を見た。
「……そのお口が、二度と開かないようにしてさしあげようかしら、ミリュー?」
「ひ、ひいいいいいっ!」
 ミリューは青ざめてヴェルナーの陰に隠れた。ヴェルナーは慌てて言った。
「おい! もう俺に姉弟喧嘩のとばっちりを食わせるのはやめてくれ! ……エメ! いいか
らとっとと説明を続けてくれよ。こんなんじゃ日が暮れちまう……って、ああそうか。時間が止
まっちまってるんだったな?」
 エメはうなずいた。
「ここはエンクレーヴ、通常の時間が有する一定の領域から外れた、時間の狭間の‘飛び地’で
すわ。これを意図的に発生させられるのが、時間の果実の護り手の‘力’の一つです。もっとも
その愚弟は……」
 そう言ってエメは、ヴェルナーのシャツの端を掴んで震えているミリューの顔をのぞき込んだ。
「意図せずにみなさまをここに連れてきてしまったようですけれども……」
 ヴェルナーは言った。
「まあ、いいさ。とにかく説明してくれ。原初の創世記神話と俺たちの現状の関係をな?」
 エメはうなずいた。
「‘はじめに言葉ありき’。これは、ご存知ですか?」
 ヴェルナーは言った。
「ああ。聞いたことはある。アルテナ神話の冒頭の文句だよな?」
 エメはにっこり笑った。
「はい。しかし、この言葉は正であり、誤なのです。なぜなら、言葉があるときに、かならずそ
の時間が付随するからなのです。時間と言葉とは不可分のもの。言葉と意味とも同じく。したが
って、時間はかならず意味をともなっています。はじめに言葉ありき。これは……世界は始まり
の際に、かならず時間と意味とをもたらす、とういうことを示唆しているのです。ですから、言
葉は言葉だけで成立可能なものではありません。言葉、という単語は、古代語で‘事物を集める’
という意味をもっています。すなわち、‘始めに言葉ありき’とは、‘始めに事物が集まる’と
のこと。事物は集まるとき、かならず意味の分類枠を必要とする……。このエンクレーヴは、そ
の意味の枠組みを少々外れたところに所在します。したがって……太陽が東から昇り、西に沈み、
われわれは老いて朽ち果て、そして死ぬ、という意味の枠組みからも離れているのです。つまり、
私たちは今、事物の開始と終了の枠組みから外れたところに、飛ばされて来てしまったのです」
 エルザは身震いした。
「……な、何だか……とんでもないところに来ちゃったのね?」
 エメは微笑んだ。
「そうでもありません。私たちは、少なくともここにいるうちは‘安全’です。ここにいれば、
私たちは歳を取らず、飢えず、渇かない……。みなさんは、ここに来てからお腹が空かないでし
ょう?」
 リリーはうなずいた。
「あ、そ、そうね! ……お昼ごはんを食べてから、ずいぶん時間がたってるはずなのに、おか
しいと思ったのよ!」
 ヴェルナーは言った。
「……その時間が、止まっちまってるんだろ?」
 エメは言った。
「そうです。正確に言えば……時間が本来もっている‘意味’から外れたところに来てしまった
のです。これができるのは、‘時間の果実’の力があってこそ。原初の神話には、人格神はいま
せんでした。人格神は、世界に意味が生じて初めて成立可能となるものです。……創世のとき、
この世界には一本の生命樹がありました。この大樹には二つの果実が生った。一つはこの‘時間
の果実’です。これは、私たちエルフ族に託されました。もう一つは‘知識の果実’。これを託
されたのは……、あなた方人間です」
 ヴェルナーは、軽く息を吐き出すと言った。
「……聞いたことあるな、似たような神話を……。どうも東のほうじゃ、そんな神話が信じられ
ているらしいな?」
 リリーは、感心したように言った。
「ヴェルナーって、そういう雑多なこと、よく知ってるのね〜?」
 ヴェルナーは、リリーの顔を見た。
「他国の品物を仕入れているとな、その国で信じられている神様や神話がモチーフになった骨董
品を扱うことだってある。面白いから、商人にいろいろ説明してもらったまでのことだ」
 エルザはエメに聞いた。
「でも、エメさん! その‘知識の果実’って、あたしたち人間がもっているんでしょ? だっ
たら、どこにあるの?」
 エメは言った。
「‘知識の果実’もまた、実体があったわけではなかったのです。この果実はあなた方人間全て
に与えられた‘力’なのです。あなた方人間は……森を切り開いて街を作り、家を建て、畑を耕
し、自らの環境を自分たちの手で改変することができる……。これは、‘知識の果実’の‘力’
の賜物なのです。しかしその分、個々の人間に与えられた時間は少なく、数十年で死んでしまう
……。他方、私たちエルフ族には‘時間の果実’が与えられました。このおかげで、私たちは、
あなた方より遥かに長い寿命を得ましたが……、自らの生まれ育った大地を、離れることができ
なくなりました。それは、植物が自らの生育環境に適した場所から離れることができないのと同
じことなのです……」
 ヴェルナーは、怪訝そうに言った。
「ちょっと待ってくれ! ‘知識の果実’に、実体はなかったって言ったよな、エメ? ってこ
とは、もしかして、なかったはずの実体が、あるようになったってことなんじゃねぇだろうな?」
 エメは悲しげに微笑んだ。
「……察しの宜しい方ですわね? ……その通りですわ。本来、‘知識の果実’には実体はなく、
それゆえに、誰かに占有されるような恐れはなかったのです。しかし、数年前のことです……あ
る邪悪な意志をもった、われわれエルフ族の同胞の一人が、その‘知識の果実’を実体化し、自
らのものにしようとたくらみました。それは半ば成功したのですが……しかし完全にはできなか
ったのです。なぜならば、‘知識の果実’と‘時間の果実’は、互いが互いを補い合ってこの世
界の時間と空間を支えているもの。どちらか一方のみを無理に取り出せば、時間や空間の成立の
場が崩れてしまうのです。……これを行ったのは、ライオスという名のエルフです。彼は以前私
たちと同じ里におり、昔馴染みなのですが……あるときから、狂信的な魔道に堕ちてしまいまし
た。彼は今、ダマールス王国の王に甘言を吹き込み、操っています。同胞のエルフたちを邪悪な
魔法によって狂わせたのも彼なのです。彼は……私たちの父から‘時間の果実’を奪い取ろうと
して失敗しましたが、そのとき父は亡くなってしまいました。……現在この‘力’は、このミリ
ューが受け継いでいるのですが、どのような手段を使って、ライオスがミリューをさらいに来る
のか、分かったものではありません。とにかく、邪悪な野望を砕き、ベルグラド平原に起こって
いる異変を収束させるには、ライオスを倒すしかないのです」
 リリーは言った。
「……分かったわ! それじゃ、ここから出て、ダマールス王国に行きましょう! あたしたち
も、そのライオスってエルフを倒す手伝いをするわ」
 ヴェルナーは、肘の先でリリーをこづいた。
「痛! 何するのよ、ヴェルナー!」
 リリーが頬を膨らませながらヴェルナーをにらむと、ヴェルナーはリリーをにらみ返した。
「おいリリー、軽々しくそんなことを言うんじゃねぇ! だいたいおまえ、そんなお節介なこと
やってる暇あるのか?」
 リリーは口を尖らせた。
「いいじゃない! ダマールス王国がそんなことになっているんだったら、いずれシグザール王
国にも騎士隊が攻めて来るかもしれないもの、人事じゃないわ! それに暇って……今、時間は
止まってるのよ!」
 ヴェルナーは、やれやれ、といった風にため息をついた。
「……好きにしろ。まさか俺にまで手伝えって言うんじゃねぇだろうな?」
 リリーは強い口調で言った。
「いいわよ、ヴェルナーが嫌だって言うんだったら、他の冒険者の人たちに頼むわ!」
 エルザは、リリーの服の袖を引っ張った。
「ねえ、あたしだったら、協力するわ、リリー! そんな大変なことになってるんだったら、あ
たしに出来ることなら何でもする!」
 リリーはエルザのほうを向くと、笑顔で言った。
「ありがとう、エルザ! 心強いわ〜! じゃあ、ザールブルグに戻ったら、他にも誰か手伝っ
てくれる人を探さなくちゃね!」
 エルザは言った。
「そうよね! やっぱり腕が立つところで、ゲルハルトとか、シスカさんとか……ウルリッヒ様
でもいいわよね!」
 ヴェルナーは、ふん、と言って横を向いた。
「別に俺は手伝わないとは……言ってねぇだろ?」
 リリーはヴェルナーの顔を見ると、驚いたように言った。
「え、嘘! ヴェルナーも、手伝ってくれるの?」
 ヴェルナーは不機嫌そうに言った。
「……政情不安定になったら、商売がやりづらいからな。ま、とにかくだ。エメ、ここから出る
ためには、どうしたらいい?」
 エメは静かに口を開いた。
「……入るのはたやすく、出るのが難しい。それが、このエンクレーヴです。しかし……方法が
ないわけではありません」
 そう言って、エメは微笑んだ。


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