4 enclave
「大丈夫? 怪我しているところはない?」
リリーが微笑みながらエルフに尋ねると、彼はこくこくとうなずいて、美しい青い目を大き
く見開いた。
「だ、大丈夫、です。あ、あ、あの……、僕、ちょっと記憶が混乱しちゃって……」
そう言って、エルフは大きく肩で息をつくと、首を大きく左右に振った。
「あなたがたは、もしかして、……僕を、術をかけられた同胞の大群から、助け出してくださ
ったのですか?」
リリーはうなずいた。
「そうよ。あたしはリリー。こっちはヴェルナーよ。そこでよく寝てる女の子はエルザってい
うの。起きたら紹介するわね。彼女があなたの腕を引っ張って、あそこから離脱したのよ」
小さなエルフは、また、こくこくとうなずくと、リリーの顔を見て言った。
「あ、ありがとうございます! 僕の名はミリューといいます。僕は、以前エルフの隠れ里に
住んでいたんですが、訳があって、今は姉様と二人でこの森の奥にある大木に住んでいます」
リリーは言った。
「いい名前ね。ねぇ、ミリュー、あたしは数ヶ月前にエルフの隠れ里に交易に行ったことがあ
るんだけど、そのときにあなたはいたかしら?」
ミリューは首を横に振った。
「い、いいえ! 僕が父様たちと一緒に里に住んでいたのは、七十年ほど前のことですから…
…」
リリーは目を丸くして言った。
「七十年! 嘘……。じゃあ、ミリュー、あなたはいったい、歳はいくつなの?」
ミリューは微笑みながら言った。
「百三十歳です! まだほんの子供ですけど……?」
ヴェルナーは言った。
「エルフは妖精族と同じくらい長生きだって聞いたことがあるが……。百三十歳で子供か……」
ミリューは言った。
「ええ、そうです。エルフの仲間には、最低二百歳は越えないと、一人前として認めてもらえ
なくって。僕の姉様は二百五十歳です」
リリーは感心したように言った。
「ふ〜ん。じゃあ、交易のときに交渉に出てきたエルフたちって、みんなそんなに長く生きて
いたのね? ……でも良かったわ〜、目を覚ましてくれて! このままあなたの意識が戻らな
かったら、どうしようかと思ってたのよ?」
リリーの傍らで、ヴェルナーがぼそりと言った。
「……もう少し寝ててくれても……良かったんだがな……」
「何か言った、ヴェルナー?」
リリーが尋ねると、ヴェルナーは言った。
「何でもねぇよ。それより、ミリュー。おまえ、何であんな風に仲間の大群に追われてたんだ
?」
小さなエルフは、大きく息を吐き出すと、ヴェルナーの顔をまっすぐに見た。
「込み入った話なんですが……いいですか?」
ヴェルナーは、ふっ、と笑ってエルフに言った。
「いいぜ。時間はたっぷりある。……と、いうか、時間が止まっちまったみたいなんだがな…
…?」
ミリューは、愕然とした顔をした。
「え? じ、時間が、……止まってしまったのですか!」
ヴェルナーはうなずいた。
「ああ。おまえを助けて、この森の中に逃げ込んできてからな。ずっと、太陽の位置が変わら
ねぇんだ。ほら、上、見ろよ?」
ミリューは空を見上げると、顎を外しそうになるほど、あんぐりと口を開けた。
「そんな! ううう、嘘だ〜! 僕にはこれはまだ使いこなせないって言われてたのに! ど、
どうしよう……。また、姉様に怒られる〜! ね、姉様の雷だけは嫌だ〜! し、死んじゃう
よ〜〜〜〜!」
そう言って、ミリューはぼろぼろと大粒の涙をこぼしだした。ヴェルナーは、やれやれ、と
言った顔でミリューに言った。
「おい、落ち着け……。分かるように説明しろよ、ミリュー?」
ミリューは甲高い声で叫んだ。
「ううっ、よ、よりによって、エンクレーヴに落っこちちゃうなんて〜! ヒック!どうやっ
て出ればいいんだよ〜〜〜グシュッ!」
ヴェルナーは尋ねた。
「……落ち着けって言ってるだろ! 何だ、その‘エンクレーヴ’ってやつは……?」
ミリューは、しゃくりあげながら興奮した調子でしゃべりつづけた。
「うっうっ……。出るためには、姉様に僕のいる場所を教えなくっちゃ……ヒック! あああ
ああ、でも! 姉様が来たら、お仕置きに雷を落とされちゃうよ〜〜〜グシュッ! こ、恐い
よ〜!」
ヴェルナーは、困り顔でミリューの肩に手を置いた。
「いいから、泣きやめって言ってるだろ……?」
しかしミリューは、頭を抱えて一層激しく泣くばかり。呆れたように、リリーが言った。
「駄目よ、ヴェルナー! 小さい子相手に、そんな恐い顔で脅しちゃ!」
ヴェルナーは、軽く頭を掻いた。
「……別に俺は、こいつを脅しているわけじゃないぜ?」
リリーは、ハンカチでミリューの涙をぬぐってやると、優しく言った。
「さ、もう泣くのはやめて、ミリュー。恐いお兄さんのことは、気にしなくていいからね?」
「……おい!」
ヴェルナーが眉を吊り上げてリリーに言うと、彼女はヴェルナーを振り返って、きっぱりと
した口調で言った。
「もう、そうやって、子供を脅しちゃあ駄目よ、ヴェルナー! あなた、ただでさえ目つきが
悪くて、子供に恐がられるんだから!」
ヴェルナーは不機嫌そうに言った。
「何だよ、そのガキに恐がられるってのは?」
リリーは言った。
「ヴェルナー、この間だって、井戸の横で転んで泣いてたちっちゃい男の子をあやそうとして、
逆に恐がられて、余計に泣かせてたじゃない!」
ヴェルナーは、ひどくバツの悪そうな顔をした。
「リリー、おまえ……、見てたのか?」
リリーは、少しおかしそうに口元を緩めながら言った。
「カリンの工房でこの杖を鍛え直してもらった後にね、お店を出ようとしたら、偶然見ちゃっ
たのよ」
ヴェルナーは、額に脂汗を浮かべた。
「まさか、おまえだけじゃなくて……カリンのやつも見てたのか?」
リリーはうなずいた。
「カリンったら、しばらく涙を流して笑ってたわよ!」
ヴェルナーは額に右手の手の平を当て、うつむいた。
「……ちくしょう。おまえだけじゃなく、カリンのやつにまであんな姿見られるなんて……!」
くすくすと笑い始めたリリーの傍らで、ミリューが真剣な顔で言った。
「大丈夫です! ヴェルナーさんは、僕の姉様より、全然恐くないです!」
ヴェルナーはミリューを睨みながら、つぶやくように言った。
「……うるせぇ。いいから、さっさとこの状況について説明しろ」
リリーは口端を引き結ぶと、ヴェルナーに言った。
「だ・か・ら〜! その顔が良くないのよ、ヴェルナー! もう少し、優しく言ってあげなく
ちゃ! 好事家に上手いこと言って、がらくたに法外な値段をふっかけるのは上手なのに、何
で子供をなだめすかすのは駄目なのよ?」
ヴェルナーは眉を吊り上げた。
「……いい加減にしろ、リリー! これ以上俺の店の商品をがらくた呼ばわりしたら、今後二
度と店には出入り禁止だ! 分かったな!」
リリーは言返した。
「何よ、上得意客に対して! あんな偏った品揃えのお店にしょっちゅう買い物に来るのなん
て、あたしくらいじゃない!? いつ行っても、私くらいしかお客はいないくせに!」
ヴェルナーは言った。
「そっちが勝手に、店にちょろちょろ出入りしてるだけだろうが! だいたいな、その偏った
品揃えのおかげで、おまえだって普通では手に入らないような錬金術の材料が手に入って、助
かってるんだろ! この間だって、喜んでアードラのと星のかけらを買い占めて行ったくせに
! おかげでこっちは入荷期間の調整が大変なんだからな!」
リリーは言った。
「何よ、調整って! いつだって好き勝手に自分の気に入った品だけを仕入れているくせに!」
ヴェルナーは、思わず声を荒げた。
「おまえ、人の苦労も知らないで、よくそんな事言えるな! 店に来て商品を見回すたびに、
あれが足りないだの、これがどうしても欲しいのブツブツブツブツ言われたら、こっちだって
仕入れざるを得ないだろうが!」
リリーは目を丸くした。
「嘘……。ヴェルナー、私が独り言言ってるの聞いて、わざわざ商品追加してくれてたの?」
ヴェルナーはバツの悪そうな顔をした。
「……うるせぇな。とにかく、だ。人の店の商品をがらくた扱いするんじゃねぇ! 分かった
な!」
二人の言い合いに、眠っていたエルザは目を覚ました。
「……う〜ん、うるさい、な……。ふぁ〜! よく寝たわ。ん? あれ〜? まだお日様の位
置は変わってないのね?」
エルザは起きて伸びをすると、きょきょろと周りの様子を見た。すると、彼女の視界に、言
い争いをしているリリーたちの前で、困った顔をして座り込んでいるミリューが入って来た。
「あ、君! もう目が覚めたの? 良かったわ〜! 怪我はなかった?」
ミリューはぎょっとして振り返った。
「だ、大丈夫です。あの……エルザさん?」
エルザは笑顔で言った。
「あら! あたしの名前、もう聞いたのね? え〜っと、君のお名前は?」
ミリューはおどおどした口調で言った。
「ミリューです。……あの、あちらのお二人が、何やら言い争いになっていて……僕、どうし
たらいいんでしょうか?」
エルザは吹き出した。
「あ〜! 気にしない、気にしない。あの二人、いつもこうだから」
ミリューは小さくため息をついた。
「……そうなんですか? 何だか、姉様と、姉様の旦那様を思い出します」
エルザは微笑んだ。
「へえ〜、お姉様がいるんだ、ミリュー? 私にも四人お姉様がいるのよ! ね、ミリューの
お姉様って、どんな人?」
エルザがそう言った瞬間、四人の目の前に白い稲光が空から一直線に落ちてきた。
「な、何だ!?」
「きゃあっ、何!?」
ヴェルナーとリリーは、同時に叫んだ。ミリューは青くなって金切り声を上げた。
「ね、ね、ね、姉様〜〜〜〜! ごめんんさぁい〜〜〜〜〜〜!」
稲光は周囲を真白く照らしだし、そのまぶしい閃光はぐるぐると木々の間を津波のように圧
倒していった。四人は、そのあまりのまばゆさに顔を伏せた。光は激しいつむじ風の風圧のよ
うに森の中の空気を圧殺していった。それは数十秒間続いたがやがて拡散し、再びしんとした
風情が森の中に帰って来た。
しゃら、と風が涼やかに吹いた。
リリーはそう思ったが、それは間違いであった。
それは薄い軽やかな衣擦れの音であった。その直後、今度は軽やかな鈴の音のような声音が
響いてきた。
「……ミリュー。ここにいたのですね?」
四人は息をのんで、先ほどまで閃光が渦巻いていた位置に現れた佳人を見た。金色に輝く光
の束のような髪の毛を垂らし、幾通りもの光の反射を含んだ薄い生地のローブを身にまとった
その女性は、高級な陶器のような白く滑らかな頬をゆっくりと緩め、ミリューに言った。
「あれを使ってエンクレーヴを発生させるなんて……、あなたもずいぶんと高度なことができ
るようになったものね?」
ミリューは上擦った声で言った。
「い、いえそのっ! 違うんです! わざとじゃないんですっ! ごめんなさい、姉様〜!」
姉様、とミリューに呼ばれたその美しい女性は、流れるように弧を描く金色の眉をひそめ
た。
「……わざとではない、のですか、ミリュー?」
ミリューは、がたがたと震えながら言った。
「そうです! わざとじゃないんですっ、姉様!」
ミリューの姉は、淡々とミリューを詰問するように言った
「そう……。あなたは、わざとではなくて、こんな高等な魔法を暴発させた、とこう言うので
すね? つまり、これはあなたの不注意である、と……。それを、認めるのですね、ミリュー
?」
ミリューは青くなりながら後退りした。
「あ、え、えっと、その……、姉様……?」
ミリューの姉は、そっと右手を上に上げた。その手の平の上で、青白い光の球が次第に大き
くなっていった。
「……重大な過失を犯しましたね、ミリュー? さて、あなたは、氷の壺に入るのと、屍食い
烏の出るネミの森の大樹に吊されるのと、それともいつもの通り、雷落としの罰を受けるのと
……いったい、どれが望みかしら?」
ミリューは後退りしながら叫んだ。
「ど、ど、どれも嫌です〜〜〜っ!」
ミリューの姉は、口元に冷ややかな笑みを浮かべた。
「そう。それじゃ、雷ですね。そこを動くんじゃありませんよ、ミリュー。動かなければ……
手加減してあげますからね?」
「い、い、い、嫌だぁ〜〜〜!」
ミリューが金切り声を上げたのと同時に、ガシン、と乾燥した老木が真っ二つに割れるよう
な音が周囲に響いていった。リリーたちは思わず身をすくめた。しかし、次の瞬間……。
「うわあっ!」
ヴェルナーの叫び声を聞き、リリーははっとして目を開けた。
「ヴェルナー!?」
リリーの前には、ヴェルナーが頭を抱えてうずくまっていた。
「……くっ……。何で俺がこんな目に……!」
ヴェルナーは、ブツブツ言いながら立ち上がると、ミリューをにらみつけた。ミリューの姉
は、ぎょっとした顔をしてヴェルナーに謝った。
「ま、まあ! ごめんなさい! どうしましょう? 愚弟に軽くお仕置きをするつもりが……
申し訳ありません」
そう言って彼女はため息をつくと、形の良い眉を一層吊り上げ、再びミリューをにらみつけ
た。
「ちょろちょろ逃げるんじゃありません!」
二人に同時ににらまれて、ミリューは、その場で硬直したまま、額に脂汗を浮かべた。
「……ごめんなさい……姉様……。すいません、ヴェルナーさん……」
「ヴェルナー! 大丈夫、怪我はない?」
リリーが聞くと、ヴェルナーは大丈夫だ、と口の中でつぶやくようにして言い、ミリューの
姉をにらみつけた。
「おい、姉弟ゲンカは後にしてもらおうか! とりあえず、今の状況を分かりやすく説明して
くれ。俺たちはそいつがエルフの大群に追われているところを助けてから、こんなことに巻き
込まれた。だから……聞く権利はあるよな?」
ミリューの姉は姿勢を正すと、優雅にうなずいた。
「ええ、ええ、そうでしたわね! まずは愚弟を助けて頂いたことをお礼申し上げなくてはな
らなかったというのに……失礼いたしました。私の名はエクメーネ。エメと呼んでくださって
結構ですわ。私たち姉弟は、エルフ族の宝珠、‘時間の果実’の護り手です」
そう言って、彼女はにっこりと微笑んだ。
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