虹の地平 
〜Horizontverschmelzung〜



      
  

  2 開始


 いかなる空気のざわめきも感じられなかった。
 凍ったように、しん、と静まりかえったこの清浄な大広間は、たしかにどの
 ような空間にも属していないことを、静かに示していた。
「さきほど、ヴェルナーさんがお聞きになられたことですが……、たしかに今
の時点では勝算は乏しく、われわれは圧倒的に不利な状況に立たされていま
す」
 パルメニデスは、ふたたび、この大理石の大広間に一同を案内して来ると、
ゆっくりと中央に描かれた魔法陣を指さした。
「あそこに、みなさまをお呼びだてしたことは、覚えていらっしゃいますね?」
「ああ。来たときには、気絶していたみたいだけどな。やっぱり、転送される
と意識がとぶのか?」
 ヴェルナーが言うと、イングリドとヘルミーナは笑い出した。リリーは、罰
が悪そうに言った。
「あのね、ヴェルナー、そのね、つまり、えっと……」
「何だよ?」
 怪訝そうにヴェルナーが聞き返すと、イングリドが面白そうに言った。
「違うんですよ、ヴェルナーさん。こっちに転送されて来たとき、ちょうどヴ
ェルナーさんの上にリリー先生が降ってきたので、はずみでヴェルナーさんは
頭を打って、意識をなくしちゃったんですよ!」
「何!?」
 ヴェルナーはリリーをにらんだ。リリーは、心なしか赤くなりながら下を向
いた。
「ご、ごめんなさい……。わざとじゃないのよ。一応、その、打ったところを
冷やしておいたりは、したんだけど……。あはは、あはははは……」
 ヴェルナーは、ため息をつきながら後頭部をさすった。
「ちっ、どうりで、瘤ができてやがると思ったぜ。おまえ、重いからな?」
「お、重くなんかないわよ!」
 リリーが怒って言い返すと、今度はヘルミーナが、あきれたような口調で言
った。
「もう、先生もヴェルナーさんも、こんなときにそんなことで喧嘩するのはや
めてください! 大人げないですよ?」
 パルメニデスは、くすくす笑った。
「たしか、アイオロス、と言うのですね、僕にそっくりな人の名前は?」
 リリーは、慌てて笑顔を作ると答えた。
「え、ええ、そうよ!」
 ヴェルナーは、無愛想に答えた。
「そっくりっていうか……、まあ、控え目に言っても、本人だな」
 リリーは小首をかしげながら、パルメニデスの顔を、しげしげと見つめた。
「そうよねえ……。似すぎているわよ、ねえ」
 パルメニデスは、微笑みながら言った。
「そうですか……。おそらく、その人物が、みなさま方の世界に生まれた私な
のでしょう。そのアイオロスという方は、おそらくザールブルグに元から住ん
でいたのではなく、他国から流れ着いたのではありませんか?」
 リリーはうなずいた。
「たしかに、アイオロスさんは最近ザールブルグにふらっとやって来た人よ。
いろんな場所を点々としてきたけど、この街が気に入ったって言っていたわ」
 パルメニデスはゆっくりとうなずいた。
「私は、ザールブルグに伝播した錬金術師たちに最後の望みをたくすべく、こ
の術を用いました。そのアイオロスという人物は、いわば私の分身なのです。
この術をもちいてみなさんをお呼びだてするには……、実は、みなさんと私と
の間にほんの少しでも良いから、何らかの接点が必要なのです。因縁、と言っ
てもいいかもしれません。この術は、人間が紡ぎ出した関係性の網の目を辿る
ものなのです。アイオロスさんという方は、おそらく、無意識にザールブルグ
にやって来た。しかし……、それは私の思念に突き動かされてのことだったの
です」
「なるほどな。それで合点がいったぜ。アイオロスのやつは、俺の店にしょっ
ちゅう足を運ぶ物好きな客の一人だったし、それに、このリリーには、絵のモ
デルまで頼んでいやがった」
 ヴェルナーが言うと、リリーは目を丸くして言った。
「何で知ってるのよ、ヴェルナー。私、まだ誰にも言ってないのに?」
 リリーの言葉を遮るように、ヴェルナーは強引に言葉を続けた。
「……ま、とにかく、だ。ザールブルグに来たばかりのアイオロスのやつのこ
とだ。恐らく、俺たち二人が一番親しい部類の人間だったんだろう。で、この
アイオロスに親しい二人そろったんで、あのときは比較的術が効きやすかった、
違うか?」
 パルメニデスは微笑みながらうなずいた。
「はい。そうです。お二人がそろったことにより、私の術は大きな足がかりを
得ました」
 ヴェルナーは小さく息をつくと、リリーの弟子の少女二人の方を見て尋ねた。
「こっちのおまえの弟子のお嬢さんたちも、アイオロスとは仲がよかったのか、
リリー?」
「ええ、まあ……。アイオロスさんは、うちによく依頼に来てたし」
 リリーが答えると、イングリドが言った。
「あたしたちだって、アイオロスさんと仲良しですよ、先生! この間も、依
頼品を取りにみえたときに、あたしたちが作ったペンデルを、ごちそうしてあ
げましたし!」
 リリーは、それを聞いて顔を青ざめさせた。
「あなたたち……! あ、あれを、食べさせたの!?」
 ヘルミーナも得意げに言った。
「そうですよ! アイオロスさん、おいしいおいしいって、お皿一杯分、食べ
てくれたんですよ!」
 リリーは、パルメニデスの顔を見つめたまま、その場に凍りついた。

 ……た、大変だわ! あれを……お皿に一杯なんて!? どうしよう? 後
でアイオロスさんに、解毒剤を調合してあげなくちゃ……!
 
 パルメニデスは、不思議そうな顔をした。
「……リリーさん、私の顔に何か……?」
 リリーは、慌てて言った。
「い、いえ! 何でもないわ……」
 パルメニデスは微笑みながらうなずくと、言葉をつづけた。
「そうですか。……ともかく、この術は、一度大きな足がかりを得れば、その
後は、比較的簡単に因縁の糸をたぐり寄せることが可能になるのです。リリー
さんたちとの接点をきっかけにして、私はすでに、ザールブルグ派の錬金術師
の方々をお呼びだてするだけではなく、比較的戦力になりそうな方々をお呼び
だてする念を込め、呪文を詠唱しています。……そろそろ、効力が現れるころ
なのですが……」
 パルメニデスがそう言った瞬間、どん、という音がして、魔法陣の中央に小
柄な人影が落ちてきた。
 「痛っ! 何だよ、急に足場がなくなったぞ……って、ええっ? どこだよ、
ここ!?」
 魔法陣の中に現れた少年は、バネ仕掛けの人形のように勢いよく立ち上がる
と、きょろきょろ周りを見回した。 
「テオ!」
 リリーが彼の名前を呼ぶと、少年は振り向いて目を大きく見開いた。
「ね、姉さん! 俺、たしか護衛の仕事で、さっきまでストルデル滝の岩場を
降りていたはずなのに、いったいどうし……うわあっ!」
 どごん、と先ほどよりも重い音がして、今度は大柄な人影がテオの上に降っ
てきた。
「……くう〜っ! 痛ぇ! 誰だ、店の前にこんな穴を堀りやがったのは……。
んっ?」
「……重いから、はやくそこからどけよ、ゲルハルト!」
 下敷きになったテオが、息も絶え絶えに言うと、ゲルハルトは笑いながら言
った。
「おっ、何だ、テオもこの穴に落ちてたのか? 悪い悪い……」
 テオは、重みと怒りで顔を真っ赤にしながら言った。
「あ、穴じゃねぇよ! よく周りを見て見ろよ!」
 それを聞いて、ゲルハルトは立ち上がった、その瞬間。
 口をこれ以上ないくらいに大きく開けて、しばらくその場に凍りついた。
「ど、どこだあ、ここは?」
 彼がそう言ったのと同時に、今度は、金槌を手にした、いくぶん細身の人影
が二人の上に降ってきた。降ってきた際に、その人物が手にしていた金槌は、
ゲルハルトの後頭部を直撃して鈍い音をたてた。落ちてきた髪の短い女性は、
身体をあちこちさすりながら起きあがった。
「いったあ〜! な、何? いきなり鍛えてた剣が消え……、うん?」
「……てめえ、カリン! 気をつけろ!」
 カリンは、自分の下敷きになって頭を押さえているゲルハルトを見て、目を
丸くした。
「あ、ごめんごめん、ゲルハルト! わざとじゃないってば……、って、あれ、
リリーじゃない! ねえ、ここはいったいどこなの?」
「いいからさっさとどいてくれ!」
 後頭部をさすりながらゲルハルトが言った瞬間、今度は別の人影がカリンの
上に降ってきた。
「……いった〜い! もう、誰よ、馬車の前にこんな落とし穴掘ったのは…
…!」
 異国情緒溢れる衣装を身にまとったその少女は、顔を歪めて文句を言った。
「……イルマ、いいからそこをどいてよ……」
 彼女の下敷きになったカリンが言うと、イルマは自分の下を見て笑顔で言っ
た。
 「あら、カリンじゃない! ああっ、よく見るとテオとゲルハルトまで! ど
うしたの、みんな、こんなところで……?」
 イルマがそう言うのと同時に、華奢な人影が降ってきた。
「……痛っ! もう、嫌になっちゃう! 最近腕が落ちてきたかなあ……、っ
て、ご、ごめんなさい! また人の上に落ちちゃったわ!?」
「その声は……エルザね?」
 エルザの下でうつ伏せの姿勢で下敷きになっていたイルマが言うと、エルザ
は慌てて立ち上がろうとした。その瞬間、今度は燃えるような赤い色の甲冑を
身につけた人物が降ってきた。
「……うっ。…………こ、ここは……?」
 その女性は、起きあがって黒く艶やかな長い髪を優美な仕草でかき上げると、
ゆっくりと周りを見回した。
「……シ、シスカさん、か、甲冑が、かたくていたいですどいてください……」
 下敷きになったエルザが必死になって頼むと、シスカは下を見て呆然とした
表情を浮かべ、静かに言った。
「やあねぇ……。飲み過ぎたかしら……?」
 この一部始終を見ていたヴェルナーは、感心したように言った。
「なるほどな。リリーと仲が良くて、戦力になりそうな冒険者たちを呼び寄せ
ているのか」
 パルメニデスは、いえ、と言って静かに首を横に振った。
「人選は……、一応戦力になればいいかなあ、と希望はしているのですが……」
「なればいいかなあって……、おい、そんないい加減なことでいいのかよ、世
界の危機なんだろ?」
 ヴェルナーが言うと、パルメニデスは困ったように微笑んだ。
「実は、どのような方が来て下さるのか、私といたしましても、未知数なので
す」
「……未知数って、それじゃ……手当たり次第に呼び出してるっていうの
か!?」
「まあ、リリーさんと基本的に仲の悪い方は、選ばれませんが……後は、神の
お導きにすがる、としか申し上げられません……」
 絶句しているヴェルナーを他所に、パルメニデスは、ほっとしたように右手
を胸の前に当て、微笑んだ。
「あの方たちは、冒険者なのですね……。良かった、本当に、良かった……!」
「おい……、本当に大丈夫なのか?」
 ヴェルナーが、あきれたような口調で言った瞬間、今度は山積みになった冒
険者たちの前に、小さな球形の白い光がともった。光はみるみる大きくなり、
それはやがて白い僧衣をまとった人の形に変わった。
「おや、ここは……?」
 穏やかな物腰で、その僧衣の人物は周りを見回した。
「まあ、クルトさんまで……!」
 笑顔を見せるリリーに、ヴェルナーは言った。
「何だよ……、やけに嬉しそうじゃねぇか?」
「だって私……、錬金術のことで前に言い合っちゃったことがあって、クルト
さんには、嫌われてるって思っていたんだもの」
 リリーがそう言うと、こんどはカツカツと澄んだ靴音が大理石の広間に響い
て来た。靴音は規則正しく刻まれ、どんどん大きくなり、やがて、ぴたりと止
まった。その瞬間、魔法陣の中に、ふうっと、すらりとした人影が現れた。
 見事な金色の髪をなびかせ、まばゆい青の甲冑を身につけたその人物は、抑
制の利いた声で言った。
「うん……? どうしたことだ。私はたしか、謁見室に入ったはずではなかっ
たのか?」
 その声に、大理石の広間の隅々まで、凛とした空気が染み渡って行った。
「ウルリッヒ様だわ! 良かったあ、一番戦力になりそうな人が来てくれて
〜!」
 リリーが嬉しそうに言うと、ヴェルナーは腕組みをしながら言った。
「何だって、あの二人だけ、妙に格好良く登場しやがるんだ?」
 パルメニデスは穏やかに言った。
「本当は、全員このように美しくお呼びだてしたかったのですが……。すいま
せん。私の術も、まだまだ未熟だったようです」

 冒険者たちの山の一番下敷きになったテオは、しばらく目を覚まさなかった。

*

 
 時空の狭間の広間で、円卓を囲んでの会議は、いつまでも続いていた。
「……つまり、同じ種類の草の種であっても、蒔かれた土地の気候、浴びた光、
水などの条件によって、蓄えた経験が違ってきます。バラの種からスミレの花
は咲かない。これは因果法則によりすでに決定していることです。しかし、ど
のような大きさのバラの花が咲くのか、どれくらいの間咲くのか、これは経験
則の集積によるのです。同じことが人間の歴史、世界にも言えます。しかしな
がら人間は、草花以上に、自らの手で経験則を大幅に変更することができま
す。このようにして、歴史の地平は、幾通りにも分化し得る可能性をもってい
るのです」
 パルメニデスが説明すると、ウルリッヒが言った。
「貴公の言うことはよく分かった。要するに、敵は、因果法則をねじ曲げ、誤
った経験則の集合体としての、歴史を紡ごうとしているのだな? それにより、
我が王都ザールブルグが、さらにはシグザール王国が、存亡の危機を迎えてい
る、と……」
 パルメニデスは、うなずいた。
「そうです。ガレノスは、歴史が正しく動いた場合の、つまりみなさま方の歴
史におけるザールブルグ派の錬金術師たちを恐れています。みなさま方が私た
ちのザールブルグに渡るだけでも、自ずとこの二つの歴史の地平の間を隔てて
いる時空の層に亀裂が入ることになる。彼は私たちケントニス派の錬金術師が、
みなさま方とこのように相まみえることを恐れ、みなさまの紡いだ歴史的事実
を、根底から消滅させるつもりです。彼は、何としてもザールブルグを破壊す
る気でいるのです。そうすれば、彼の紡ぎ出した歴史の地平を脅かす者は一人
残らず消失することになる。そういう訳で、現在魔術で呼び出した、いにしえ
の魔物の軍勢を引き連れ、ストウ大陸へと急速に進軍中なのです」
 ウルリッヒは、その澄み切った青い双眸を怒りの色に染め、拳を強く握りし
めた。
「おのれ! 断じてそのようなこと、許すわけにはいかぬ。わが王国騎士隊の
名誉にかけ、必ずや不逞の輩を成敗してくれよう!」
 パルメニデスは真剣な面差しで言った。
「彼らの行使する術は……、大変に強力なものです。どれほど騎士隊のみなさ
まが勇敢であっても、正しい知識がなければ応戦することはかないません。ま
ずは私の世界のシグザール王国の国王に敵の正体を知らせ、騎士隊と、みなさ
ま方との連携を行う必要があります」
 ウルリッヒはうなずいた。
「分かった。その役目、この私が引き受けよう。貴公の世界のザールブルグに
も……、私は存在しているのだろうか?」
 パルメニデスは言った。
「こちらにお呼びだてできた、ということは、みなさま方全員、私の世界にも
生まれ落ちていることはたしかです。しかし……、どのような運命を辿り、ど
のような生活を送っているのかまでは……、正確には分かりません」
 それを聞いて、ゲルハルトが口を開いた。
「するってぇと、……何だよ。俺は、武器屋のマスターになっていねぇかも、
しれないのか?」
 テオも横から口を挟んだ。
「じゃあ、俺も! ずっと農作業に明け暮れているかもしれないのか!?」
 パルメニデスは困ったように微笑んだ。
「職業もそうですが……、それどころか、住んでいる場所も違うかもしれませ
んし、最悪の場合には、不慮の事故で、すでに亡くなっている場合も、あり得
るのです」
 しん、と一同、その場に黙り込んだ。ふいに、ヴェルナーが口を開いた。
「……面白いじゃねぇか。俺はかまわないぜ? 別に、そっちで自分が何やっ
てようが、生きてようが、死んでようがな。それより、早いところ作戦をたて
ちまおうぜ。せっかく騎士隊の副隊長殿がいるんだ。さっさと陣頭指揮をとっ
てくれよ」
 ウルリッヒはうなずいた。
「うむ。それではパルメニデス殿。できるだけ詳細に情報を教えて欲しい」
 パルメニデスはうなずいた。
「敵はあと数日のうちにストウ大陸の入り口、カスターニェの街に到達するで
しょう。できれば彼らがもちいる妖術に対し、可能な限り強力な清祓結界を張
って足止めを計り、王室騎士隊の応援を待ちたいところです」
 ドルニエが静かに言った。
「それならば、まずは私がカスターニェの街に行こう。ガレノスが用いようと
する術は……、おおよそ、見当はつく。リリーはウルリッヒ殿に同行して、ヴ
ィント国王に錬金術の威力の恐ろしさを説明し、協力をとりつけて来て欲し
い」
 リリーは、こくりとうなずいた。
「分かりました、先生!」
 ウルリッヒは、ドルニエの方を向いてうなずくと、てきぱきと指示を出し始
めた。
「かたじけない。それでは、われわれは二手に分かれよう。カスターニェに赴
き、敵の軍勢をくい止め、時間を稼ぎ、また、必要に応じてザールブルグまで
伝令を飛ばす役割を負う者と、ザールブルグに赴き、敵を迎え撃つ準備を行う
者と……。カスターニェは、いざとなれば街の住民を誘導し、避難させること
になるかもしれぬ。できるだけ足が速く、身軽な者がいた方が良いだろう」
 勢いよく、エルザが手を挙げた。
「あ、はい! 私、足だけは自信があるから、カスターニェに行きます!」
 次にクルトが、おごそかに言った。
「私も……、罪もない街の人々が敵の魔手にかかろうとしているというのに、
見過ごすわけには行きません」
 するとゲルハルトが、大きな声で言った。
「まあ、魔物だろうがなんだろうが、俺の槍にかかっちゃ一網打尽だぜ。それ
に、奥に引っ込んで交渉なんて、性に合わねぇからな。前線に行くぜ!」
 テオも元気の良い声を張り上げた。
「えっと、じゃあ、俺も! 考えたら、交渉だの準備だのしているよりは、自
分で動いたほうがいいもんな!」
 ウルリッヒは、カスターニェ組に名乗りを上げた面々の顔を静かに見ていた
が、やがて、決心したように言った。
「それでは、シスカ殿。かたじけないが、カスターニェ隊の隊長は、貴公にお
願いしたい。受けてくれるだろうか?」
 憧れの副隊長に名指しで任命され、シスカはその白く美しい頬を上気させて
言った。
「……はっ、あ、ありがたき幸せ……。必ずやご期待に添えますよう、鋭意努
力して任務の遂行にあたります、ウルリッヒ様!」
 その横では、テオとゲルハルトが、ともに渋面を作り、同じことを考えてい
た。
 
 ……何だよ、俺たちだけじゃ、不安なのかよ。

*

             

 大理石の大広間では、カスターニェ隊が転送され、いよいよザールブルグ隊
の番になった。
 リリー、ウルリッヒ、イルマ、カリン、そしてヴェルナーの五人は、魔法陣
の中に立った。
「……リリー先生、頑張ってくださいね!」
 と、見送るイングリドが、泣き出しそうな顔で言った。
「リリー先生、少しでもお役に立てるように、こっちでも兵器や毒薬を研究し
ておきますからね!」
 と、同じく見送るヘルミーナも、目を大きく見開いて言った。
「……ど、毒薬はいらないと思うわ、ヘルミーナ。あたしたちは大丈夫よ。二
人とも、しっかりお留守番していてね」
 リリーは、そう笑顔で言った。
「おい、ところで俺たちは、ザールブルグの街の、どの辺りに転送されるん
だ?」
 ヴェルナーが尋ねた。パルメニデスは微笑みながら言った。
「みなさま方がこちらに呼ばれたときにいた場所、の、はず、です」
 ヴェルナーは、眉間に皺を寄せて言った。
「……何だよ、その、はずってのは……?」
 パルメニデスは困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、その……、理論上は、そうなのですが……。何分、この術を用いるの
は不慣れなもので、多少の誤差はあるかもしれません……。まあ、離れたにし
ても、たぶん、徒歩で街から三日かかりはしないはずですから、どうぞご安心
ください」
 ヴェルナーは呆れたように言った。
「……って、おい! そんなに違うかもしれねぇのかよ! だいたい、俺たち
を呼び寄せるときだって、おまえは……」
 ヴェルナーの文句をよそに、パルメニデスは呪文を詠唱しはじめた。
 リリーたちの周りに、細かい気泡のようなものがたち始めた。
 それは次第に光の帯を形成し、虹のように七色の光を放ち始めた。七色の光
の帯は、大きくうねりながら、五人の周囲を回りながらどんどん幅を増し、や
がて、五人をすっぽりと覆ってしまった。それは次第に明るさの強度を強め、
広間は目もくらむようなまばゆい七色の光に包まれた。光は次第に旋回の速度
を速め、やがて竜巻のような激しい渦となった。
 渦は高い音を発して高速でうねりを上げた。それは一気に広間の高い天蓋に
まで到達し、やがて、消えた。
 
 一陣の風を残し、リリーたちの姿も消えていた。
 
*
             

「カリン、ねえ、起きてよ、カリン!」
 高く、鈴を振るような声でカリンが目覚めると、突き抜けるような青空が上
方に広がっていた。
「ん……、イルマ……?」
 イルマは微笑んだ。
「よかったあ、やっと起きてくれて……。ねえ、ここに飛ばされて来たの、私
たちだけみたい
なのよ。ウルリッヒ様も、リリーも、ヴェルナーも、どこにも見あたらないし」
 カリンは起きあがった。そこは乾燥した大地に緑が点在する平原だった。 
「ここは……?」
 カリンが聞くと、イルマは困ったように目を伏せた。
「……どうも、シュミッツ平原みたいなのよ」
「あンの野郎〜! 徒歩で街から三日はかからない程度の誤差だ、なんて言っ
ておいて!」
 カリンが口を尖らせて言うと、イルマは苦笑しながら言った。
「でも、まだシュミッツ平原でよかったわ。これがヴィラント山辺りだったら、
凶暴なモンスターが大量に出て、大変なことになっていたかもしれないし、
ね?」
 カリンは、ふぅ、とため息をつくとうなずいた。
「そうだよね。ま、ここなら出てもコジョくらいのものだし。さ、急いでザー
ルブルグに行こう。どこに飛ばされたにしても、リリーたちもきっと、ザール
ブルグに向かってるはずだから、きっとすぐに会えるよ」
 そのとき、突然イルマがうわずった声で、カリンの服の袖をひっぱった。
「カ、カリン……、ああああ、あれ! 見て!」
「何よ、イルマ……う、うわあっ!?」
 イルマが指さした方角から、アポステルの大群が嫌な羽音をたてながら、こ
ちらに向かって来るのが目に入った。カリンは叫んだ。
「な、何で〜! どうしてあいつらがここにいるんだようっ!?」
 イルマは短剣を構えた。
「……か、考えたって、しょうがないわ、カリン、いくわよ!」
「わ、分かった。……これでもくらいなあッ!」
 カリンの投げた岩は、アポステルの一匹に見事に命中し、大きな音をたてた。




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