5
ザールブルグを出発してから、十日以上が過ぎた。オレたちは、森の中を探索し続けていた。
ベルグラド地方の南東に広がる森林地帯は、エルフたちの縄張りになっていて、普段はあまり人
が立ち入ることはない。エルフたちの多くは人間と友好的だが、一部には悪意や憎悪の念を抱い
ている連中もいる。こうした奴らは好戦的で、人間が自分たちの縄張りに入るのを毛嫌いしてい
る。彼らは総じて知能が高く、攻撃魔法を使える上に、エルフ族に伝わる毒薬を仕込んだ矢を放
って来たりするので、厄介だ。
森の中は鬱蒼としていて、昼間でもあまり日が射さない。おまけにシダや苔の類が生えていて、
足下は滑りやすく、とても歩きづらい。オレはこういう場所を歩くのは、ガキのころから慣れて
いるけど、マリーはキツいかもな、と、そんな事を考えた、そのときだった。
「ぎゃあああっ!」
前方を歩いていたマリーが、大声を上げた。
「どうした、マリー!?」
しかし、オレがそう言った瞬間には、マリーは前方に向かってフォートフラムを投げていた。
どかーん、という音がして、前方が一面火の海になった。
オレはただ、ぼけっとそれを見ていただけだった。いつもながら……鮮やかな爆弾の投げっぷ
りだ。暗闇の中では、いきなりマリーに声をかけない方が、身のためだよな。
「……思うんだけどさ、マリー。あんた、護衛の冒険者を雇う必要なんて、ないんじゃないのか?」
オレが、真っ黒に焦げて消し炭みたいになった怪物の数を確認していると、マリーが大声を出
した。
「ああ〜! 間違えちゃった!」
「何を間違えたんだ?」
オレが聞くと、マリーは言った。
「フラムを投げるつもりが……間違ってフォートフラムを投げちゃったのよ〜! もったいない
っ! こんなザコ、フラムで十分だったのにぃ〜っ!」
オレは軽くため息をつくと、マリーに言った。
「なあ、ところで、ここはどの辺りなんだろうな? 平原を突っ切って、森に入って来たのはい
いけど……?」
マリーは言った。
「大丈夫、大丈夫! ちゃ〜んと、ドルニエ校長先生の本に描いてあった地図を、覚えているも
の! 入ってきた方角が……あっちだったから、このまま南東の方角に進めば……」
オレは、マリーに言った。
「……マリー、そっちは北じゃないのか?」
「へ?」
マリーは青くなって立ち止まった。
「……木の枝の間から、太陽の位置を確認してみろよ」
オレが言うと、マリーは引きつったように笑った。
「あ、そ、そうね! え〜っと、じゃあ、ドルニエ校長先生の本から写してきた地図を、確認、
確認〜っと、あれ? ない! ひょえ〜〜〜〜〜! 地図はどこに行っちゃったの!?」
「ひょっとして……これじゃないのか、マリー?」
オレは、さっきマリーが倒した怪物の消し炭に紛れていた紙切れを拾い上げた。マリーは、既
に半分以上焼けこげているそれをオレの手から奪い取ると、首を絞められた雄鳥みたいな声を上
げた。
「あ、あ、あ、あ、あ〜〜〜〜〜! どうしてっ!? あ! そうか! さっき爆弾を投げると
きに、一緒につかんで投げつけちゃったんだわ!」
「……そういう大事なものは、普通、爆弾と一緒にしておかないもんだろ……?」
オレがあきれながら言うと、マリーはオレの顔をにらみつけた。
「投げちゃったもんは、投げちゃったんだから、仕方ないでしょ! まあいいわ。地図のだいた
いの位置は頭に入ってるもの! え〜っと、ここから、太陽の位置を確かめて、と……。うん!
こっちが南東ね!」
「……西だぞ、マリー……?」
オレが言うと、マリーは、バツが悪そうに笑った。
「えっと、そうね! そうそう! そっちよね! そっちの方角に〜、鳥みたいな形の大岩があ
るはずなのよ〜!」
そのとき。
「マリーッ!」
「え?」
びゅん、という音がして、投げナイフが飛んできた。それは、さっきまでマリーの頭があった
場所を通過して後ろの木に刺さり、びんびんとしなっていた。オレは咄嗟にマリーの頭を庇った
が、そのナイフはオレの頬を掠めて、薄く血が吹き出した。振り返ると、数名のならず者たちが
オレたちの目の前にいた。
……賊だ。ひいふう、……五人もいやがる。
先頭にいた男が、にやにや笑いながらナイフを手で弄びつつ、言った。
「その杖は……錬金術師だな? 護衛にそんな小僧一人とは、……ずいぶんと余裕だな、姉さん。
大人しく、金目のものを全部出してもらおうか?」
オレは頬の血をぬぐった。
「ちっ……、盗賊、か?」
マリーは振り返りざま、ぎろりと敵をにらみつけた。
「……やったわね〜〜〜〜〜!」
そう言った瞬間には、マリーは相手が次の攻撃態勢に入る間もなく、神々のいかずちを投げつ
けていた。
辺りには巨大な白い稲光が発生し、それは周囲の木々をなぎ倒し、地面を叩き割るような音を
立てた。
「ぐわあああああ〜〜〜〜〜!」
「し、しびれる〜、か、身体が、しびれ、て……」
「た、た、助けてくれ、助けっ、くっ……」
情けない声を上げながら、五人の男たちは地面の上に這い蹲り、のた打ち回った。マリーは、
すかさず生きているナワを取り出した。ナワはするすると勝手に動き、あっという間に五人を縛
り上げた。
「……か、頭〜、こんな強力な爆弾を使うってことは……こいつ、火の玉マリーですよ……。あ
のシュワルベの一味をやっちまったって噂の……」
一人が言うと、頭目らしい男は、ナワにまかれながら部下をにらみつけた。
「くっ……、何でそれを早く言わねぇんだ、この馬鹿野郎!」
マリーは、かがみ込んで頭目の男の顔を見て、にっこり笑った。
「あんたが頭? ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
盗賊の頭目はマリーをにらみつけた。
「な、何だよ……?」
マリーは言った。
「この辺に、小高い岩山がないかしら? 頂上に、で〜っかい鳥みたいな形の大岩があるヤツ
よ?」
頭目は、顎をしゃくった。
「……そっちだ。その方角をまっすぐに行けば、嫌でも見える。しかし、岩山の先は……入った
ヤツは必ず迷っちまうという‘黒い森’だ。なんでもエルフロックが……‘エルフの悪ふざけ’
が森中に罠みたいに貼られていて、人間が入れないようにしているって噂だ。立ち入らねぇほう
が、身のためだぜ?」
マリーは目を輝かせた。
「本当〜! どうもねッ!」
歩き出したオレたちに、背後から賊の頭目が怒鳴った。
「おいッ! この縄! 縄を解いていってくれよー! もう、おまえたちには手出しはしねぇか
らよ!」
マリーは、くるりと振り返ると、笑顔で言った。
「しばらくそのままでいなさいよ! 後で王室騎士隊を呼んで来るから〜!」
頭目は、青くなってじたばた暴れた。
「何っ! くそ、こんな縄、自分で解いて……、うわあああ、あがあああああ〜〜〜〜〜、やめ
ろ、このナワ、勝手に絡んでくるぞ!」
頭目は、生きているナワに全身を絡まれ、まるで蜘蛛に捕らえられた獲物みたいにがんじがら
めになって、悲鳴を上げた。
「か、頭、大丈夫ですかい〜?」
部下が言うと、頭目は怒鳴った。
「ば、馬鹿野郎! 見てないで手伝え! これを何とかしろ!」
部下は力なく言った。
「……む、無理ですよ、頭……俺たちだって、この通りなんですから。それに頭、これが噂の‘生
きているナワ’ですぜ……。こいつは、絡んだヤツが、じたばた暴れればあばれるほど、一層ひ
どく絡みついてくるって代物で……。こいつに巻きつかれたら、大人しくじっとしているのが身
のためですぜ?」
頭目は、怒りで真っ赤になりながら大声をあげた。
「馬鹿野郎! そういうことはもっと早く言え!」
*
盗賊の頭目が教えてくれた方角に向かって歩いていると、向こうの方からかちゃかちゃと、武
具がぶつかる音が響いてきた。オレたちは咄嗟に臨戦態勢をとった。もしかしたら、大規模な盗
賊の一味かもしれないし、敵国の軍かもしれない。しかし、音が近づいてきて、その姿を現すと
……オレたちは、構えるのをやめた。
音の主は、馬に乗ったシグザールの聖騎士たちだった。先頭の月毛の馬に乗っていたのは……、
「エンデルク様!」
マリーが言うと、王室騎士隊の隊長は長い黒髪を揺らして、愛馬から、すたん、と降りた。
「……マリーか。こんなところで何をしている? ……また、錬金術に必要な素材の採取か?」
マリーはうなずいた。
「ま、そんなところです。エンデルク様は……見回りですか?」
エンデルク隊長は、うむ、と言ってうなずいた。
「近頃、この辺りに盗賊の一味が出没するという噂を聞いて、巡回に来たのだ。おまえたちも、
気をつけたほうがいい。もっとも……おまえにそんなことを言う必要もないだろうがな、マリ
ー?」
マリーは、笑顔で言った。
「あ、それそれ! ちょうど良かったです! ついさっきやっつけて、縛り上げておいたんで、
ちゃっちゃと連行しちゃってください!」
エンデルク隊長は、ぴくり、と眉を跳ね上げた。
「何! それはどこだ!?」
マリーは、オレたちが来た方向を指差した。
「あっちです! 生きているナワで縛り上げたから、逃げてないと思うけど……。後で騎士隊を
呼びに行こうと思ってたんですよ。ちょうど良かったわ〜!」
エンデルクは、ふっ、と口元を緩めた。
「……すまぬ。また、おまえには借りができたな?」
マリーは、へ? と言って目を見開いた。エンデルクは馬にまたがった。
「今年の武闘大会は……楽しみにしているぞ?」
そう言って、エンデルクは馬の腹を鐙で蹴り上げた。月毛の馬は嘶き、早足で駆けて行った。
青い鎧の聖騎士隊たちもその後を追い、風のように駆け抜けて行った。
「一件落着〜! さ、行きましょう、ルーウェン!」
そう言って、マリーはオレの顔を見て、にっ、と笑ってみせた。
6
森の中をひたすら歩いていると、ふいにマリーが立ち止まって大声で叫んだ。
「ねぇ、見て見てルーウェン! あれよ〜! あれが噂の大岩ね!」
マリーは前方を指差して、満面の笑みを浮かべた。オレもその方角を見て、息を飲んだ。
「本当だ……。うわあ、本当に鳥みたいな形だなあ〜……」
前方には、ごつごつした岩山があって、天辺には噂の鳥形の岩があった。その大岩は……ちょ
うど雄鶏が朝一番の声を上げるときみたいな形をしていた。立派なとさかを揺らしてそっくり返
り、今にも大声で鳴きそうな形をしていた。マリーは嬉しそうに言った。
「面白〜い! シアにも見せたいな〜!」
そのとき。
ぴちゃっ、とオレの鼻の上で水滴が跳ねた。
「ん? 雨、か……?」
オレが空を見上げて言うと、マリーは言った。
「うわあ〜、この時期、夕立が多いのよね、この辺りは……。ずっと降ってなかったのに〜……」
オレは前方を指差した。
「おい、マリー! 岩山に横穴が開いてるぞ! とりあえず、あそこで雨宿りするか……?」
マリーはうなずいた。
「そうね! 濡れたら、爆弾がしけっちゃうもんね!」
そう言って、マリーは走り出した。
*
「え〜っと、うん、大丈夫! 爆弾は無事ね〜……」
洞穴の中で、マリーはごそごそと荷物を確認して、にんまり笑った。オレは、外を見ながら言
った。
「すごい雨だな〜……。洞穴があって、良かったよ」
マリーは言った。
「そうよね〜……。でもまあ、すぐに止むでしょう? どっちにしろ、もう遅いから、今日はこ
こで野営ね!」
「そうだな。オレ、木切れを拾ってくるよ」
外では、雨が土煙をあげて降っていた。それは、煙幕みたいに辺りの景色を歪めていった。吹
き込んでくる水の匂いは、木々の匂いを孕んでいた。長い時間をかけて生えている木の匂いだ、
とオレは思った。雨は降り出す瞬間に、その場所が持っている匂いを辺り一面にぶちまけていく。
その辺にあった、濡れていない木切れを集めてオレが火をおこすと、マリーは感心したように
言った。
「いつもながら、そういうの上手いわね〜、ルーウェン!」
「慣れてるからな」
オレが言うと、マリーは、ふぅん、と言って、パチパチと音を立てて燃え出した火に手をかざ
した。
「あったかいわ〜!」
そう言って、マリーは微笑んだ。
*
その日の深夜、オレはマリーと交代で火の番をしていて、異様な気配に気がついた。ほら穴の
外から、低いうなり声が波のようにうち寄せてくる気配。長年この稼業をやっていると感じる、
‘人間に危害を加える生き物’の気配だ。オレは、傍らで眠っているマリーの肩を揺さぶった。
「……おい、起きろよ、マリー!」
「ん……、どうしたの、ルーウェン?」
マリーは、目をこすりながら起きあがった。
「しっ!」
オレは口の前に人差し指を立てると、マリーに言った。
「……怪物のうなり声みたいなやつが聞こえるんだ。耳を澄まして、聞いてみてくれ……!」
マリーは、こくん、とうなずくと、黙って辺りの様子を伺った。
……グ、グルルルルルル、ウゥウウウウゥガルルルルルルッ、グルルルルッ、ゥウゥウ……。
闇の中、獣の凶暴なうなり声が風に乗って聞こえてきた。それはだんだん大きさを増していっ
た。マリーは言った。
「……うん。いるわね……。しかも、明らかにこっちに近づいて来てるわ……」
オレは言った。
「ウォルフ、か?」
マリーはうなずいた。
「間違いないわ。目当てはあたしたちね。……それにしても、この声! 数が多そうね……。あ
〜もう! 昼間投げたので、フォートフラムはお仕舞いだっていうのに! え〜っと……」
マリーはそう言って、ごそごそと荷物を掻き回した。
「もう! 神々のいかずちが残り一個と、後はうにと、フラムしかないわ……。しょうがない!
これで応戦するしかないか!」
そう言って、マリーは口をへの字に結んで立ち上がった。
*
月のない、朔の夜だった。
雨はすでに止んでいて、星明かりが細々と射し込んでいたが、それでも視界はとても悪かった。
夏だというのに、冷え冷えとした夜風が背後の岩に当たり、それがウォルフたちのうなり声を反
響させていた。マリーは言った。
「……ルーウェン、あたしは爆弾を放るから、あんたは、こっちに接近してきたやつを追っ払っ
てね?」
オレはうなずいた。
「ああ……、分かってるさ。オレは、あんたが爆弾を放るのを邪魔させないように守るからな?」
マリーは、片目をつぶってみせた。
「まかせて!」
そのとき。
急に風が止んだ。同時に、ウォルフたちの声がぴたりと止んだ。
「……来る!」
オレが剣を構えなおした、その間隙を縫って、凶暴なうなり声と鋭い牙が飛びかかってきた。
「……ちっ!」
剣の先で切り払われた灰色のウォルフは、ギャ、とも、キャ、ともつかない声をあげて地面に
倒れた。それを合図のように、次々とウォルフたちがオレとマリーに襲いかかってきた。
「くっ、……こいつら、動きが早いぜ……。ザールブルグの近くの森に出るようなやつらとは桁
違いだ……たぁっ!」
剣を振り回してオレがウォルフたちを迎撃していると、後ろから、マリーが怒鳴った。
「下がって、ルーウェン!」
オレが慌てて後ろに飛び退いた、その瞬間、
バ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン、という音が辺り一面に響き、白い稲光が辺り一面に炸裂し
た。
それと同時に、そこいらのウォルフたちが、キャイン、キュウン、と鳴きながら跳ね飛ばされ、
白い腹を見せて地面に次々と転がっていった。マリーは額の汗をぬぐった。
「ふぅ〜、やったわね!」
オレはうなずいた。
「ああ、みんなやっつけたみたいだな?」
マリーは白い歯を見せた。
「ま、このくらいのザコ、ちょろいちょろい!」
しかし、次の瞬間、オレは青くなった。
「しっ! マリー……、よく見て見ろ……!」
「え? なぁに、どうしたの、ルーウェン? って……ひょえ〜! ま、ま、まだこんなにたく
さんいたの〜〜〜〜〜!」
マリーが吹き飛ばしたウォルフたちの後ろには、さらにその数十倍もの数のウォルフがひしめ
いていた。暗闇の中、獣の目は爛々と不気味な光を放っていた。突如、そのうちの一匹が空を切
ってマリーに飛びかかってきた。
「あぶない、マリー!」
オレが庇ってマリーを伏せさせたその真後ろを、黒いウォルフがガチガチと牙の音をさせなが
ら飛んでいった。オレはすぐさま向きを変えると、ウォルフをにらんで剣を構えながら、マリー
に言った。
「……完全に囲まれたか……。多勢に無勢だな。マリー、フラムはあといくつある?」
「ん〜……、十個はないわね……」
「よし、奴らが集まってきたところで五、六個立て続けに投げろ! 奴らが怯んだら、その隙に
洞窟の奥に逃げよう!」
「……え〜! で、でも、奥に逃げて、大丈夫なの?」
「心配ない。さっき焚き火をしていたときに、向こうからも風が入ってきてるのに気がついたん
だ。どこかに抜け穴があるはずだ……!」
「……分かったわ!」
そう言って、マリーは口元を引き締めた。ウォルフたちのうなり声は次第に数と近さを増し…
…それはあちこちに反響した。
「……今だ、マリー!」
「よぉ〜し、いっけえ〜〜〜〜〜!」
マリーの投げつけた数個の爆弾は、手前のウォルフたちを吹き飛ばし、辺りには煙がもうもう
とたちこめた。
「よし、こっちだ、マリー!」
オレはマリーに怒鳴ると、洞窟の奥に向かって駆けだしていた。
*
大分走って奥までいったところで、オレたちはどちらからともなく足を止めた。オレはどさっ
とその場に座ると、マリーに言った。
「……やれやれ。ここまで来れば、もう大丈夫だな?」
マリーはオレの隣に座ると、汗をぬぐいながら言った。
「ふ〜、あいつら、ただのウォルフじゃなくって、ヤクトウォルフね……」
オレは言った。
「……そうだな。に、しても、すごい数がいたな?」
マリーは感慨深げに言った。
「あたしの故郷のグランビル村にも、昔はすごい数のヤクトウォルフが出たらしいわ。……中で
も巨大なヤツがいて、‘ウォルフの王’なんて呼ばれてたらしいのよね。村の人が使う泉の付近
に巣くちゃって、大変だったらしいわ」
オレは言った。
「……そいつは、退治したのか?」
マリーはうなずいた。
「うん。でもね、退治したのは、錬金術師で、しかも女の子だったんですって!」
「へ〜、そりゃ、すごい腕をしてたんだろうな?」
オレが言うと、マリーは、そうなのよ、と言ってまた大きくうなずいた。
「レオさんが言ってたわ……。って、ああ、レオさんっていうのは、昔ザールブルグで武器屋を
やってたんだけど、引退してグランビル村に引っ越して来た人なのね。で、あたしがちっちゃい
ころ、よ〜く、話してくれたの……‘ザールブルグの錬金術師’の話をね」
オレが、へぇ〜、と言うと、マリーは得意げに言った。
「何でも、その錬金術師の女の子は、武闘大会で優勝するほどの猛者で、ウォルフの王だけじゃ
なくって、ヴィラント山のタイタスビーストや、エアフォルクの塔のビヒモスを倒し、ザールブ
ルグの街よりも大きな巨大ぷにも倒して‘ぷにぷにスレイヤー’の称号をもらったばかりか、史
上最強の怪物と言われた狂騎士、‘黒の乗り手’をぶっ倒したという、伝説の女の子なのよ!
かっこいいわよね〜!」
オレは……、ものすごく筋骨隆々とした雲を突くような大女が、杖を振るいながら怪物たちを
を倒している図を想像した。
「そうだな……かっこいい、かもな」
そのとき、マリーが洞窟の奥を指さした。
「あっ! ルーウェン! あっちの横穴、何か光ってる〜!」
マリーが言った。
「あ、ああ。……何だろう? まだ夜だし……日の光……じゃ、ないよな」
マリーは言った。
「……確かめてみましょう!」
オレは慌てて言った。
「おい、マリー……化け物だったら、どうするんだ?」
しかし、そんなオレの制止も聞かず、マリーは光の方向に駆けだしていた。慌ててオレも洞窟
の奥にある横穴に入り込んだ。
そのときだった。
「……ル、ルーウェン! 何これ……?」
マリーは大きな目をさらに大きくして、横穴の奥にあった鳥の巣を指さしていた。巣の中には
……美しい白銀色の光を放つ、大きな卵が静かに置かれていた。オレは、ごくりと生唾を飲み込
んだ。
「……これは……もしかすると、カルナックの卵、か……?」
マリーは言った。
「すごい……。キレイだわ……」
オレはうなずいた。
「昔はヴィラント山に生息してたけど、今じゃすっかり絶滅したって話なのにな……」
オレがそう言った瞬間。
ぱきん、と乾いた音がして、卵に小さなヒビが入った。
「ル、ルーウェン! 卵にヒビが入ったわ! わ、割れちゃったの〜!?」
「いや、割れたんじゃなくって……雛が、孵るのか?」
卵の中からは、こつん、こつん、と音が響いていた。オレは卵に近づいた。
「ん? あ、そうか……普通は、親鳥が、外からつつき返してやるんだろうけど……こいつには
親がいないんだな……。よし、待ってろ!」
オレは、雛鳥の嘴があるあたりをさぐって、卵の殻を外から爪でこつこつと叩いた。
「うまいのね、ルーウェン?」
マリーは感心したように言った。
「……昔、家で飼ってた鶏の雛は、こうやって孵してやってたんだ」
オレが言うと、今度はマリーはあきれたように言った。
「……それ、鶏と全然違うと思うけど?」
しかし。
オレの爪先の感触を確かめるように、雛は次第に力強く殻をつつきだした。
「……よし、もう少しだ。頑張れよ……?」
オレがそう言ったとき。
今度は、バキン、と固い音がして、薄青い嘴があらわれた。
「あ……! で、出てきた!?」
マリーは嬉しそうに言った。
「ああ。……ほら、見ろよ、マリー?」
卵に開いた穴からは……まばゆい光が発せられた。
「……きれい……」
マリーは、息を飲んでそれを見た。
嘴に続いて白銀色の頭が現れ、続いて、黒曜石のようなつぶらな瞳がのぞいた。その瞳はくる
くると回りながらオレを見た。そしてその次の瞬間には、ぶるぶると卵全体が揺すぶられ……卵
は、完全に割れた。
その鳥は……光の塊みたいだった。
オレたちは、言葉もなくそれを見ていた。鳥はオレたちに向かって、高く澄んだ声で、長く長
く鳴いた。
「ル、ルーウェン、鳥が……お礼言ってる?」
マリーは、オレの服の腕をひっぱった。
「いや、……単に、無事に孵れて嬉しいって言ってるんじゃないのかな?」
「あ、もう羽根を広げた! 早いわね〜!」
生まれたてのカルナックは、二、三度自分の身体の感触を確かめるようにしてその大きな翼を
はためかせると、全身をぶるっと揺さぶった。
「あ、飛んだ! 飛んだわ、ルーウェン!」
マリーが叫んだときには……カルナックは、洞窟の中を静かに旋回していた。
「……どこに行くんだ?」
オレがそう言うと、カルナックは、横穴のさらに奥に入っていった。マリーは大声で言った。
「ルーウェン、後を追っかけましょう!」
オレはうなずいて、カルナックの後を追った。
しかし。
「おっかしいわね〜。さっき、こっちの横穴に入ったのに?」
マリーは首をひねった。巣のあった場所から少しはいっただけの場所はがらんどうで、もうカ
ルナックの姿はなくなっていた。
「ん? ……これは、……さっきのカルナックの羽根、か?」
オレが地面に落ちていた白銀色の羽根を拾い上げた、そのとき。
しゃらん、と鈴が鳴るような音がした。
「ルーウェン!」
マリーが怒鳴るのと、オレの視界がぐにゃぐにゃに歪みはじめるのが、同時に起きた。
「え……?」
オレが驚いて見ていると、マリーは凄い顔でオレの腕をつかんだ。その瞬間、白銀色の光がオ
レの身体を包んだ。
マリーが何か言っているようだったけど、オレの耳には入らなかった。光は瞬く間に周囲の風
景を流し去り、オレには……何も見えなくなった。
7
「ルーウェン、ルーウェン!」
がくがくと揺さぶられてオレが目を開けると、そこには、
「良かった、ルーウェン! いくら揺さぶっても起きないんだもん!」
嬉しそうに笑っているマリーがいた。もう昼なんだろうか? 辺りにはまぶしい太陽の光が射
していた。オレが寝ていたのは淡い色の草が揺れている草原で、向こうのほうには小高い丘が見
えた。オレはぐらぐらする視界をたたき直すように、大きく息を吸い込んだ。
「……頭が痛いな。もっと優しく起こせないのか、マリー?」
オレが言うと、マリーは少し口を尖らせた。
「……じゃあ、シアみたいにやればいいわけ?」
オレはマリーの顔を見た。
「……どういう風なんだ?」
マリーは、にっ、と笑った。
「シアはね〜ぇ、絶対に揺さぶらないし、大声も出さないんだけど、あたしが起きるまで、絶対
に動かないのよ。しかも、ず〜っと、にこにこしてるの。それでね‘ねえ、マリー、起きて?
ねえ、マリー、起きて’って同じ調子で延々と言い続けるのよ〜」
「優しそうで、いいじゃないか?」
オレが言うと、マリーは首をぶんぶん横に振った。
「……何十分でも、何時間でもそうなのよ〜! そんでもって、あたしが起きるまで、ず〜っと
笑顔で、ず〜っと微動だにしないのよ〜! 半日そうやってて、ぶっ倒れたこともあったのよ
〜! ねえ、恐いでしょ?」
「……それで起きないあんたの方が恐いよ」
オレが言うと、マリーは、すっ、と立ち上がった。
「ま、とにかく、ここがどこなのか、確認しましょう!」
「ああ……。オレ、さっきカルナックの羽根を拾ってから……どうなったんだ?」
オレが尋ねると、マリーは言った。
「びっくりしたわよ〜! いきなり消えかけちゃうんだもん、ルーウェンってば! あたしも慌
ててあんたの腕を捕まえたんだけど、ものすごくまぶしい光に包まれて、で、気がついたらここ
にいたってわけ」
オレも、立ち上がった。
「もう昼なのか?」
マリーは言った。
「それが分からないのよね〜。あんたが意識をなくしてたのは、ほんの数分なのに、もう日が昇
ってるんだもの……」
オレは辺りを見回した。
「……とりあえず、あっちの丘の上に行ってみよう。高いところに昇ったら、何か見えるかもし
れないしな」
*
丘の上から見回すと、辺り一面は緑の草原だった。ただ、その先、少し行った方に、小さな森
が見えた。
「……ね、ねえ、ルーウェン!」
マリーは指さした。
「何だ?」
オレが言うと、マリーは真剣な顔で言った。
「あれ、あそこの森の真ん中にあるひときわでっかい木! あれって、もしかすると、もしかし
て、‘サジエスの大樹’なんじゃないかしら?」
オレはマリーが指し示した方向を見た。たしかに……ひときわ大きな木が、他の木々を後目に、
高く飛び抜けている。オレは言った。
「う〜ん、どうだろう?」
マリーは得意げに言った。
「間違いないわ! 本に描いてあった挿絵にそっくりだもの! ふっふっふ……怪我の功名って
ことかしら? さ、行きましょう!」
「あ、おい、待てよ、マリー!」
その前に、どんな怪物が出るか分からないから、もう少し慎重に行動した方がいいんじゃない
か、とか、エルフの縄張りにはたくさんエルフロックが仕掛けてあるから、目に見えるものをそ
のまま信用するのはまずいぜ、とか、そんなに走らなくても森は逃げないんじゃないか、とか、
オレはいろいろと言おうとしたけど、すでにマリーは、その長いたっぷりとした髪を風の中に広
げながら、丘を駆け下りていた。
*
「……もう、嫌……。さっき、丘の上から眺めたときには、ちっちゃい森に見えたのに……いつ
までたっても、あの木に近づけないわ〜」
そう言って、マリーは脚を投げ出すようにしてその場に座り込んだ。オレはため息をついて辺
りを見回した。オレたちは大きな木を目指して森の中を歩いていたが、いくら歩いてもいっこう
にたどり着けず、ついにマリーは音を上げてしまった。しかも奇妙なことに、森に入ってからず
いぶん時間が経ったはずなのに、太陽の位置が全く変わらないから方角もよく分からない。
「お、おい、マリー! これ、見ろよ!」
マリーは、ん〜? と言ってこっちを向いた。オレは木の幹を指さした。
「さっき、この森に入ったとき、目印にオレが剣で斬りつけておいた傷だ……。オレたち、さき
から同じ所をぐるぐる回ってるだけみたいだぜ?」
マリーは、がっくりと肩を落とした。
「は〜、意地悪な森ね〜……。さっきから、あの大樹が見えてるのに、全然たどり着けないし…
…」
オレはマリーの横に座った。
「ま、仕方ないさ。そうすんなり行けるような場所じゃないんだろ? なあ、マリー。オレ、昔
聞いたことがあるんだけど……。ここって、エンクレーヴの中なんじゃないのかな?」
マリーは、へ? と言ってオレの顔を見た。
「……何よ、それ?」
オレは言った。
「うん。時空間の‘飛び地’ってやつらしい。……昔さ、金持ちの商人の旦那を護衛したときに
……聞いたことがあるんだ。その人は、若いときにベルグラド平原の奥地を歩いていて、突然、
大雨に降られて、近くの大木の下に身をよせたんだって。そしたら、いきなり、視界がぐにゃぐ
にゃになって……こんな風な、明るい緑の草原に出たことがあるって言ってたんだ。で、……驚
いて周りを見たら、この世のものとも思えないような、そこに金色の髪の美人と、十二、三歳く
らいの男の子がいたんだって。」
マリーは、ふ〜ん、と言った。
「で、どうやってそこから出てきたの、その人?」
オレは言った。
「それがさ、その二人ってのは、よく見ると人間じゃなくってエルフだったんだって。で、すご
い美人の方が、鬼のような形相で小さいエルフをにらんで、‘また間違えましたわね! エンク
レーヴを発生させたのは良いものの、関係のない人まで巻き込んで! お仕置きです!’って言
って手の中に光の玉を出したんだって。そのとき、小さいエルフが泣きながらその旦那の後ろに
逃げ込んできたんで、その美人が投げつけた光の玉は、旦那を直撃して、旦那はそれっきり、身
体がしびれて意識をなくしたらしい。で、気がついたら、元の場所に戻ってたって話だぜ?」
マリーは、投げ出した脚を上下にぶらぶらさせた。
「ふ〜ん。じゃあやっぱり、これって、エルフの仕業なの?」
オレはうなずいた。
「間違いない。ほら、さっきから、太陽の位置が動いてないだろ? ……時間が経ってないんだ
よ」
マリーは、大きく息を吐き出した。
「……じゃあ、どうしろって言うのよ〜!」
そのとき。
また、しゃらん、と音がした。
え? と思って音の出所を探すと……オレがベルトにさしていたカルナックの羽根だった。
「ルーウェン、それ、光っ……!」
マリーが叫んだ瞬間、また、オレの視界はぐにゃぐにゃと歪みはじめた。
「……またか!?」
オレが言うと、マリーはオレの腕をつかんだ。
「ちょっと、どこにルーウェンを連れて行こうっていうのよ〜!」
白銀色の光が辺りを包み、また、何も見えなくなった。しかし視界が完全に白くなる直前、オ
レの目の前には、一瞬だけ、さっきの雛鳥が現れたのが見えた。
雛鳥は、黒曜石のような黒い目でオレの顔をのぞき込むと、音もなく羽根を広げて飛び去って
いった。
おまえ、もしかして……オレたちの手助け……か?
オレが頭の中でそうつぶやくと、鳥の澄んだ鳴き声が、長く長く響き渡っていった。
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