Lee-Cookie氏がFSHISOに過ごした、その時代のアクティブ氏と、毎日メールの
やりとりが続いている。考えてみると、私は、こういう問題について、このような
1対1の「やりとり」を重ねたという経験がない。それはPATIOであったり、オフで
あったり、常に複数の人間が「そこにいる」環境で行われてきた。
もちろん、議論の対象というのはFSHISOの当時に限らない。国家観、思想、歴
史観、コミュニケーション、多岐に渡ってのものである。たまたま、この方が私の
勤務先の、私にとっては優秀な先輩、正直に書けば憧れの感情を有したことが
ある−方をご存知であったこともあり、これはこれで、私もタイムスリップを楽し
ませてもらっている。
私は今、FSHISOでは、2番で「軽い話」を書き込んでいる。コーヒーの話、古書店
の話、いわば雑談と言われる類の内容である。というのは、アクティブ氏とのやり
とりに、それは日に1通というメールのやりとりではあるのだけれど、そちらにウェ
ィトを置いているからである。告白すれば、FSHISOで、今、何か新しいテーマを提
起するという時間も、気力もない、というのが正直なところだ。
このHPにも以前記したが、私がFSHISOに入会したときに、輝虎氏というアクティブ
がいた。現SYSOPはどうか知らぬが、WAKEIさんの信頼の厚い方だった。この方と
の議論を通して、私は「論じることの醍醐味、面白さ」を学んだ。今、やりとりしてい
るコミュニケーションというものには、当時の感覚を呼び起こしてくれるものがある。
輝虎氏と私の間の議論には「暗黙の了解」にも似た雰囲気があった。少なくとも私は
そう思っている。時々挑発もする。怯まない。やりとりは激しい。対立点ははっきりし
ている。それを尊重し、認めた上で、互いが議論をそらさずに、論点を擦り合せてい
く。コミュニケーションというのは「ひとつの共同作業」であることを私に教えてくれた
方である。
今回のように、二人の「やりとり」になると、少なくとも「挑発」などということが双方に
生じるはずはない。ただ、それだけに心地よい、フォーラムの発言とは別の緊張感
が伴う。少なくとも、この支援をWAKEIさんから要請されたとき、脳裏にもんすらなか
った出来事が淡々と示される。静かな環境で私はそれを読む。そして色々なことを
考えさせられる。
「知らなかった。脳裏にも浮かばなかった」と書くことは実は簡単である。自分の内面
に、ここにそう書くことにより、無意識に「何か免罪符」を得たいという気持ちが働いて
いることを、自分だけが知っている。
支援活動自体は、既に終わったことである。WAKEI氏は高裁で逆転勝訴を獲得した。
それは、支援するメンバーの共通の目標でもあった。私はこのメンバーとは最後まで
行動を共にすることをせず、そのことも自分で決めた。WAKEIさんが、そのことについ
て「今では大変残念なことになって」という趣旨のことを書かれていたが、どうしてそう
いうことをお書きになったのか。何が残念なのか。私は今でもわからない。私にとって
それは「残念」というよりは「必然」としての一本道以外に想像することはできなかった
からである。拙い思想であっても、そのことに忠実であろうと努力すれば、そういう結
論を導き出すのは、当然のことである。「言っていることとやっていることが違う」なら
ば「何故そうなったのか。何故、変わったのか」説明するのは当然のことだ。
とはいえ、私はこの訴訟が「勝利」を得たことを喜んだ。このメンバーと対立したことを
もって「負ければいい」などと考えたことは一度もない。それは全く別の問題である。
支援活動は幕を閉じた。しかし、私は「密かに課したこと」を持ち続けた。それは前回
に書いたとおりである。やはり、私は迂闊であった。ネットを通じての支援活動で一体
どんなことができるのか。何が可能で何が不可能なのか。そういう現象面にばかり、
目を奪われてしまった面が私にあったのかもしれない。問題の背景、バックグラウンド
というものをきちんとおさえることを私は怠った。
氏とのやりとりの中で、淡々と、それが静かに語られる。FSHISOの私をみている方は
「花田など何があっても厚顔で怯まない」と思うかもしれないが、私は良し悪しは別に
しても、それほど無神経ではない。問われること、本当に議論するということは、実は
簡単でもなければ、楽なことでもない。自分を問い続けるという検証にも似た日々を
過ごすようになった。これは私にとっては実に重たいことである。
しかし、これは克服しなければならない。
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