いつだったか、FSHISOで「特攻」のについて、問題提起の発言を書いたとき、ティモ氏
だったか「今の時代から、当時の様相を、その時代の価値観で批判するなどという安
易なタイムスリップ発言など茶番である」そういう趣旨のコメントを頂戴した。
それから、このテーマの議論が随分と続いたが、私はこの時の「タイムスリップ」という
言葉から、時折、別のことを考えるようになった。
私は、今までFSHISOでの募集を初め、個人的に主宰したものも含めれば、4回ほど、
オフラインミーティングを企画してきた。しかし、ここに集った人々というのは、訴訟時を
実際に知る会員はいなかったと記憶している。いや、いらっしゃったかもしれないが、そ
ういう話をする機会はなかった。
これ以外に出版の打ち合わせについてのオフに何度か出たことがあった。
しかし、よく考えてみると、当時のFSHISOの雰囲気、バックグラウンドについて、踏み込
んだ問いかけをしたことがない。それらは、どちらかといえば断片的なものであった。
それがいいとか悪いということは別にして、私の耳に入ってくる話というのは、WAKEI氏を
初めとする「支援者」が、思い出したように語る出来事だった。勿論、当時、私がそのこと
を殊更に訊ねたというわけでもない。過去のいきさつというのは、少々の資料を読んでも
その「息遣い」までを感じるには、ほど遠いものがあったし、当時は、そんなことよりも、前
に向って進めなければならない問題が山積していたのである。
推進室の私がいる。FSHISOの私がいる。FSHISOでは騒動は日常茶飯事のような状態
で、そのひとつひとつが眼前でおこる。その場で対処していく。激烈な雰囲気を何度もみ
てきた。それらひとつひとつに対処していくうちに、私はこんなことを時折、片隅に思うよ
うになった。
「一体、何故、Cookie氏は訴訟という手段を選択したのだろうか?」
そういう実に素朴な疑問であった。なるほど、創生期のFSHISOと、当時のFSHISOでは
違うのだ、この訴訟を契機にFSHISOには「参加者によるローカルルール制定に向けて
の議論がなされ、実現をみたのではないか。ルール後とルール前では、やはり求める
ものも違えば雰囲気も違ったのだ」
そういう話で、あえて片付けるといおうか。口当たりはいいのだが、それはどうもおかし
いのではではないか。私は一人でそういうことを考えるようになった。
「しかし、なんで訴訟になったんですかね」そういう問いに対してWAKEI氏は確か「わか
りませんね」という答だったと思う。「そんなもの、わかりたくもない」とWAKEI氏が思っ
たところで、その点について、私はそのことを責めようとは全く思わない。
更に、もうひとつの疑問があった。
私が属してからの出版推進、訴訟支援にLee氏の姿が全くみえなかったことである。
PATIOにも、実際の打ち合わせにも、氏の姿は全くなかった。そういうことはおかしい
のではないか、という疑問がメンバーの中で噴出したこともある。私など実際に、郷里
の近くに当時、氏の勤務地があって「機会を作って花田さん、LEE氏に会って参加す
るよう説得してはもらえないか」とWAKEI氏だったか、頼まれたこともあった。
さすがに、一面識もなく、当時のFSHISOの会員でもない者が、これを要請するのは、
重たいものがある。その要請はお断りした。
さて、タイムスリップの話である。
私は、前々から「オフの幹事は5回まで、それをひとつの区切りとする」と決めていた。
あとはもう、時々に応じて交友のある人々と、ふらっと会う、さほどの計画も立てること
なく、時間も場所も気にせず、勿論、フォーラムの話題だけに限ることもなく、自由きま
まに会う機会があればそれでいい。
そして、何かのどこかのタイミングで、私の知らない訴訟当時の、初期のFSHISOのアク
ティブとお会いする機会はないものだろうか。被支援者は「わからないこと」でも、案外、
周囲では、違った視点で気がつかない多くのことがみえていた、ということはある。そう
いう機会を作れればいいなぁと思っていた。しかもそれが噂話や世俗的なことではなく
きちんと当時の問題を語ることができる方との出会い、ということになる。
その機会は、数日前に偶然、訪れた。
私のHPをご覧になったのだそうである。頂戴したメールには、このHPについての感想
が書かれていて、既にFSHISOを退会して相当になることが書かれていた。以来、その
方とのメールのやりとりが始まった。何通かやりとりをしてみれば、その方が上述した
私の求めるものに合致することなど、すぐにわかる。温厚な、それでいて力強さを感じ
る文体、調子である。そこに書かれていることから、当時のログをみれば、その方の、
FSHISOでのハンドルネームを推測することは可能だろう。しかし、そんなことをする必
要を私は感じない。
私の中で、いくつもの驚きが、実はあった。私がここに記した「ごく普通のありふれた疑
問」それが、ゆっくりと溶けていく。点が線になるというのは、こういうことだろう。
もし、このことを私が事前に知り得る機会を有していたら、私は全く違うことを考えた。
訴訟支援などということが、できたかどうか。少なくとも相当悩むことになったことは疑う
余地がない。
実は、私はこの点で、一瞬ではあるが、WAKEI氏にお訊ねのメールを出そうかと考え
た。しかし、そのことは考えただけである。実行に移すという気にはならなかった。
どんな返事がこようと、その時に戻れるわけでもなく、どんな返事であろうと、それは私
には何ひとつ、心穏やかでいることは、やはり難しいだろう、そう考えたからである。
まいったなぁと思う。私の想像を超えたバックグラウンドに打ちのめされそうになる。
しかし、こういう方と巡りあえるとは実は思わず、一方では、こういう方と巡りあえる「縁」
を仲介してくれたということは、ひょっとしたら、それだけでも、このHPを開設した意味は
あったといえるかもしれない。
来年、この方とお会いできる機会に恵まれそうである。当時の話、今の話、そしてこれか
らの話。私は自分の情報管理については、それなりに色々と考えることもあるのだけれ
ど、これほど、お互いの個人情報を早い段階で公開するということはなかった。
これで、私が密かに課していた「全てのけじめ」が、つくことになる。
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