「WAKEIさんがあなたを(利用)した、などと書くのはいかがなものか」
前回の更新後、旧知の方からそういう抗議(??)があった(笑)
「利用したっていいんじゃない。利用できると思ったのだろうから」そう答えておいたら
「そりゃそうなのかもしれないけど云々」と、相手の歯切れが途端に悪くなった。
誰彼なくというわけではないが、私にしても、本当に気のおけない関係にある方には、
時折、個人的なお願いをすることはある。それ自体は別に悪いことでも何でもない。
たいしたことはできなかったが、そのこと自体を責めるつもりは全くないし、利用された
などと立腹しているわけでもない。最初にそのことに触れておく。
「花田さん、バール・カルトさんと喧嘩したの?」
カルト氏と私を共に知っている方から、随分前に、そんなことを問われたことがあった。
「ん? どうして、そんなことを聞くの?」と逆に訊ねたのは私である。
「喧嘩しちゃってね、とカルト氏が言っていたから」
もちろん、実際のニュアンスが本当に「喧嘩しちゃってね」などというものであったのかど
うかは、私は知る由がない。しかし、氏が、少なくとも私からみれば唐突に、あの伏字が
やたらと多い、部分的な「出版推進室」の発言群を、まるで何かに憑かれたかのように、
FSHISOに登録し続けた。それは「花田と確信的に喧嘩する」という決意の下に行われ
たことだと私は理解している。私がそれに対して保留措置を要請し続けたのは「事前に
許諾を得るというプロセスが存在しないこと」「発言を登録すること自体は妨げないが、
それならば、伏字などせずにきちんと経緯がわかるようにUPすべき」その2点の理由に
よる。実際に原文を持っている私ですら、あれを読まされると「何がどうなっているのか」
わからなかったものである。
もちろん、その行為は、カルト氏なりに考えた「正義の実現」ということなのであろう。それ
自体は確信的なものである。もし「喧嘩しちゃってね」などというニュアンスで述べたので
あれば、むしろ、私の方が何とはなく拍子抜けしてしまう。本気で喧嘩するつもりでやった
ことである以上、堂々としていればいい。
あの騒動が始まったときに、私の周囲は「祭りの予感」でも感じていたのか、色々と楽しん
でいたようである。「どういう結末になるか」筋書きのない顛末を予想することに終始してい
た。困ったものである。
当時、私はひとつだけ知り合いの弁護士に訊ねていたことがある。
「カルト氏は、私が公に開示していない個人情報を知っている方である。もし、そういう情報
までもFSHISOに開示されたら、それに対してどう対応するか、知恵を貸して欲しい」
「わかりました。まぁ(カルト氏の職業を有する方の中にも)色々な人がいますからね。
しかし、カルト氏が、あれだけ花田さんの要請と静止を無視して、事を続け、運営側も
そういう事態に対処しようという姿勢が希薄にみえる状況ですから、これではネットの
中では解決しないということは考えておいた方がいいですよ。そのときにどうしますか。
はっきり言えば、法的手段による解決を考えざるをえないという覚悟はありますか」
「そうなったら、その時の時点で考えましょう」そう返事をしておいた。「(氏に対して法的
手段を最悪、とったにしても)恫喝ということにはならないと思いますが」
それはそうかもしれない。しかし、少なくとも経緯はどうあれ、私が頼みごとを、それも、
非常に面倒なことをお願いし、その橋渡しに労をとってくれた方に対して「法的手段」な
どと言われても、私は全く実感がわかなかった。
私の周囲は勝手にああだこうだと、微笑ましさを感じさせてくれるほど、色々な予想や
見解を寄せてくれた。温度差があるもの、それをあまり感じさせないものも含めて、あ
あいう状況を第三者がどうみているか、そんなに知る機会もないわけで、色々と考え
るきっかけになったことも事実である。
「花田さんがやっていることは酷いと思う人がいる。しかし、だからといって、お願いご
とに尽力してくれた方にささやかなお礼をする行為を、放置した、返そうと思っている
うちに時間が立ってしまい結局は棄てたということをネットに書く方の評価が高まると
は正直思えない。白けた雰囲気になるんじゃないのかなぁ」
そのあたりのことは、私にはよくわからない。別にそういうことを暴露されたからとい
って、悪いことをしているわけでもないからである。そういう意味では、そのようなこ
とを書かれたからといって、何かを感じるというようなこともなかった。面白い方だな
ぁとちらと思ったくらいである。
「あの結末に、氏は、花田さんが読めない場所で書かれたといういくつかの発言をも
登録するのでしょうか。もしそうだというなら、それはそれで筋の通った話ではありま
すね。いいとか悪いということは別にしても」
私もそう思っていた。ただし、現実はそうはならなかった。カルト氏は「(許可があれば)
その発言をここに開示する」とまでは書かれたが、話はそれきりになった。おそらく許可
しなかったからだろう。言葉は悪いが、何か全体が腰砕けのようになってしまった。
人にはそれぞれ自分が信じる「正義」「倫理観」というものが、おそらくはあるのだろうが
これで、私は「バール・カルト氏が一体、何を考えて、どういう効果を予測していたのか」
「何を公の場に訴えたかったのか」実はわからなくなってしまった面がある。
「そんなもの、決まっているじゃないですか。花田さんの評価の下落ですよ」
「内心、快哉を叫んでいる方もいるかもしれないじゃないですか」
なるほど、自分のことになると、案外わからないもので、そんなものかなと思う。果たして
本当にそういう効果があったのだろうか。そういう実感は、私にはないのだが。
もちろん、そういうことをカルト氏に訊ねようとは思わないし、そういう機会を作ろうという
気もないし、そのような機会が訪れることもないだろうし、万一、あったところで、その機
会を利用しようとも全く考えない。というのは、あの出来事を、元々の当事者たちが一体
どういう考えを持ってみていたのか、などということを考えると、何ともいえない空しさに
襲われるからである。「どろどろしているなぁ」と、私はしみじみ、そう感じたものである。
そういう「理由」をわかりたいとも思わない。私が氏に問うた「WHY」の殆どに回答を
得ることができなかった以上、或いは、理由らしい理由など、さしてなかったのではな
いか、ただ、氏は「そうしたかった」ということなのだろうと思う。それで得るものがあっ
たというのであれば、そのことについて私は「よかったですね」と申し上げたい。
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