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花田氏へ(最終) 投稿者:キャプテン 投稿日:10月18日(木)15時47分15秒
花田信一郎さん、こんにちは、キャプテンです。
文節ごとでの直答では、うまくズラされているものの、全体としては大変
わかりやすく明快にお答えいただきました。ありがとうございます。
では、パッと見は、わかりにくい花田氏のご主張を花田氏の感じ方の視点
から時系列で下記のように纏めてみました。
これで「ループ」はないでしょう。(笑)
異議や誤解があればご指摘ください。
【花田氏の主張する経緯と意見】
@WAKEI氏の訴訟問題を支援する活動は、意義深いことであり、活動グループ
内の雰囲気もフェアで自由なものであった。
A私(花田氏/以下同じ)が、グループを離れたあと、グループの活動背景
にあった精神性みたいなものは壊れていった(ようだ)。
B著美氏およびtty氏は、私の反論できない場所で、私に対するひどい発言
行為を行なった(ようだ)。
C「B」のような行為に対して、私は、このHPで彼らの行為を指摘し、私
の反論権を認めるよう指摘した。
D「C」の私の行為は、彼らグループには気にくわなかったようだ。
Eグループ実質上の主催者WAKEI氏とPATIO管理者純氏は、私に対する説明責任
を果たしていない。その理由は「D」の理由のようだ。
F一連の彼らの対応から、私は、「彼らが(世の中に)主張していたこと」と、
「自分たちの場に関してその主張が機能していないこと」を比較して、その
違いこそが彼らの欺瞞だと思う。
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ここからは、私(キャプテン)の意見です。
なお、内容は以前花田氏に指摘したことと重複する部分があります。
【私見/キャプテン】
そもそも、共通の目的で集まった彼らが閉じられた場でどのような内容を電子
的方法で書き込んでいたにしても、よほど反社会性や犯罪性の強いことでない
限りは、彼らの自由であるというべきである。花田氏がいかなる方法でその「
事実」を入手したかは知らないが、その「内容入手」という事実こそ、まず
非常識であり非倫理的であるということを指摘しておきたい。
(ただし、その行為が能動的か受動的であるかということに関しては重要な要
素だと考える。)
さて、とにもかくにも彼らの閉じられた場における自身への(おそらくかなり
強烈な)批判行為を知ったわけであるから、人の情として激昂し憤激するこ
とは理解できる。また、自身の反論の機会を要求することについても理解の
範疇ではある。しかしながら、それを拒絶する自由や権利も彼らにはあると
いうことを花田氏は考えるべきだ。
前述の「内容入手行為」と「彼らの(花田氏の反論権を)拒絶する自由」を
併せて考慮した場合、現在FSHISOにおいてtty氏と繰り広げられている「論争
」は、tty氏側とすれば仕方のない対応であると考える。いや、むしろ閉じら
れた場における発言を名(HN)指しで「誹謗中傷」という言葉を何度も使
って批判した花田氏の行為は、人としてあまりに行き過ぎた行為ではないか。
人は理念だけで生きているわけではない。理想や信念というものは時として
やむなく変節しなければならない局面というものが誰しもあるものだ。
過去の訴訟支援グループの対外交渉的な役割を担ったこともある花田氏が
そのような人間社会の機微が理解できないはずがないではないか。
にもかかわらず、長広舌を繰り広げるありさまは、残念ながら「私怨による
復讐」という図式にしか見えなくなってしまっている。
仮に、彼らの不公正さを厳しく指摘するのであるならば、花田氏自身の公正
さをも厳しく点検したうえでのものでなければ、到底第三者の理解を得られ
るものではない。上記の私の指摘を真摯に受けとめられて、すみやかに鉾
を納められることを忠告するものである。
このホームページを一旦リセットしてはいかがですか?
#これをもって、私の意見を終えます。花田氏には無礼なことも述べました
が、私の真情をお汲み取りいただくことを切に祈っております。
返答は結構です。では、さようなら。
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BBSの方に「【花田氏の主張する経緯と意見】」については、補足した一文を掲載して
おいた。ここでは、キャプテン氏の私見について、返答ということではなく、私の意見
を述べることにする。
ちなみに「苺」のえふしそ板で「キャプテン氏がまともになった」などという一文があった
が、私は、以前から、氏が「まともでない」などと思ったことは一度もない。深爪ならぬ、
深読みが過ぎるなぁと感じたことはあっても、氏自身、FSHISOで「発言する」という実
績を沢山、残されている。また、私がこの「評論ページ」に書いたからというわけではも
ちろんないだろうが、FSHISOで「茗荷=キャプテン」であることを堂々と、きちんと宣言さ
れた方でもある。私の場合は「何度リターンしても(笑)」CZR02110であったから、そう
いう経験はないが、キャプテン氏の「宣言」はそんなに簡単なものではあるまい。
更に踏み込んで書いてみよう。
私が情報提供者から発言ログを送付されたとき、とるべき選択というものは、もちろん他
にもあった。「そういう発言を一切、無視する」ということである。つまり、私は「知らない」
ことにしてしまうのである。そのことを全く考えなかったということでは、実はない。
私がそのことに言及すれば「訴訟支援の部屋」の誰かが、私にログを提供したことは、100
%わかる。私は推進室に残した最後の発言で「今更、犯人探しなどしても無意味だ。それよ
りも、何故、こういう情報が私の手元に届くことになったのか、そのことを考えろ」と。
そういうことを述べた。私はそれで、彼らが「問題の本質とは何か」を考え、少なくとも提供者
を断罪するようなことをしなければ、もう少し違う手法をとっていた。これは断言してもいい。
しかし、tty氏に、それはできないだろうな、と予想はしていた。
「非公開パティオ」のログが漏れる。そのことによって「漏らした会員を探す」つまり考えてみれ
ば「犯人探し」をするということは、探した「あと」のことを考えるからである。そのことは彼らの
論理では「正しい」ことなのだろう。しかし「本来、漏れるはずの絶対にない発言」が漏れると
いうのは、そこには今回、正当な理由がある。その理由を作り出した会員が、漏らした会員を
断罪する。それが正しいというのであれば、果たしてそれが「本当か」どうか。私なりの決着は
必ずつける、そんなものは決して「正しくない」ことを私は例え一人になっても、あらゆる犠牲を
はらっても、必ず証明してみせる。そう決めた。それは私の「倫理観」である。
ただ、人間が「倫理観」を口にしだすと、時に「味噌も糞も何もかも」ということになってしまうか
ら、そこは当然ブレーキをかけなければいけない。これは「訴訟支援の部屋」の著美氏やtty
氏と私の問題だから、FSHISOとは混同しない。そういうことである。
彼らは「提供者」を特定し、断罪すれば、それで「自分たちのやった行為から解放される」と、
そういうことであれば、断じてそれだけでは終わらせない。そんな不条理をぬくぬくと決して、
通しはしない。決意という点では、これほど確固たるものを抱いたことは、私はかってない。
私は当時、tty氏が「得々と犯人探しをしたであろうその発言」(推進室発言が今回送付され
てきて、更にそのことを確信したが)を想像して、正確には二度だったか、涙を流したことが
ある。そんなことをする資格など全くない人間が「犯人探し」に狂奔したのかと思えば、その
ときは、私は、涙を流すことぐらいしかできなかった。そして「このままでは決して終わらせな
い」と心に決めたということである。これをもし「私怨」「復讐」と呼びたければ、そう呼べばい
いと私は思っている。それで私が恥じることなど、何もない。
その行為と欺瞞に比べれば、私のやっていることなど、少なくとも当事者から批判めいたこと
を言われる筋合いなど全くないと思っている。「人として云々」という発言があったので、あえて
ここに書きのこしておきたい。
余談になるが「発言によって、その発言者があらゆる窮地に陥っても、それを決して救わない」
というのがWAKEIさんのメルクマールのひとつにある。では実際、WAKEIさんは、本当にそのこ
とを実践してきたかといえば、私はそんなことはないんじゃないか、と思っている。
しかし、それを責めようなどと思ったことは一度もない。自己責任原則という理念からいえば、
それは「ご立派な見解」ではあるのだが、生身の人間が発言しているのである。そんなことだけ
で、全てが貫徹できるというわけではない。
ただ、私が入会した当時は「そうなんだろうなぁ」と思わせるほどに、厳しい雰囲気があった。
で、こうなると、特にBLとかSUBSYSをやっていると、例えば「助けたい」という会員に対して、
情だの何だのとは言えなくなる。すぐに「SUBSYSのエコヒイキ」などという発言が飛んでくる。
じゃあどうするかというと、メールとか表でみえないところで、こっそり助けるなどというのは、
もちろん論外として、表の場で、助けたいと考える会員に察知されることなく、その会員に対
して、批判的な会員から「エコヒイキ」などとも言われることなく、私はそれを実現しなければ
いけないと考えるようになった。言うのは簡単だが、実行するのは大変なのである。
やり損なうと、ひどいことになるからだ。で、それをまた「お仲間主義」などと言われても私とし
ても「心外」であるから、実に気をつかうことにもなる。
私は「対象者に対して向けられた言論」というのは、どこで書かれたものであろうと、それを対
象者が知った限りにおいて回避できるものではないと思っている。私はtty氏が「私の悪口を
言う自由」を奪っているなどとは、全く思っていない。ただし、それが私の知るところとなった
ときに「発言したという事実」を回避するような姿勢を容認するつもりなどない。漏れて困るよ
うな発言を漏れたときのことを全く考えずに行うなどというのは、私からいえば無責任というこ
とになる。至った経緯も説明しないなどというのは、どうしようもない。
人は理念や理想だけで生きているのではないというのは、そのとおりである。転向という言葉
もあれば、変節という言葉もある。それ自体を責めるつもりは、私は全くない。
ただし、転向した、変節した、理念や理想を棄てたというのであれば、それは何故そうしたのか
ということは、はっきりさせていただきたいと思っている。
人間社会の「機微」がわかっているかといえば、私に限らず、それをわからないなどという者は
いないはずである。しかし、少なくともtty氏が「やったこと」に関しては、犯人探しという行為も、
含めて、機微など考えるに値しない。
長広舌を繰り広げるありさまというのは、とりあえず二週間は、この件で具体的なりアクションを
おこさないという方針を定めたからであって、来週末には、具体的にniftyへ提起するということ
を変更したつもりもない。
しかし、苺のえふしそ板のどこにあったのか、暖炉の前でスヤスヤと眠る赤ちゃんを抱いた
母親のモナー画(というかどうか知らないのだが)をみて、私は感心した。
ああいう画をみると、私は元気になる(笑)長広舌だけで、終わらせてはいけないと。
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