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キャプテン氏へ再び回答する。



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21: キャプテン  2001/10/16(Tue) 11:33
花田クン、回答ありがとう。

>非常に恥ずかしいことだと私は思います。そういうことに、屈服するわけ
>にはいきませんよ。

しかし、そういった「恥ずかしい場・連帯の輪(←私流の表現)」の中に
貴方も一時は身を置いていたのではなかったですか?
で、今になって、そのような批判をするからには、ご自身がその渦中に
おられたときに行なった行動について反省なり批判をするべきではない
ですか?

なのに・・下記のようなことを未だに書くわけです。

>あの「FSHISO訴訟」を闘うということは、少なくとも被支援者には、そこ
>に「信念」があったわけです。言論の自由、自己責任の貫徹、ネットワーク
>社会のよりよき発展、そういうものを守るためにWAKEI氏は闘ってこられた。
>今でも、私はそう思っています。

一体、これは何ですか?
貴方の主張だと、訴訟支援・出版推進という一連の活動自体は素晴らしい
ものであった、だが現在の花田氏を巡る動きについては理念との乖離や
矛盾がある、、と。こうおっしゃる。
しかし、一連の活動の果てにこのような結果がある、とみるのが自然な
見方ではないですか。WAKEI氏の勝訴を勝ち取るために一丸となって活動
した。そこには外向きの理念とは違う、戦略的・政治的思惑や行動もあっ
ただろう。私はそのことをもって彼らの活動すべてを否定するつもりは
ありません。だが、所詮人が集まって一つの目標に向かうということは
そういった「輪の総意」的なものは排除不能だと思います。

貴方の主張は、とてもわがままで傲慢です。
上記のような問題は、大人として社会人として知りぬいたうえで参加し
ていたのではないですか?それが内部決裂し、その後のご自身への
批判を聞くや一転して対決姿勢をとるというのは人として恥ずべき
ことではないのですか?
 
22: キャプテン  2001/10/16(Tue) 11:42
私は、こういった「連帯」だとか「同じ目標への団結」などということが大嫌い
であり、思想的にもそのような組織的活動そのものを否定する立場です。
しかしながら、個人としての自由は、何よりも大事にしています。
だからWAKEI氏が「勝訴」というかたちで「自由」を手に入れられたことを
とても嬉しく思いました。しかし、えふしそという思想論議をする場が
一個人の訴訟問題を支援することを目的とするためだけの場であると
したならば、幻滅するしかありません。しかしながら、個人的なメール
や会議室でのやりとりからも、WAKEI氏という方はそのようなことを
もっとも嫌う人であろうと私は感じています。
 
23: キャプテン  2001/10/16(Tue) 11:52
ところが・・。花田氏の主張や告発と、tty氏の反応を見ていますと、大変
疑問がわいてきます。表層だけをみれば、単に花田氏の告発に激怒したtty氏
が訴訟支援の輪を代表するかたちで花田氏に対峙しているようにみえます。
しかしながら、貴方のHPに公開されたtty氏のメールを拝見すると、どうやら、
tty氏は花田氏だけではなくWAKEI氏にも怒りを感じているようです。
一体、これは何を意味するのか?tty氏が「守ろう」とするものは何なのか?
いいですか花田クン。貴方は出版推進だとかで、現実の人脈を通じて色んな方面
に交渉をされていた時期がありましたね?「流出ログ」なるものによると当時
大手出版社編集者(女性)から「このような公判の一方の当事者が相手のマスコ
ミ宣伝に対抗するための戦略としての書籍を、まともな出版社なら拒否するのは
当然でしょう」(概意)と言われたとのことですね?
 
24: "キャプテン"  2001/10/16(Tue) 11:57
つまり、訴訟支援というあの輪が、当時から「常識的にみれば」、表面上の理念とは
かけ離れた、かなり偏った、しかも策略的な集団であり行動であったことは簡単に
推測がつくではありませんか。しかも、貴方はそのような交渉経過のなかでそのよ
うな「世間の目」を十分感じていたはずでしょう。なのに、なぜ貴方はその活動に
批判を加えるどころか懸命に活動したのでしょうか?当時「出版推進に奔走活躍す
る花田信一郎」は、理念と現実行動の乖離などという青臭いことを言う人物ではな
かったはずです。仮に、そのときは気づかなかったというのであれば、当時のあな
たの行動を反省し批判なさい。
 
25: キャプテン  2001/10/16(Tue) 12:01
seitanという過去に支援グループの一員だった人物がいますね。
彼を彼らの輪から排除するように仕向けたのは誰なのでしょうか?
「輪(和)の論理」からWAKEI氏に耳打ちし、彼を排除したのは誰
だったのでしょうか?そのような過去をなかったことのようにして
今は、彼らの排他性を批判するということを、どうお考えですか?
--------
一読、かなりの事実誤認と誤解に満ち溢れた内容だと判断しております。
以下、説明していきましょう。

>しかし、そういった「恥ずかしい場・連帯の輪(←私流の表現)」の中に
>貴方も一時は身を置いていたのではなかったですか?
>で、今になって、そのような批判をするからには、ご自身がその渦中に
>おられたときに行なった行動について反省なり批判をするべきではない
>ですか?

私が活動していた際の推進室に「私自身、FSHISOをそこに持ち込んだり、訴訟支援に
関係のない出来事で会員に対して反論権を与えない誹謗中傷侮辱発言を行っておりま
せん」し「そのような事態に遭遇した際には、私は激烈に当該会員を批判しています」
当事者の面前ですから、いくらでも反論することは可能ですね。

で、こういうことが残念ながら繰り返されました。その処理、対応を巡ってWAKEIさんと私
が「決定的に対立した」ことは事実です。しかし、WAKEIさんは、そのことによって、私を
排除はしていませんし、私も排除されたという認識を全く有しておりません。
私が主体的に「継続して支援活動を行わない」ということを決めたからです。そういう場に
身を置いて「被支援者が気に入らないことは、全て従うというのが支援者なのだ」という考
えに、私はついていけなくなっていました。

私が渦中にいたときに行った行動」というのはseitan氏のことを指すのでしょうから、これ
は最後に回答します。

>貴方の主張だと、訴訟支援・出版推進という一連の活動自体は素晴らしい
>ものであった、だが現在の花田氏を巡る動きについては理念との乖離や
>矛盾がある、、と。こうおっしゃる。

そのとおりです。自分たちが定めた約束ですら「自分たち」で守れないということですから。
これは厳然たる事実ですよ。

>しかし、一連の活動の果てにこのような結果がある、とみるのが自然な
>見方ではないですか。WAKEI氏の勝訴を勝ち取るために一丸となって活動
>した。そこには外向きの理念とは違う、戦略的・政治的思惑や行動もあっ
>ただろう。私はそのことをもって彼らの活動すべてを否定するつもりは
>ありません。だが、所詮人が集まって一つの目標に向かうということは
>そういった「輪の総意」的なものは排除不能だと思います。

一連の活動の果てに、などということはありません。WAKEIさんが闘われてきた背景や理念
について、表も裏もありませんし、もちろん「勝つための戦略」というものはありましたが、
それとて、表裏のある「思惑」などというものは存在しなかったと思います。

私は純粋にその「理念」に賛同したのです。だから「思想的対立を超えて、お手伝いができる
だろう」とも考えました。私は何度か、この点でWAKEIさんと話したことがありましたが、「相手
はともかく、我々はフェアにやりたい。いや、やらなければいけない」という趣旨のことを強く、
主張されました。そのことにも私は大いなる共感を覚えました。

しかし、理不尽な「輪の総意」なるものに拘束されるいわれなどはありません。

>私は、こういった「連帯」だとか「同じ目標への団結」などということが大嫌い
>であり、思想的にもそのような組織的活動そのものを否定する立場です。
>しかしながら、個人としての自由は、何よりも大事にしています。

少なくともWAKEIさんの「理不尽な訴訟に対して闘う姿勢、その必要性」について、それは、
私自身が「共有」できるものを感じたから、参画したわけです。その意味では非常に自由で
した。支援活動そのものについて、強要されたことは一度もありません。
いわゆる「組織的な縛り、イデオロギーの強要」ということで不当な扱いを受けたこともありま
せん。例えば嫌がるキャプテンさんを無理矢理引きずり込むというような雰囲気も全くなかっ
たですよ。

>しかし、えふしそという思想論議をする場が一個人の訴訟問題を支援することを
>目的とするためだけの場であるとしたならば、幻滅するしかありません。

そんなことは全くありません。支援活動に関して誰も何も強要したなどという事実はありませ
んし、支援活動に参加しなかった者に対して、不当な扱いがあったというようなことも全く存
在していないのですから。

>WAKEI氏という方はそのようなことをもっとも嫌う人であろうと私は感じています。

私もそう思います。

>どうやら、tty氏は花田氏だけではなくWAKEI氏にも怒りを感じているようです。

それは、私にはわかりません。ただ、この二人は、SYSOP交代時、そして交代直後から沢山
の対立を会議室上で残しています。私は、WAKEIさんが「本当に推薦したかったSYSOPは、
tty氏ではなかった」と思っていますし、そのことは、傍で私が感じるくらいですから、tty氏も
おそらくは充分承知していることでしょう。そういう問題を、両者間で、議論する、話し合うこ
とによって、解決ができていない。そういう背景は、FSHISO上でも、非常に歪な形として表出
したと私は考えています。

>いいですか花田クン。貴方は出版推進だとかで、現実の人脈を通じて色んな方面
>に交渉をされていた時期がありましたね?「流出ログ」なるものによると当時
>大手出版社編集者(女性)から「このような公判の一方の当事者が相手のマスコ
>ミ宣伝に対抗するための戦略としての書籍を、まともな出版社なら拒否するのは
>当然でしょう」(概意)と言われたとのことですね?

概意のニュアンスが異なります。今にして思えば、出版社の編集者が私にこう述べたことが
ありました。「編集者としては、この一冊を読んだ方が、今からネットに参加する方でも、既に
経験している方でも、この本を読むことによって、何か役に立つ、心に残る、のちのちに活か
せるものを強く打ち出したい」と。

そういう色合いを強く出せれば「売る自信はある」ということでした。出版社の編集者は、自分
の担当した本を「売るための手段、売れる内容」というものを常に考えます。それは悪いこと
ではありません。ただ、今回の本は、必ずしも「売る」ということを一義的前提にしたものでは
ありませんでした。その意識の相違を埋めることができなかったのは、私の力不足です。
編集者は、求める著作に「人間のドラマ」というものを或いは求められたのかもしれません。

期待に沿えなかったという責任は、私にあります。これを回避するつもりは今でもありません。
私が構築したシナリオでしたから。

>つまり、訴訟支援というあの輪が、当時から「常識的にみれば」、表面上の理念とは
>かけ離れた、かなり偏った、しかも策略的な集団であり行動であったことは簡単に
>推測がつくではありませんか。

という推測に結びつく思考回路が私には理解できません。ただ、あのときに、WAKEIさんも
niftyも「反論」を全く行えていない状況であったことは明白ですから、出版を計画することに
よって「事実」をきちんと伝えるというのは、必要不可欠な選択であったと私は考えています
よ。策略ではなく、かなり遅すぎた巻き返しであったと言えるでしょう。

>なぜ貴方はその活動に批判を加えるどころか懸命に活動したのでしょうか?当時「出版推
>進に奔走活躍する花田信一郎」は、理念と現実行動の乖離などという青臭いことを言う人
>物ではなかったはずです。仮に、そのときは気づかなかったというのであれば、当時のあな
>たの行動を反省し批判なさい。

私は当時のWAKEIさんの「訴訟に関して闘う」という姿勢に共感をしたからお手伝いをした。
それは、ネットに身を置く、現実の私がとるべき行動として、正しかった。今でもそう思ってい
ます。気がつくも気がつかないもありません。私が活動していたときにも、大部分の会員は、
著美氏やtty氏のようなことをしていませんしね。

それが変わったという面はあると思いますよ。そのことは認めます。ただ、何故、変わったのか
とは思いますね。そういうことは簡単にかなぐり棄てられるものではないと私は思いますし。

>seitanという過去に支援グループの一員だった人物がいますね。
>彼を彼らの輪から排除するように仕向けたのは誰なのでしょうか?
>「輪(和)の論理」からWAKEI氏に耳打ちし、彼を排除したのは誰
>だったのでしょうか?そのような過去をなかったことのようにして
>今は、彼らの排他性を批判するということを、どうお考えですか?

いずれも私です。そのことを私は彼と直接、議論することなく動きましたから、その点について
はこのページでも書きましたように、多々、反省すべき面があったことを表明しています。

ただ、私は彼らの「排他性」を批判しているのではありません。私が引いたのですから。

私が批判しているのは「主張とやっていることがどうしてこんなに違うのか」ということです。








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