これはエールなのだろうか? と、私は少し考え込んでしまったのだが(苦笑)
苺ちゃんねる「えふしそ板」の発言である。
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12: 本題3 2001/10/03(Wed) 09:31
いま、花田HPで花田の「決意」を読んだ。その心意気やよし。
四面楚歌の花田クンに、少しだけエールを送ってやろう。
現在2番で花田に噛みついている3人。江合・野原・わとの三人衆は
代表的な「花田嫌い」という共通点だけではなく、その思想的傾向も
近い位置にあるという共通点がある。これは偶然ではない。
日共批判を続けてきた花田に対して彼ら三人が好感情を抱くはずがな
いからだ。ここで強調すべきは彼ら三人の思想的傾向はけしてFSHISO
会員の平均的傾向とは合致しないということだ。むしろ、花田流自由
主義のほうが平均値に近いといえる。
確かに、正義を振りかざすわりには裏で何を画策しているのかわから
ないという策士的な側面も過去の花田にはあった。あるいはオフ人脈
という無思想な人脈形成を推進したということもあるだろう。また、
あののらりくらりと対立者との議論をはぐらかす詭弁術はあまり美し
いものではない。しかし、そういう万人が感ずる「嫌な奴花田」とい
うことと、思想的対立ということの境目を曖昧にしてはならないのだ。
それが公正ということだ。
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日本共産党の「査問」について、私はその公党としての度し難い「体質」を批判した。
江合氏は共産党にシンパシーを感じるという趣旨の発言を会議室に残しているが、わと氏に
はそのようなものはなく、野原氏の発言は、私はよく知らない。あまり意識して読んだことがな
いからである。
「訴訟支援の会」の会員の支持政党など、私にはどうでもいいことだが、一連の体質をみてい
ると「非公開」についての考え方というものは、党中央の考え方に似ているなぁと思っているが。
ただし、私は「学校選択制度」の問題については、日本共産党の主張に近いものがある。
要は是々非々ということなのだが、それにしてもあの政党の「無謬性」には、とてもついていけ
ない。日本共産党に査問という制度はありません、などといけしゃあしゃあと、よくもまぁあんな
ことが書けるものである。公党ビラに。
およそ説得力がないということに、どうして気がつかないのだろうか。
批判に対しては、反共だ反共だというだけで、あれで議席増など望めるはずもない。
ちなみに私は、ここ数回の選挙では、一貫して「自由党」に投票している。「花田さんが自由党
に投票するというのは、よくわかるなぁ。壊し屋イッちゃんが好きなんでしょ」などという口の悪
い者もいるが、小沢一郎という政治家には評価できる面が多いし、今回の自衛隊派遣・後方
支援の問題でも、氏の主張をメールマガジンを通じて読む限り、私は、最も納得できるものが
ある。なしくずしというのは、よくない。
自由党が日本共産党よりも少数政党であるというのは、極めて遺憾なことだと感じていますね。
「査問」を取り上げるというのは、日本共産党にシンパシーを感じる人々にとっては厭なことで
あろう。この本、今では文庫化されているし、その解説は5番会議室でも紹介したが、結局のと
ころ「査問」という行為に名を借りた、あの行為を妥当なものだと考えるのか、とさんざん問うて
きたことに対し、まともに答えた者はひとりもいなかった。
そこで「妥当である」「妥当でない」という対論者の立場がはっきりすれば、それはそれで議論の
次のステップに進めるのだが、立場のない議論など、糸の切れた風船のようなもので、不毛な
ものにしかならない。対立すること自体は、ああいうフォーラムだから、当然といえる面もあるの
だが、査問を取り上げた花田が悪いといわんばかりの議論姿勢には辟易したものである。
私は、ここで私が提起している「公開討論」の要請について「勝ち負け」などということには全くこ
だわっていない。私は、自分にとっての反論権の行使や、そのかたちには、今後もこだわってい
くけれど、その環境が整い、正々堂々と議論できれば、それでいい。
ただ、勝負だというのであれば、議論というのは、感情的になった者の方が、既に負けている
という面はあるだろう。私は「お前は敵である」と書かれると、それはそれでファイト溢れるとい
うか、闘志を覚えないこともないのだが、tty氏から、そう言われても、どうにもそういう気分に
なれない。ただ、ただ、哀れだなぁと思うのである。
民衆の視線を感じるというのであれば、SYSOPが会員に対して「敵」だと書くことによって、その
感情的な発言が、どういう効果を場に及ぼすか、そういうSYSOPに対して、会員は、尊敬の念
だとか畏敬の念を感じ、場への求心力を生み出すとでも考えたのだろうか。
私は、それは、むしろ全く逆の方向に働いたのではないかと思っている。花田に対する評価とい
うものとは、全く別の次元で、ということだが。
私はこの発言をみて「ああ、tty氏というのは、本当の議論という場に遭遇した経験がないのだ
ろうな」と、そのことを確信した。それは氏にとって気の毒なことだとは思うが、本人が求めなか
ったものが、得られるなどという道理も、実はない。
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