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判決の「前日」に思うこと。



個人的には、SYSOPであったWAKEI氏が控訴審でも敗れるとは考えていない。
Lee氏に関しては、或いは難しいかもしれないが、報道関係者に依頼し、判決文をできるだけ
早く入手することにしている。

パソコン通信から「インター」へ進む者と「イントラ」へ進む者とがある。私の周囲では、どちらか
といえば、インターに進んだ者の方が多い。より広く、より大きな世界へということだろうか。

ただし、インターに進んでも「淘汰」されるというケースも実はある。これだけHPが百花繚乱、玉石
混合の如くひしめいてしまっては、ネットワーカーといえども、大部分は仕事や学業の余暇にいく
つかの「サイト」を覗く。発言するということであって、まして余暇の第一順位が「ネット」などという
ことでもあるまい。私など、自分のHPを持つことによって、FSHISOでの発言というのは、やはり減
ることになる。限られた時間の中で、取り組めることなど、当然、限界もある。

しかし、これは不思議な感覚でもあるのだが、自分でHPをもち、そこで議論をしたり、掲示板を開設
したり、こうやって発言するということは、広々としたものを感じる。閉塞感だとか圧迫感というと変な
のだが、ある種の「開放感」があることは事実だ。

いただくメールにしても、FSHISOでの場合は、大部分、FSHISOの会員からである。それがHPという
ことになると、幅が全く異なるのである。そういった方々との交流というものが、自分にとっての知識
や経験として、いい意味で蓄積されるということはやはり多い。

最近、フォーラムですら「イントラ」に近い感覚というものを私は有するようになってきている。
パソコン通信のごく初期から普及期にあたって、多くの開発者が「自ら発信できる人材、小さな世界
の中でまとまらずに主張できる人材を育成し、そのための技術や環境を惜しみなく提供してきたとい
う」ことが、最近、実感としてわかるようになってきた。96年、パソコン通信を経験したときには、まさ
に「フォーラム」というものは、私にとっての「インター」な環境ではあったのだけれど。

例えばパソコン通信で厭なことを経験した方というのは沢山いる。そのときに「限られた空間」という
コミュニティを求めるケースというものがある。気心のしれた、互いの個人情報もある程度知ってい
る、共通の趣味、研究のジャンルがある。一定レベル以上の知識を有する人々が集まる。例えば
Patioというのは、そういうことを実現するには、なかなか優れた機能を有している。以前、niftyの
関係者に会ったときに「フォーラムを全廃してもパティオという機能は残すんじゃないでしょうか」とい
う話をしていたが、それも、最近ではMLにおされているらしい。

私もいくつかのMLに加入しているが、未だにどうも馴染めないでいる。点で捉えることはできても、
総体としての「面」で捉えるとなると、どうにもあのシステムというものは私は苦手である。

で、もし、フォーラムですら「イントラ」であるという仮説が正しいとするならば、少なくともniftyの場合
IDを取得してパスワードを所有して、フォーラムにたどりついて、発言を登録するという、そういう感
覚そのものが既に面倒であり、インターネットの場合、発言保存に手間がかかるとか、色々な弊害
は既にあるようだが、それを超えて尚、コミュニティの場を機能させるというのは難しい。

些か、不遜な言い方を許していただけるならば「場に慣れてもらう」「書き手を育てる」「個人個人が
有している知識や経験、思想をぶつけやすい環境を作る」「その情報価値を高める」ということであ
ろう。人は情報や思考に新鮮さや価値を見出せば、集うと私は信じたい。
もちろん、私にそんな能力はなかった。なかったから、色々な方と議論する際に「ツリーを育てる」と
いうことにこだわった。ツリーは膨らんでいけば、そこに新たな参加者を生み出すし、それが更に、
議論を深めていくということがある。ただし、当事者と本当の議論になると、当事者以外、誰も寄っ
てこなくなるという面はあった。双方の緊張感みたいなものが周囲に伝わるからだろう。

そういうときはこれはもう仕方ないのだが、そればかりでは多少は息も詰まるし、新たな論者との出
合いも、やはり狭くなってしまう。私は4番であれ5番であれ、BLのときには、かなり「ネタ探し」という
ものはしていた。新聞や週刊誌から拝借するということはあまりなかったように思う。さりとて、その
裏を書くといっても、これまた、なかなか限界もあった。それよりは、書籍から、さほど知られていな
い出来事というものを自分のささやかな読書の蓄積から引っ張り出してきたという感じだったように
思う。

本題から離れてしまったが、私が被告の勝訴を願うという理由のひとつに、以下のような感情があ
る。おそらくWAKEI氏は、経緯をみる限り、ネットコミュニケーションというものへの関心はあったに
せよ、SYSOPなどというものに、自ら就任したいなどという意思は全く持っていなかった。現実には
それがどういうことなのかという実感も、おそらくなかっただろう。前任者の置かれている状況に対
して、やむおえずというか、誰もいないのであればという気持ちと、些かの興味と使命感が入り混
じったものであったろうと思う。幸い、その時期は、比較的、裁量できる時間があったという面も、
就任の決意を促すことになったのだろう。

私も、数年もすれば、WAKEI氏がSYSOPを引き受けた年齢を迎える。で、この時期というのは30代
とは違った意味で、仕事にしても家庭にしても、或いは自分のやりたいことにしても、色々なものへ
の選択や見極めみたいなものが、求められる時期である。そういう時期に、蒙った犠牲や時間の
重さというものは、おそらくは10代や20代のときとは異なるはずである。もちろん、取り戻せないとい
うわけではないのだが、あまりに不当なもの、無駄なものもあっただろう。

どこからふってわいたのか、これは本当に腹立たしいことだが、セクハラ云々などというのは、あま
りに出鱈目なことである。全く事実に反することが、平気で「あったかのような話」として伝わってい
く。

私からみれば、この件をはじめWAKEI氏は、さんざん不当なことに遭遇している。しかも本人の責任
というよりは、その全てといってもいいだろう、大体は周辺の騒動の尻拭いである。SYSOP時代の
WAKEIさんというのは、そういう面がある。

もちろん、負けたからといって、それはひとつの一面的な判決という評価に過ぎない。しかし、こうい
う時代だからこそ、たまには「正しい」ものをみせていただきたい。判決を前に、私はそんなことを、
考えている。






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