FSHISOは「民主主義」か、ということになると「民主主義」ではない。それは「幻想」である。
もう何の案件であったが忘れてしまったが、一般会員のみならずSUBSYSも相当反対した
ことについて、WAKEIさんが頑として引かなかったことがある。
スタッフの誰であったか「SUBSYSも反対しているということに、多少の重みを感じるべきだ」
という主張があったがWAKEIさんは、にべもなくそれすら拒否した。そのかわり、かかる結果
についての責任は、SYSOPが全て負うわけだから、それはそれで構わない。
前回のSYSOP公募の際もそうである。民主主義の反映ということであれば、醒火氏の支持が
圧倒的に高かったわけだから、今のSYSOPがそうでは「ない」ということは、民主主義ではな
かったことを証明している。その責任は、よくも悪くもWAKEI氏が負うということになる。
SYSOPというのは、特にFSHISOのような場合、因果といえば因果な面があって、紛争があっ
た場合に救済を求められるということは、このフォーラムでも稀にあったし、判断しなければ、
いけないという「立場」にあるわけです。で、判断するということは、それだけでは一方から強
い不満が出てくる。その一方に賛同している方からも同様の不満が出てくる。それが燻ると、
何かのたびに衝突の火種となるわけです。じゃあどうするかといえば、不満が出ないようにす
るといっても、これは相当、難しいことなのですが、議論しなければいけない。議論することに
よって「説得」を試みるということを、どこかでやっておかないと、結局は自分の首を自分で、
絞めるということになってしまいます。
確か、ゴルギアス氏だったという記憶がありますが、公募した「推進室」で「裏運営」が行われて
いるのではないかという質問を受けたことがありました。裏運営に「煮え湯」を呑まされた会員が
集まっていて「裏も何も」あったものではありませんが、一方で、個性的な会員が集まっていたこ
とも事実ですから、そういう疑問も仕方ないのかなと思ったことがあります。逆にいえばそういう
質問があったからこそ、私は「そういうことは絶対にしない」と改めて強く決意したということもあ
りました。「みていないから」「何をしてもいい」などということでは、そこに信頼というものは絶対に
生まれないからです。
立法化という問題は、確かにそう簡単に結論が出せるものではありませんが、SYSOPが就任後
相当期間、自身の「本名」を開示することを拒んだ。「(本人)」などという、偽者がそれを嘲笑する
かのような発言を残したこともありましたが、私が実名で発言していることもあったせいか、あんな
に開示を拒む理由というのは、私にはよくわかりませんでした。もし、その結果、実害が及ぶよう
なことがあれば、それこそ、徹底した対応をとればいい。言論だけで解決がつかないような問題と
いうのは、実害ということになると、当然、想定できることがありますし、その際には色々な手段と
いうものが考えられると思います。
私は、立法化というものを全否定はしませんが、大体、立法された法律というものが、おそらくは、
今の「個人情報管理法」などをみても、それ自体、言論の自由を抑圧する可能性をかなり秘めた
運用する側のさじ加減でどうにでもなるという面を有しています。それを思うと、基準といってもこ
れは、まだまだ議論を要すると考えていますね。
基本的には、私自身はネット上の紛争を巡っての訴訟など全く考えませんが、もし、私が訴えられ
るようなことがあれば、そのときは断固として闘いますし、間違っても負けるなどということがないよ
うに万全の体制は整えます。個人としては、それで充分だと考えていますね。
そうそう、最後にちょっとだけ。
私は「共産党宣言」も読みましたし、青木書店版の「資本論」も、昨年、読みました。かなり退屈した
ことは認めますが。江合氏との議論をきっかけに、最近は「古在由重著作集」を読み始めています。
ベトナム戦争当時の氏の論文というのは、非常に共感を覚えました。「正義というのは滅多に勝つ
ことなどはない」というのは、そのとおりだなと思いますね。
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