polo氏というのは、存在感のある方だと思う。
「大型掲示板」でも「ドチャット」でも私の掲示板でも、そしてFSHISOでも精力的に発言されている。
FSHISOでは、確かに「はじめまして」である。こういう感覚は私は好きだ。表題を読んで思わず吹き
出してしまった。議論を楽しむということが、できる方だと思う。将棋に喩えるならば、時々、こちらの
予想だにしない手を指される。で、そのときは、さほどのものではなくとも、後々になって「あのときの
一手」がじわじわと「きいてくる」という、そんな感じだろうか。
自分の言葉に酔うこともなく、もちろん罵倒などすることもなく、面白い視点で議論を展開される。おそ
らく、私とは考え方の異なる面も多々あるのだろうが、そんなことは「当たり前」であって、私も楽しく、
接しさせてもらっているという面がある。
ある意味、識別が厳密な意味で不可能な「大型掲示板」で、多くの名無しさんを相手に、ひとつの存在
感を作る、概ね好意的な評価を獲得するというのは、実は至難の業である。論者としての評価を獲得
するというのであれば、それはフォーラムのようなところの方が容易いだろうという気もする。
何だかんだといっても、FSHISOの場合、特定の会員と議論することによって、それが蓄積されること
によって、ある種の親和性とまではいわないにしても、親近感のようなものは生まれる。誰と議論した
かということは、双方はもちろん認識しているし、例えばBLをやれば、その会議室を盛り上げるため
にどういうことをしたかとか、SUBSYSであれば、リンク外しだとか、保留の実行とか、それに伴う処理
だとか、議論の誘導とか、残るものがある。
「大型掲示板」というのは、そのフォーラムに集う会員を対象にして、時には想像や推測も含めた内容
が展開される。創作と批評のようなものなのかもしれない。で、この場合、批評というのは、まさに観察
の結果から「生まれる」ものであるし、その観察眼は常に問われるという厳しい場になっている。
もちろん、どういう視点で、どういう立場で「批評」するのか、ということはあるのだが、いずれにしても、
「的外れな批評」をすると、強く叩かれるという面がある。「批評」「視点」というもので、一定の存在感
を生み出すということは難しい。例えば哭きの竜氏の「FSHISO批評」というのは、事実関係に多少の
違いはあるにしても、読ませるチカラというものを充分に有している。竜氏の場合、誰と議論するわけ
でもなく、FSHISOで発言するわけでもなく、もちろんスタッフの経験もなく、それでいて、あれだけの眼
を有しているというのは、相当な力量である。
今日は、てそ氏のことを書いてみよう。こういう些か個人的なことは、FSHISOには書きにくいからであ
る。
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572: てそ 2001/09/04(Tue) 13:33
>「何かをしないから」という理由ならば、きゃぷてそ一人に憎悪を向ける
>必然性はない。
いや、他の人達は、「きちんとやっている」からだ。
花田批判、tty批判などをね。poloはその人物からみれば「優等生」さ。
でも、キミは本気で彼らを批判なんかしちゃいないのだが。
そんなことを読み込める人間ではないのだよ。
>「何かをしたから」という理由に対しては、「何もしてないのに不思議」と
>言う意見以外聞かない。
それは花田氏の個人的な感想であって、私は見に覚えのあることが
たくさんあるんだよ。ただし、それらは「表」に出ていないだけ。
メール、チャット、PATIO、SENDなど、多数が見えない場所での
トラブルはたくさんある。私から言わせれば、ほとんどが彼らの
カンチガイか被害妄想なんだがね。私が言い返さないからね。
花田氏は私が「(ネットでの)ケンカ嫌い」であることをよく
知っているのさ。だから「なぜあれだけ叩かれるか不思議」と
なるわけ。私は彼のように反論をしないし、仮にしたとしても
わかりにくいかたちでしかしないからね。自分自身が公正であ
ることを納得できればそれでいいんだ。身勝手かもしれないが
ね。
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この文面から、てそ氏はキャプテン氏であることが推定できるので、以下、呼称はキャプテン氏に
統一させてもらう。
まず、私は「キャプテン氏が(ネットでの)ケンカ嫌い」であるかどうか、などということは実は知らない。
ただ、私はキャプテン氏とFSHISOで、そう強い「バトル」をしたことがない。というだけである。「表」に
出ていないものが何かもわからないし、その何かを知りたいとも思わないし、無論、相談など受けた
こともない。
自分自身が公正である、ということを納得する方法というのは、人それぞれだろうけれど、自分が自分
に照らし合わせて「公正」だと判断するために、上記のような、それ自体、わかりにくいメッセージを発
信するという感覚は、私は不思議である。どんな場であれ、人がメッセージを発信するということは、
必ず意味がある。で上記のメッセージにも、必ず意味があるはずなのだが、それが一体、何を意味す
るかというのは、何度読んでもわからない。何を求めているのかというのが掴みにくい。
実は「叩かれるか不思議」と書いて、私も少し考えてみた。その理由のひとつは「わかりにくさ」ではない
かと思うようになった。例えば、ここで私が展開していることについて「証拠を出せ」という意見がいくつ
もあった。「大体、花田が言うような誹謗中傷侮辱に値する発言が本当にあったのか。これでは判断の
しようがないではないか」という指摘である。それは充分承知した上で、私は私自身が当該発言を開示
しない理由について示した。それは「さほどわかりにくいもの」ではないと思っている。
ところが、キャプテン氏の意図というのは、私の能力では「最初から最後までわからない」という感じな
のである。例えば氏の退会理由、これも全然わからない。polo氏の発言を「啓示」的などという理由も
これまたわからない。私にわかるのはキャプテン氏が「暗示的」であるという、それだけである。
で、暗示的というのは、何か他者に対して「自分が暗示的であり、そのことが他者に対してどう映って
いるのだろうか」ということをキャプテン氏が常に確認したいという、何がしかの自己欲求があるので
はないか。別にそのことが「自分を誇大にみせたい心理の表れ」などと私は思わない。ただ純粋にそ
のことを楽しんでいるのではないか、と考えるようになった。そのことが、名無しさんを苛立たせるとい
うのであれば、それはそれで確かに「叩かれる」要因にはなるだろう。もちろんこれは私の推測である。
私なら「キャプテンは死んだ」と宣言して、死んではみたもののどうも未練が残るというのであれば、お
そらく同一IDで復帰する。で、こういうことを私のように何度か繰り返すと、花田の退会なんてのは狼が
きたというのと変わらないということになる。FSHISOで叩かれ、苺で叩かれ、2ちゃんねるで叩かれる
であろうことは充分に想像できる。確かにみっともないし体裁も悪い。
しかし、退会すると書いた時点では本気で私はそう思っているのである。それは嘘ではない。それが
ころころ変わるというのはみっともないし、私でもしばらくは体裁の悪い思いというものを抱えている。
しかし、いささかなりとも騒がせたという事実がある以上は、復帰の際に別IDで、などとは私は全く考え
なかった。自分のID−CZR02110で復帰して「騒がせたことへの批判はうける」ということを私自身、重
視したということである。
キャプテン氏が「復活」すれば、それは苺などでも多少の批判はあるだろう。しかし、キャプテン氏が、
それなりにFSHISOというものにこだわってきた歴史と時間を考えるのであれば、一時の批判などそう
たいしたことではない。私はキャプテン氏が別IDで活動しているかどうかなんてことに全く関心はない
が、自分だけは、そのことはわかる。それは何とはなく窮屈ではないかという気がしてならない。愛着
というものがないのだろうかと。
「大体、FSHISOの10番というのは、わかりにくいのだ」という指摘を、過去に私は何度もうけたことがあ
る。当事者以外わからないという話もあった。私がこのHPを開設した理由のひとつに、「今のうちにも
うわかりにくい、わからないとされてきたものについては、私が知っていることを開示して、わかりやす
くしておこう」というものがあったからである。わかりにくいものは疑心暗鬼を生み出すからだ。
私は今でもCZR02110で復帰したことを「よかった」と思っている。別IDで復帰などすれば、どうしても、
発言というものからは遠のいていただろうとも思う。書きたいことがあって、書けないというのはやは
り「苦痛」を感じるだろうから。
polo氏の言う「潔さ」というのは、実は、過分な評価でしかない。私は別IDを操り、一方で自分のIDを
棄てることができるほど器用ではないし、潔くないということである。自分のIDに執着している面が、
私には間違いなくある。リセットができない。
もちろん、私の推測で書いたことだから、キャプテン氏の「ほんとう」のところなど私にも、そして大部分
の会員にもわからないことだろう。しかし、コミュニケーションというものに「どこかでわかりあう」という
要素は不可欠なのである。結果、わかりあえなかったということと、最初から「理解を拒否し」ある意味
その光景を弄ぶかのような対応というものは、狼以上に始末が悪いことにもなりかねない。
余計なお世話を百も承知で書かせていただいた。
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