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546: polo 2001/08/31(Fri) 12:54
昨夜は「いわしたる」に興味が向いていて、あんまり実りがなかった。
今日は ゐ!さんにサービスしとこ
訴訟支援の部屋でハナダさんに対する誹謗中傷はおそらく行われたのでしょう。
しかし、一方の申告を鵜呑みにして、「犯罪行為があった」とするわけには
いかない。プライバシーや著作権の侵害が「犯罪の隠匿に優先する」とする
には現時点では材料が少なすぎるのです。
「あの部屋で爆弾が製造されているらしい」という噂だけで、「あの部屋の
住人は犯罪者である」とは言えない。
何かしら製造していたとして、それが「合法的な製造物」だったらどうか?
たとえば「花火」だったら、資格と製造場所の安全管理などの条件が満たされ
れば「犯罪」とは言えません。
それを判断・判定する材料が不足している以上、特定個人の非難に同調する訳
にはいかない、それは著しく公正さを欠いたことになると思う。
「自分の誹謗中傷があると情報を得たが、存在の有無は如何に?」
と、「公開」で質問しても構わないと思う。 しかし、返答がないことを持っ
て「間違い無くあった。犯罪が行われた」とは言えない。
質問された者は、答えないことで「やはり誹謗中傷はおこなわれていた」とい
う推測を多くの者から受ける事になり、それなりのペナルティを受けることに
つながる。(この辺は考察中だから、あんまり突っ込まないでネ)
「花火」を無断で持ち出した可能性が強いので「盗み出した」という表現を
あえて使いマシタ。まぁ、それが「下品」な表現であると言えば確かにそう
ですね。ただし、この言葉は今後、撤回、訂正する可能性は大いにありますが。
こんなところで、どうですかね?> ゐ!さん
ボクは議論の過程で、人格や能力の批判・攻撃が始まると、とたんに興がさめる。
なんだ「いわしたる」っていうのはそんな事だったのか…つまらない。と、思ってしまう。
昨夜はそういうことデシタ。
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佐賀県の呼子町に「鰯樽」漬けという、それはそれは酒の肴には絶品なものがあるの
だけれど、別にそういうことを書くことが、ここでの目的ではないなぁ。
細かい用語の問題ではあるのだけれど、犯意とか犯罪の認定というのは、裁判所が行う
ことで、そもそも私自身が「訴訟」による解決など全く求める意思もなく、そういうこともあっ
て「犯罪」などという言葉は、この件に関しては、ひっかかるものがあります。誰かを犯罪
者にしようなどという意図も全くない。poloさんも、同様だろうと思いますが。
「隠匿に優先するかどうか」というのは、難しい問題だと思います。ただ、私が要請している
方々というのは、ネットについての知識・法律知識を相応に有した方ばかりですから、許諾
を得ない公開というものが「情報送信権・著作権・著作者人格権」を侵害するということは、
もちろんご存知でしょう。「それを理由に」開示を拒んでいるのかどうかというのは、わかり
ませんが。
本人が「開示を許諾し、送付したものであれば」本人の情報送信権・著作権・著作者人格権
侵害にはあたりませんので、それを求めているというのが現状にある。
少なくとも、彼らのそのような発言がなければ、情報提供者も「提供することもなく」私はFSHIS
Oでの出来事を個人史も含めて静かに振り返るということを続けていたでしょう。自分たちが、
「ひきおこした」ことであることは間違いのないことですから、それならば自分たちが解決する
というのが普通の感覚だろうと私は思いますね。特に「ネットの自立」という点からいってもで
すが。
「返答がないことをもって、花田の主張する事実があったことを認定する」ということはできない
というのは、そのとおりです。返答を拒否する権利というものはある。それは彼らが選びとった
選択肢ということでしょうし、あっていい。これは戦術論とも絡んでくることですが、返答するこ
とが、この場合「損」か「得」かという考え方もあるでしょう。
ただ、問われたことに「回答」しないという姿勢は、批判されてしかるべきだと私は思います。
「訴訟手段に安易に頼らない、自己責任原則、反論権行使による名誉・名誉感情の回復を
あくまでも言論によって行使・解決すべきだ」というのが、支援の会の主張です。私もそうい
うスタンスには同意している。
しかし、言論による解決というのは、双方が対話・議論することによってしか絶対に成立しない
ものです。つまり、反論権だの言論による解決だのという主張を散々しておきながら、自分た
ちのことになると、それができない。私の要請にも応えない、アカウンタビリティも果たさない、
事実上、彼らは「言論による解決」を放棄しているではないか、ともいえるわけです。
こう書くと、彼らは内心、こう反論することでしょう。
「言論による解決を放棄しているのではない。花田の方法論・手法としての「公開」での議論に
応じない(だけ)なのだ」と。
さて、ここでpoloさんがここでの掲示板に書かれた最新発言に、そろそろ踏み込んでいかなけ
ればいけません。暗闇からの一撃氏にしてもpolo氏にしても、みなさんジェントルな方ですから
直截な、核心的なことをお書きになりませんが、私の周囲からの「とりわけ批判的な意見」とい
うものも、賛意ほどではないにしても、有力なものがいくつかあります。当然、私がそのことに
よって考えさせられたこともあります。あえて、どういう批判があったか、大体集約されましたの
で、ここにまとめてみましょう。おそらくは、この意見にpoloさんや暗闇からの一撃氏は、かなり
同意されるのではないかと私は思っています。
1.反論権というものは、どういう場であっても(極端なことをいえばメールでも)当事者発言に
対して議論の応酬があり、そのことによって「反論」が実現でき、双方の合意に至れば、そ
のことによって「反論権」は達成されたとみるべきではないか。
2.公開での議論にあくまでもこだわり、反論権の範疇を拡大するということは、ある意味、そ
の目的が、反論権そのものではない、ある種の「スティグマ」(負のレッテル貼)を意図する
ものではないか。
3.誹謗・中傷を受けたとする側であっても、相手の「不利益とするもの」については尊重すべ
きではないか。公開を前提としない発言を公開の場に引きずり出すようなことは「公正」と
いえるのか。その瞬間から既に「公平」とはいえないのではないか。
4.花田の公開方法論というのは、一種の「制裁論」ではないのか。反論が主体なのか制裁
が主体なのか。どうもよくわからない。
この4点になります。poloさんなり一撃氏なりがここの掲示板か、ドチャットか、苺ちゃんねるか
どこかに、何か意見を書かれるだろうと思いますので、その点も踏まえて、次のステップに進み
たいと思います。(今日は「精霊流し」(幻冬舎刊 さだまさし)を読むということもあって(笑))
昨日のドチャットでpoloさんが「倫理・道徳などという次元の問題を持ち込めばそれは終り」み
たいな趣旨の発言を残していました。これは私も賛成ですね。じゃ花田の言っている「いさぎ
よさ」とか「フェア」というのは「倫理・道徳」かという話になりそうですが、それは違います。
「言っていることとやっていることが極端に乖離しているではないか」ということなんですね。
事実に即した批判ということになります。
もちろんpolo氏にも暗闇からの一撃氏にも花田にも倫理・道徳というものは、あるわけで、当然
polo氏が「倫理とか道徳を全て否定している」というようなことではないはずです。ただ、倫理と
か道徳というのは個人差があります(最低限の道徳規範が「法」というものでしょうが)ので、お
互いがこれで衝突すると、議論がある種、思考停止みたいになってしまうという面はあると思い
ます。
これは余談ですが、新潮社の「フォーカス」という写真週刊誌が廃刊になった。廃刊になった理
由は「売れなくなった」ということに尽きるわけですが、じゃ何故、売れなくなったのか。
読者の側が「知りたいし、みたい、覗きたいという好奇心、感情とは別の部分で、雑誌メディア
に「制裁権まで与えたわけではないんだよ」というひとつの意思表示ではなかったのか」と。
つまり読者の側が、ここ10年の様々な情報過多、個人情報管理の難しさみたいなものをひしひ
しと感じるようになり、自分が写真週刊誌でこういう扱いを受けたら、と考えることに抵抗がなく
なった。そういう想像力が、あの媒体に対する上記のような無言の評価としてくだされたのでは
ないかと。
それが全てと私は考えませんが、傾聴に値する説だとは思っています。
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