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閑話休題−花田さんのファン−



こういうことは自分のHPにくらいしか書けないので、赤裸々に恥を晒してみよう。

FSHISOで「メールをもらう」機会というのは、私の場合、どうも多かったのではないかと
最近、思うことがある。BLや特にSUBSYSのときは、殆ど返信を書かなかった。はじめ
ての方には、FSHISOに書いてくださいということを、もっぱら薦めていた。でSUBSYSを
やめた時には、またどっと増えた。

他所のフォーラムからスタッフをやってくれという話もあった。あるフォーラムからは10人
くらいの会員から同文の「SYSOP就任依頼」なんてものもあった。就職の相談もあったし
論作文の添削依頼というものもきた。私にそういうことを頼むなどというのは、流行の言
葉でいえば「自爆」行為のようなものである(笑)

で、こういうHPを開設すると、またまたメールが増えた。自分のことというのは、どうにも
なかなかわからないものである。私なら少なくとも「花田 信一郎」にメールなんか出そう
とは思わない。何かうっとおしそうだし、うるさそうだし、暑苦しいし(苦笑)

困ったことなのだが、晒しついでに書くと「花田さんのようになりたい」という驚天動地の
メールが届いたりする。断言するが、私みたいなのは、私ひとりで充分である。こんな
のが沢山いると、大変である。私にもその程度の「自覚」はある。

で、何で「花田さんみたいになりたいのか」訊ねてみた。色々なパターンがあった。

「オフの花田さんは優しそうである」

優しいなんてことはない。責任がある、事故があっちゃ大変だとは思っていたが、別に
優しいなんてことはなかったと思う。体験していない方の「誤解」というものだろう。

「花田さんのように強くなりたい」

これも誤りである。私が入会した当時のFSHISOというのは、私より「弱い」方も、私より
も「弱そうにみえる」方もいなかった。強い者にしかむかっていかないという話なのだが
それは、私より「弱い方」がいなかったというだけのこと。そういうフォーラムで揉まれれ
ば、否応なく、強くならざるをえないのである。

「罵倒を引き受ける姿に感動する」

別に好きで引き受けているわけではない。罵倒する会員に「罵倒はやめてください」と
いうほど空しいことはないという諦観があるだけである。それで罵倒がなくなったなどと
いう事例を私は知らない。知っていたら逆に教えて欲しいものである。

「あの議論のツリーの作り方が面白い。どこまでが本当でどこまでが演技なのかよくわ
からない」

褒められているのか、貶されているのか、よくわからない話である。

「花田さんは議論で対立した会員と別のテーマの話では、和やかに話が進む。あの感覚
に憧れる」

単にあつかましいだけなのかもしれない(笑)

もちろん、批判のメールを頂戴することもある。「頑固過ぎる」「やさしさがない」「偏屈にみ
える」「罵倒しないだけで腸を抉り出すようなことを書く」(←そんなことはないと思うが)

色々な評価をいただくことがある。有難くも嬉しくもあるのだけれど、どこかで、何か変だな
ぁという、不思議な思いに苛まれる。「花田氏は基本的には癒しの人ですよ」と、これは以
前、FSHISOのアクティブから頂戴した花田評だが、んなことはないと、私は呆然としてしま
った。

「昔から花田さんの発言をみていますが、時々、ショートショートも2番に書いてください」と
言われると絶句してしまう。あんな恥ずかしいことは、もうしない(苦笑)

私は私でしかないのだけれどなぁ。





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