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絶対に爆発しない「爆弾」



苺ちゃんねるの「えふしそ板」に「絶対に爆発しない爆弾」という発言があった。
「爆発」というのが「訴訟」というものを指すのであれば、まさにそのとおりである。

ただし、こういうことを機会に「訴訟」というものを、あくまでもケーススタディとして考える
ということはある。どこかに、tty氏や著美氏の発言は「証拠として採用されない」それは
そのことを知らせてくださった方が表に出てくるはずもないし、まして花田のために証言
するはずもない、ということであったが、証拠という解釈に限っては、それは誤っている
と私は思う。

当該発言者が特定できれば、それはもちろん「証拠」になる。それはいずれもtty氏のID
であり、著美氏のIDである。で、この二人の実在を証明することはたやすいことである。
情報提供者が訴えられた場合、それは「情報送信権の侵害」「プライバシーの侵害」と
いうことになるだろうが、訴訟になっても「負けること」はない。「当該発言を花田に提供
した理由」はいくらでも説明できるし、その場合、おそらく違法性は阻却される。

私が、当該発言者からの発言ログ開示を要請しているのは、自分の発言である限り、そ
れを誰に送信しようと、それが自身のプライバシー侵害になるはずがないからである。
polo氏は、その点をおわかりなのであろうか、と掲示板の氏の意見を読んで私は思った。
しかし、いずれにしても「法廷闘争」になど、なるはずもないのだから、この問題について
は、このあたりにしておこう。

「名誉毀損」というのは、表現を通じて行われる違法行為である。で、この場合、私に対す
る「誹謗中傷侮辱」というものが、私の読むことの出来ない場所で行われた際に、発言者
は「本来、読むことのできない(花田)に対して、何らかの責任を負う義務が生じるか」とい
う点である。閉じた場で行われた発言である以上、発言者の責任というものは、その閉じ
た場の「本来、読める対象者にしか、責任を負う義務はない」というものが成立するかどう
か。もし、これが「義務はない」ということになれば、当然、私に対するいかなる誹謗中傷侮
辱も、それをもって「名誉毀損」にもあたらなければ「名誉感情の侵害」にもならなければ、
いかなる「違法行為」も存在しないということになる。

しかも、その発言が行われた場所というのは、不特定多数とはいえない、ごく限られた関係
者が集う「パティオ」である。私が最も、関心を抱いたのは、この点であった。

結論としては「私がその発言の存在を知った以上、そして、その表現内容が(法律的にいえ
ば)刑法や民法の想定する名誉毀損を構成する限り、刑事的・民事的責任を問うことは可能
ということ」になりそうである。このあたりは解釈論という余地も当然、残したものである。

そんなことを知らなければ、判断や検証すること自体、不可能なのだから、成立などするはず
もない。これまた当然のことである。

こういうことは、知識としては有していても、決して損にはならない。

ただし、私はこういうことで法的手段になど訴えないし、そういう形で自分を「守ろう」などとは、
全く考えない。というのは、名誉毀損が表現という問題を巡っての紛争である以上、名誉を保
護しようとするあまり、名誉毀損となる表現の範疇を広げれば、それだけ「表現の自由」は制
約されることになる。もちろん、表現の自由を強調すれば、それだけ「名誉の保護」というもの
が手薄になってしまう。この調整原理というのは実に難しいものがあるが、萎縮というのは、
本来「名誉毀損ではない」発言までもが萎縮してしまい、言論の場、議論の場に必要のない
自主規制を生み出すことになってしまうからだ。そういうものには、私は断固として反対という
立場である。

対抗言論というのは「buffer zone」を設けることだと私は考えているが、それは「本来は名誉
毀損となるはずの領域にまで、あえて踏み込んで、表現の許容される範囲を拡大されるとい
うもの」でもある。

私は「匿名掲示板」というものについて「本人がアクセスできない場所での誹謗中傷侮辱より
は、ある意味発言者の特定がそう簡単ではないにしても、フェアな面がある」のではないかと
思っている。そういう意味では、別に「自分に対する批判」がどれだけあろうとも、だからどうこ
うというつもりもなければ、あんな板は潰してしまえなどと考えたこともない。
例えば、読んだ上で、反論することも、無視することも、そこから議論を発展させることも可能
であるし、その選択肢が私にとって何ら制限されているというわけではない。

対抗言論の理論というのは、両者が対等な言論手段を有しているということが必要不可欠に
なる。この点からいえば、私は「訴訟支援の部屋」へのアクセス権を有していなかったわけだ
から、少なくとも発言者は、対抗言論などというのは口先だけで、そういうことは全く考えても
いなかったということが判断できる。「モアスピーチ」がきいて呆れるというものだ。

一方、このHPというのは、どこのプロバイダからのアクセスも可能である。それを制約しようと
思えばできないことはないが、今のところ、そういうつもりは全くない。
同等のメディアへのアクセスが可能というのは必須条件ということでもある。
それが可能であれば、極端なことをいえば何も「国家」が介入する必要などない。

私は、訴訟支援の部屋の当該発言者・管理者・実質の主宰者に対して、反論の場を整えた。
そして、事実関係の確認についても、事前に行った。ただし、相手に反論を求めるということ
は、相手側からみれば、時間的にも精神的にも時に負担となる場合というのは存在する。

で、この場合、当然のことながら、相手に対して「そのような負担を要求しても」不公平とはい
えない何らかの事情の存在が必要になる。そして、この場合「不公平」にはあたらない。

なぜならば「自分たちが引き起こしたこと」だからである。もともと自己の不用意な発言と対応
によってこういうことを招いたのだという自覚が、彼らにあるのかないのかわからないが、ない
というなら、おそろしく「おめでたい」集団ということになる。

そして、この判断というものは、裁判所などというものでなく、多くのネットワーカーに委ねれば
いいということだ。それぞれの発言に、どのような意図があり、何が示され、何が問われなかっ
たかということも含めて、色々なものがみえてくるだろう。その評価がどのようなものであれ、
そういう議論があったということの事実は、それぞれのネットワーカーに継承されていく。

自分たちがひきおこしたことについて、対処しない、対処できないような者たちの「自己責任
原則」などというものは、私からみれば滑稽以外のなにものでもないということになる。





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