前回の「名誉毀損のポイントについて」に一部、誤りがあった。
お詫びして訂正しておく。
>公共の利害・公益を図るということについては、彼らはいずれも、ネットワーク事件では初めて
>の訴訟ともなった「ニフティ訴訟」の被告でもあり、
を
>公共の利害・公益を図るということについては、彼らはいずれも、ネットワーク事件では初めて
>の訴訟ともなった「ニフティ訴訟」の被告や支援者でもあり、
と訂正します。
さて、対抗言論ということについては、東京大学の高橋和之教授が強く主張した説であり、「モア
スピーチの可能性」とも言われる。表現の自由という観点からみても、実に魅力的な見解でもあ
る。これについて町村泰貴 (亜細亜大学法学部教授)は「ネットにおける名誉毀損-ニフティ名誉
毀損事件-」で以下のような主張を展開している。
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しかし、対抗言論可能性を理由に名誉毀損発言の免責を認めるためには、いくつかの前提が
必要だと思う。
まず、被害者が対抗言論によって反駁可能だというだけでなく、そうしなければならないこと、つ
まり反論義務があるといえる場合でなければならないだろう。名誉毀損の被害を受ければ、
その損害の回復のために法的手段、すなわち訴訟によって損害賠償や謝罪広告を求めるこ
とができるのは当然のことであって、反論可能性があるというだけでは訴訟での権利主張を
否定する根拠とならないからだ。
また、反論によって名誉回復することが現実に可能な場合でなければならない。反論による
名誉回復が実際には不可能だったり、困難だったとすれば、そのような手段があるといって
も絵に描いた餅だ。そして反論が現実に可能かどうかという判断は、被害者の個人的な事情
や通信環境に大きく依存するものである。
さらに、現実的な反論可能性ということにも関係するが、Bさんのように長期間繰り返しAさん
の人格攻撃を続ける相手には、反論の負担は極めて重いし、また名誉毀損回復という効果
も全く期待できない。反論しようとすればするだけ、相手と同じレペルに陥り、かえって社会的
評価は低下するかもしれない。
そのように見ていくと、ニフティ事件のAさんが対抗言論によって名誉回復すべきだったという
ことは難しそうだ
(インターネット事件と犯罪をめぐる法律 インターネット弁護士協議会編2000年9月より引用)
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そもそもLee氏の発言が「全体の文脈として捉えたときの名誉毀損となりうるかどうか」につい
ては議論の余地があるし、免責を認めるというのではなく、名誉回復の手段、方法と言論の自
由という問題ではないかと私は考える。「反論義務」がある場合、というのがどういう状況なの
か、私は想像することができなかった。対抗言論によって自分の名誉を回復するのか、法的
手段に訴えるのかというのは、つまるところは本人の選択の問題である。私は「自分の言葉」
によって自分の名誉を守りたい。他人に自分の名誉など守れるはずもないし、守って欲しい
などと考えたこともない。
「反論」によって「名誉回復ができない」というのは、私は反論の方法に問題があるのではな
いかと思っている。何も「声の大きいもの」「罵詈雑言を駆使するもの」が「正しい主張」をして
いるとは限らないのである。
「対抗言論」「反論権」「自己責任原則」「アカウンタビリティ」これらは、人がネット上で「自由
闊達に堂々と自己の主張や考え」をぶつけ、そこに参加する会員たちと「切磋琢磨」するた
めの「知恵」なのだと私は思っている。「自分のもつ言葉のチカラ」を試す場所でもある。
10年前には、私たちには、こういう道具を持つことはできなかった。そして、遅れて参加した
私のような者でも、ネットを通じて、多くの方々と知り合う機会を得た。多くの可能性というも
のが、このネットコミュニケーションというものには存在している。
私は、WAKEI氏にこのHPの文章を事前送付した際のやりとりで、最後に「あなたはもう少し、
正直になった方がいいと思う」ということを書いた。自身が取り組んできたこと、そのことによ
って守りたかったことは一体何であったのか、そういうことを考えられない方ではない。私は
SYSOPが誰になろうと、FSHISOというのは、WAKEI氏を抜きに語ることはできないしそういう
意識もない。WAKEIさんがいたから、FSHISOが存続した。これは事実である。
その精神とは何であったのか、よくよく考えて欲しいと思っている。
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