「ログの送付など何年待とうがありえない」という趣旨の発言が、「苺」やここの「掲示板」にも
あった。「花田が証拠となるログを開示しない以上、検証などできるはずもないし、それでは
誹謗中傷発言など、あったかどうかすら疑わしいという趣旨の発言もあった。
前者については、そう決めるのは早計ではないかという印象を私は有している。というのは、
一時期、少なくとも、当該発言者は、対象発言を私に送付することに同意しているという報告
を私が得ているからだ。それが提示されないのは「公開される」ことを彼らが拒んでいるとい
うことしか、私には考えようがない。
「当事者がいないところでの陰口・誹謗中傷」というのは、別にネットではそんなに珍しいことで
はない。そして、私自身、仮にそのようなものがあったとしても、全てに対して、このような対応
をとるというわけでもない。無視できるものは、無視するということである。
ただし、今回ばかりは、そうはいかない。
何故か。彼らこそが「自著」で「反論権・対抗言論・自己責任原則・言論による名誉の回復」とい
うことを最も主張してきたからである。現代思想フォーラムというのは、いわば、そりための
「環境整備」を行ってきた面というものがかなりある。「ローカルルール」の制定というのは、あ
る意味では、その最たるものであろう。参加者が「自分の言葉のチカラ」を信じ、ネットでおこ
ったことは、議論によって、ネットで解決しようよ、という趣旨である。
その彼らが「反論権」を制約し、少なくとも「自分たちが行った発言」という自己責任原則というも
のを軽視し、当事者に対して「そこでどういうことがおこり、どういう措置・対処がとられたか」とい
うアカウンタビリティを果たさない。ネットワーカーとしての、彼らの根本思想というのは、一体
どういうことなのか、ということである。彼らにとっての「反論権」とは何か。自己責任原則とい
うのは、本当は一体どう捉えていたのか。WAKEI氏が私に対して確か二度ほど述べた「この活
動というのはフェアにやりたい」という、そのフェアというのは何であったのか。アカウンタビリティ
を果たすというのは、一体、どういうことだと考えていたのか。
例えば、そういうことと全く無縁な人々であったならば、それはそれで人によってネットの過ごし
方というのは様々なのだから、別に私はとやかく何かを申し上げたりはしない。ただし、彼らの
場合「主張してきたこととやっていることが」出鱈目なほどに違うのである。そのことを問題にし
ているわけだ。少なくともある時期、支援をした人間である以上、私はそのことを知る権利はあ
ると思っている。一体、どちらが本当なのですか、と。
そういう物事というのは、はっきりさせなければいけない。
共産党の「査問」が行われた背景というのは「党内の問題は党内で解決する」ということと同時
に、それは「断じて」「外部に漏れてはならない」というものがある。でないと、ああいうことは、で
きるものではない。そして「外部に漏れない」となると、内部の人間たちの都合のいい勝手な、
解釈が横行し、およそ社会の規範とはかけ離れた、醜いものが出現する。だから、この問題
が表にでた際に、日本共産党は、その行為そのものについて、何ひとつ反論らしい反論ができ
なかった。
川上氏への批判の中に「そういう恥部はあるし、それを外部に晒すようなものではない」という
ものがあった。私はそう考えないが、話を戻すと「他人のいないところで他人を誹謗中傷する、
会員を抱えてのこの訴訟の支援活動とは一体何であったのか」つまりは、その程度のものであ
ったのかということである。
この訴訟を支援する以上、それは被支援者も含めて、ある倫理観に縛られるというのは、当然
のことである。それがないというのならば、彼らの主張など、さしたるチカラはもたない。
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