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ある体質



もちろん、私は「支援の部屋」に正確には何人の会員が存在するかを知らないし、例えば、
WAKEI氏や純氏、tty氏や著美氏の支持政党など聞いたこともなければ、彼らがどんな政党
を支持しようと、私には全く関心がない。はっきりいえば、どうでもいいことである。

ただ、今回の問題の処理の方法をみていて、私は、それが日本共産党に似ているなとは、
強く感じることとなった。一言で言うならば、内弁慶であり、度し難い無謬性ということになる。

外部の批判を極度に怖れる。それが厭なものだから、問題を内部で、みえないところで処理
しようと懸命になる。自分たちに都合の悪いことは「隠蔽」するという体質である。

例えば「サンデープロジェクト」といった公開番組で不破哲三氏と小沢一郎氏が議論をしたと
いうことがあった。共産党の執行部というのは、支持者に対しては、或いは自分たちが批判
されることのない党大会の基調報告などでは、実に能弁である。立て板に水のように言葉を
送り出す。ところが、相手が批判的な立場を有している場合、対論になると、どうもしどろもど
ろになってしまう。きっと面と向かって厳しい口調で批判されるという経験に乏しいからであろ
う。私はそういう企画の番組を何度か観たが、いつも同様の印象を感じていた。

共産党の場合「党内問題は党内で解決する」という大原則がある。ところが川上氏に対して、
或いは油井氏に対して、未だ反論権・弁明の機会を与えていないという事実は厳然と存在し、
そうなれば、こういう党の体質を問うということは、言論の手段としては、当然生じることになる。

で、日本共産党という政党は、実は、そういう経験に乏しい。というか、そういうケースを想定し
ていないのである。だから、その反論たるや、少なくとも「査問」に関する書物を読んだ人間か
らみれば、およそ説得力というものに乏しい。「査問という制度はない」「あれは調査」などとい
う、その調査の方法が人権委員会に提訴を持ち込まれて、うろたえるようなものであるという、
問題・内容そのものを回避せざるをえない。そうやって強弁せざるをえないということになって
しまう。

で、日本共産党の場合、野坂名誉議長を除名処分にしたわけだが、例えばこれにしても内部
の調査で判明したというものではない。立花隆の「日本共産党の研究」が、実は発端になって
いる。後日刊行された「闇の男」(文藝春秋刊)にも、そのあたりのことは詳しい。

で、今回の場合、patioでおこったことはpatioで解決するといっても、実は、そんなことなどでき
はしない。私は「支援の部屋」の会員ではないからである。それで彼らは、急遽、自分たちが、
出版作業推進のために設定した「出版推進室」で、私の反論権を制約しようとした。

それはあくまでも、彼らの都合以外の何物でもなく、私がそのことに従わなければいけない理
由などというものは全く存在しない。対抗言論の機会を「反論」の著作者たちが「奪っている」
ということも、今回は歴然としている。発言削除などというものは、私にとっては今回のような
ケースでは何の意味もない。

幸か不幸か、私はFSHISOに入会し、いわゆるnifty訴訟について、資料を元に色々なことを
調べ、専門ではないにしても、ネット上の法律問題というものについて、否応なく色々な文献
を読むことになった。私自身は、ネット上での問題は、ネットで反論権を行使する、ネットでの
ことはネットで解決するという立場を堅持しているが、それは私がそうだというだけのことであ
って、相手がそうだとは限らない。そのときには、訴訟になっても、絶対に負けないだけのもの
は用意しておく必要がある。これまた当然のことであった。

私は今回のケースから、万一にも自分が、今後、FSHISOであれ、どこであれ、私が訴えられた
ときに、絶対に支援者など公募すべきでもなければ、そういう支援者に頼ることだけはすべきで
はないことを痛感した。そのときは、私が本当に信頼できるネットワーカーとひっそりと、もちろ
ん公募もせず、自分が信頼できる弁護士に依頼して、事に当たるだろう。推進室というのは、
ある種の「組織的一面」という性格を有していたと私は考えているが、組織に縛られて本質を
見失うようなことは愚かなことであるし、そういうことをすべきでもない。実にみっともない様相が
そこに表出するからである。






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