「暗闇からの一撃氏」が掲示板に書かれたコメントの全文である。
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覚悟はよろしいか? 投稿者:暗闇からの一撃 投稿日: 8月18日(土)00時17分20秒
>或いは「暗闇からの一撃さん」の主張は、こういうことかもしれませんね。「証拠が出せ
>ないならこういうことをするな」と。
ようやくそこに思い当たりましたか。随分時間が掛かりましたね。
外部の人間から見ても、内輪の恥を外に向かってさらけ出すなど恥の上塗りでしかありません。
本来、内輪で解決すべき問題です。尤も、解決できずに外に吹き出すことになったのかもしれませんが。
自分の名誉の為に他人のプライバシーやら権利やらを踏みつけにする覚悟が無いなら、この様なことを
始めるべきでなかった。
おとなしく泣き寝入りでもしていれば良かったのですよ。
裁判と言うものも、結局は私権と私権の争いであり、どちらの権利がより優越するかと言う争いでしかあ
りません。奇麗事では済まない話でしょうに。
花田さんにとって、他人のプライバシーと自分の名誉回復の権利と、どちらが重要ですか?
そして、それによって失うものもあるはずです。
実際、お互いに気心の知れたもの同士で争えば、以下の通りの展開しか道は残されてい
ません。
そこまでの覚悟があるなら、どうぞおやりなさい。
私の基本的立場は「野次馬」ですから、面白おかしく見物させて貰うだけのことです。
再掲)
>暗闇劇場 投稿者:暗闇からの一撃 投稿日: 7月19日(木)12時00分06秒
>
>スタッフ造反劇【−ぞうはん・げき】
>いつも華々しく始まるが、いつ終わったのかが定かでない劇。
>ニフティ開闢以来何度も上演されているが、面白かった試しは無い。
>出だしはいつも決まっている。
>造反者「俺はお前の秘密を知っている!」
>運営陣(おまえのモナー)
>
>最初の一手で全てが終わっているのだが、観客には見えない。
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氏は、ここで「内輪の恥を外に向かってさらけ出す」という表現を用いている。
まず、私は「支援の会」のメンバーではないから、当然、「内輪」ではない。
そして「内輪の恥」と書かれているが、暗闇からの一撃氏は、掲示板の別発言では、このよう
な発言を残されている。
>こうした過去の花田さんの言動を見る限り、あなたの発言は全く信用するに足らない。
>当該発言そのものに接触する機会を持たない以上、私にとっては「花田氏の主張する誹謗
>中傷発言」など、存在しないも同然である。
「花田の発言は全く信用するに足らない」「存在しないも同然」と論ずる書き手が考える「内輪
の恥」とは何であろうか。おそらくは「花田の言うような誹謗中傷発言があったにしても、或いは
自分(=暗闇からの一撃氏)は「誹謗中傷発言」はあるのだろうとも思っているが、それをみる
ことができない以上は、こういうことはするな、という趣旨の発言だったのだろう。
ドチャットで「推進室のメンバーをみたときに冗談半分、天下がとれると思った」というわと氏の
発言があった。なるほど人によって、考え方は全然違うと痛感したものである。もっとも、わと
氏のいう「天下」とはどういうものを指すのか、私にはわからないのだが。
私は、メンバーをみて、ひたすらに憂鬱であった。実は公募したときに、メディア関係、出版関
係、フリーライター、ジャーナリスト、そういう方の参加を密かに望んでいたという面が私には
あった。顔ぶれをみれば、船頭ばかりが多くて、事をまとめる、実作業を具体的に推進してい
くという面々は誰もいなかった。そういう役割はといえば、あの中では、私一人である。しかも
そのことについて、私をサポートできるような分野の人間は誰もいない。これで頭を抱えない
ほど、私は鈍感ではなかった。天下云々などというよりは、これは大変だぞと、一人思ってい
た。
現実に「事を進めなければいけない立場の人間」というのは、全く別のことを考える。
>本来、内輪で解決すべき問題です。尤も、解決できずに外に吹き出すことになったのかも
>しれませんが。
まず、私は「内輪の人間」ではありません。解決できずにというのも、そのとおりです。というか
みんな、実に内弁慶だなとは思いました。外からの視線とか批判というものに対して、実に脆
い面がある名とは前々から感じていましたね。
>おとなしく泣き寝入りでもしていれば良かったのですよ。
あの内容をみて「泣き寝入りする」という選択は、私には全くありませんでした。そんな自分を
卑しめるようなことはできませんでしたね。
>花田さんにとって、他人のプライバシーと自分の名誉回復の権利と、どちらが重要ですか?
>そして、それによって失うものもあるはずです。
人間というのは「得るものと失うもの」の繰り返しのようなものです。他人のプライバシーと自分
の名誉回復の権利というのは、もちろんどちらも重要なことです。そして、私は法というものは
できる限り尊重したいと考えていますから、他人のプライバシーを冒さず、それでいて自分の
名誉を守る、事実に即した反論権を行使する、そのためには、当事者に当該対象発言の提出
を求める、これが最善の方法であると考えた、ということです。
私は、この支援活動に費やした少なからずの時間、これはもう残念ながら取り戻すことはでき
ません。しかし、私は私なりにこの問題を「泣き寝入り」などすることなく、総括する必要があり
ます。そのことによって、私はこの問題にけじめをつけなければいけません。でなければ、一体
あの「支援活動」というものは何であったのか。
「反論権を規制し、それを与えず、説明責任すら果たさない面々の支援をした」ということを、私
の生涯の中に残すことは、何より私自身が許すことのできない問題でもあるのです。それを許
せぱ、私は「自分」というものを、この先どこかで軽蔑しながら過ごすことになるでしょう。
そんなことはできない。
そのけじめは、全てのネットワーカーの批判を前にしても、決して妥協することなどはできない
ということです。
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