もし、tty氏や著美氏が「支援者」という立場になく、単なる一フォーラムのSYSOPなりSUBSYS
であったならば、私は、おそらくこの問題を棄てておいたかもしれない。そう思っている。
私は、以前このページで「本人のいないところで陰口や誹謗中傷をするのが、好きで好きで
仕方ないにしても、支援者だというのであれば、そうではない自分を演じなければいけない」
という趣旨のことを書いた。無理をしてでも、そういう自分をそこでは作らなければいけない。
それが、あの訴訟を支援するという「資格」のひとつだと私は考えてきた。というか、そういう
立場をとらないで、あの訴訟を支援などできるはずがないとも思っていた。つまり私からみれ
ばtty氏や著美氏は「本当の支援者」では「ない」ということになる。
「ドチャット」というページにpolo氏(ここの掲示板のpolo氏かどうかはほからない)が興味深い
ことを書いていた。「花田は吹き出物である。病巣はもっと深いのでは」と確かそのような趣旨
のことであった。
要するに「喉元すぎれば熱さを忘れる」「懲りない」基本的には、そういうことである。私は出版
推進室で、著美氏にあれだけ注意をし、批判をし、最後、WAKEIさんとは決裂した。私だけで
はな く、別の件でもWAKEIさんが注意を示したこともある。それだけのことがあっても、同じこ
とが繰りかえされる。
こう書くと確かに推進室というのは、一体何をやっていたのか、ということになるかもしれな
いが、少なくとも推進室では、著美氏以外の全ての会員は、出版や訴訟支援のことに「限
定」した書込に終始していた。
ある意味では、律していたと思う。
推進室の参加者というのは、ある意味、古いメンバーが多い。かなりのパワーアクティブも揃
っていた。FSHISOが賑やかであった時代のメンバーも含まれている。そういう時代を過ごした者、みてき
た者にとっては、ある種の懐かしさであるとか、親和性を感じる「場」であったかもし
れない。
そして考え方は違っても、いわば「支援者」という同心円的な意識も醸成されていた。そういう
ところでは、それほど批判に晒されることもないであろう。閉じた場なのだから、それはここの
メンバー以外には「わかることはない」という、安心感とは違った粘着的な甘え。そして推進室
が、出版というひとつの目的を達成してからは、そんなにこの件で発言するということもなくな
る。裁判の傍聴についての報告なり感想なりが書かれる程度で、それも結審してからは、あと
は判決を待つばかりという状況になる。
発言することも、発言しなければならないことも減るのである。当たり前のことだ。
私は当時、結審後、判決後のマスコミ対策をどうするのがいいか、具体的にどうこうというもの
はなかったし、決まってもいなかったので、書きもしなかったが、そういうことを考えていた。
私個人は、控訴審では、WAKEIさんの主張に沿った判決が示されるだろうと期待しているし、
そうなるだろうとも思ってもいるが、何といっても、裁判というものは、時に意外な判決というの
も下されるのである。万一、そういう結果になったとき、ここでまた踏んだり蹴ったりみたいな
話になることは避けなければいけない。上告するとかしないという問題とは、それは全く別の
次元のことである。
不当な訴訟・原告側の、少なくとも被告サイドに比べれば長けたマスコミ対策。検証妨害、他
にも、全く違う、誤った情報の流布。ある法律ガイド本には「SYSOPは事前に発言者の登録す
る内容をシステム上知ることができたのだから」などという、全く事実無根の記述もあった。
この上、万一、意図に反した判決が出て、結果、何かセカンドレイプみたいなことに晒される
ような事態に、対処できるものはしたいと思っていた。懲りているという面もある。
それが、本来の場の目的とは、どんどん違うものへと変容していく。私も雑談のひとつも書いて
みたいと思ったことはあったが、そういうことは控えていた。まして、いない者への誹謗中傷侮
辱などというものは全く論外である。
第一、いくら鈍感であっても、被支援者が「そういう書込を嫌う」ということは、わからなければ
いけないし、自覚もしなければいけない。わからなかったなどとは断じて言わせない。
いわば確信的行為なのである。被支援者のことを多少なりとも頭に浮かべれば、そういうこと
は「わからなければいけない」性質のものである。それでもやるというのは「面従腹背」の屈折
した表れなのか「支援してやってんだから、この程度は大目にみろよ」ということなのか。
そうやって、WAKEIさんを、それこそ自分たちと同じ穴の狢にでも仕立てようということか。
こういう者を、私は支援者などとは呼ばない。WAKEIさんが彼らをどう評価しようとも、私の評価
は全く別のところにある。
懲りない者が群れている。そういうものでしかない。それが病理でもある。で、自分たちは「ネッ
トワークのよりよい発展のために」などと語る。ふざけるにもほどがある。
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