さきほど「苺ちゃんねる」の「えふしそ板」にざっと目を通させていただいた。なかなかに
興味深い内容もあるので、今日の最後に、それらのいくつかについて拙見を述べてみ
たい。
まず「花田の陰口を言ったら、それは全部花田に報告しなければならないのか。それで
あれば花田のメールボックスはたちまち満杯になるのでは」という趣旨について。
声をあげて笑ってしまった。もちろん、そんなことはない。第一、それでは「陰口」にならな
いではないかというのは、そのとおりである。
例えば、他の会員が「同じこと」をし、そういう事実を私が知ったからといって、同じ対応を
とるとは、もちろん限ったことではない。自己責任原則とか反論権という考えをもたない方
に対して、開示しろ、反論権を主張するなどといっても、それは空しいものがある。
「花田の反論権なんかどうでもいいし、関係ない」
それで終りである。
私は、一時期、WAKEI氏の訴訟支援という立場にあった。今流行の「成果主義」というもの
でいうなら「5/100とか10/100」程度のものでしかなかった。この点については弁明の
余地は全くない。期待に沿うことが、殆どできなかったというのは、厳然たる事実である。
このときに、過去の色々な資料・雑誌記事・新聞記事などを、まとめて読んだことがある。
LEE氏の主張といったものは、殆どみつけることができず、もっぱら、この事件を上っ面で
捉え、面白おかしく適当に編集した、というものが殆どだった。早い話が「言われっ放し」
なのである。で、言われっ放しでも、一審で負けなければ、それはそれで「正しい戦略」で
あったということにもなるのだが、あの判決は、かなり不当なものだと私も思った。もちろ
ん判決文を読めば「何もかも退けられているわけでもないのだが」それにしても、同意で
きるものには、私にはみえなかった。
「反論」という本が世にでる前には既にあったと思うが、nifty訴訟を考える会として、これら
について議論する掲示板も作成された。原告側乃至原告側からの「反論」があれば、いつ
でもアクセスできるような環境が整えられた。それはそれでフェアな試みであったと思う。
あの訴訟の原因のひとつに「非公開運営会議室」の存在というものがあった。著書にあると
おり「一般会員にはみえない、しかしスタッフにはアクセス可能な会議室」である。そこでの、
情報開示や処理の問題を巡って、ある意味LEE−Cookieの対立は、激烈なものとなった。
例えば純氏は当時スタッフではないが、訴訟時期のフォーラムというものをリアルタイムでみ
てきている方である。WAKEIさんは、きんごろう氏の後のSYSOPであり、不当な訴訟の当事者
にされた方である。tty氏は、訴訟後の入会であったはずだが、かなりの情報の共有化はでき
ている。著美氏についても同じこと。
つまり、
「非公開でのアクセス権を持たない人間に対する誹謗中傷や侮辱というものが、トラブルの原
因となることを最もわかっている会員たちが、懲りもせずに、同じことを行う」ということなんです
ね。「本人のいない場所での誹謗中傷・侮辱が行われる」というのは、最もわかりやすくいえば
発言者に「ばれないのだから何を言ってもいい」ということに通じます。それを管理者・主宰者が
放置していたのであれば、何故放置できたのか。それは自己の思想や理念に全く反するものと
は考えなかったのか、ということです。
私のこういう批判を待つまでもなく、自分たちが築いた理念やネットについての思想を、この人
たちは、どうしてこうも簡単に棄て去るのか、と思うわけです。それが本物だというのであれば、
自分の思想や理念に、もっと正直でなければいけない。
というか、私は彼らは、その点にはフェアだし、堂々とすると思っていました。だからこそ、時々
に激しい対立を抱えながらも、その一点を私は信じたし、だからこそ、この活動に時間を費や
したというのが、私の中にあります。
それは、見事に裏切られました。というか、そういうものを私が見抜くことができなかった。
そのことが、本当に腹立たしいですね。私は仕事でも、ネット活動でも、趣味の分野でも色々
なことに参画するという機会、それには恵まれましたが、これほど無礼な扱いを受けるとは、
思ってもいませんでした。
そういう利用のされ方に気がつかなかったというのは、自分自身、本当に悔しいものがありま
す。彼らはどうあれ、私はある点については、信頼に値するとは思っていましたから。
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