この問題について、前回までの原稿は事前にWAKEIさんに送付させていただいた。
私自身、全容を把握しているわけではないが、さりとて、事実関係についての明白な
誤りがあれば、それは公開前に訂正をしなければならない。Internetの場合は、一度
公開してしまうと、その情報を訂正するといっても、既読者全てに、それが必ず伝わる
という保障は「ない」からである。
WAKEIさんからは「指示代名詞でなく固有代名詞で(でないとわかりにくい)」というもの
があった。ただし、全てを私が特定できるわけではない。
もうひとつ、こちらの方がおそらくは重要である。
まず、WAKEIさんは「このHPを全く読んでいないし、今後も、このHPを読むつもりはない」
ということ。これをはっきりしておくとのことですので、そのまま、書いておきます。
私が以前の原稿で「彼らはこのHPを読んでいる」と書きましたが、WAKEIさん自身はそう
ではない、ということだそうです。
次に
「私が読むつもりはなく、また、読んでもいないことがはっきりしているところで、花田さん
が私への批判をすることの意味を、今回の花田さんの文章の全体の趣旨にてらして、ど
のようにお考えなのかも、ちゃんと書かれるよう要請します」とのことですので、この点に
ついてお応えしましょう。
簡単なことである。
「読むことができない場所での批判」と「読もうと思えば読むことは可能だけれども、それを
自身の判断や意思で読まないと決めた場所での批判」というのは、性質が全く異なるという
ことである。読むことができない場所での批判というものは、最初から既に当事者の反論権
は奪われている。しかし、後者は、本人が読もうと思えば読むことができ、必要に応じて、自
身の判断によって、反論するのか無視するのか、反論するとすれば、どういう方法でそれを
行うのかを自己決定することができる。
この差は、天と地ほどのものがある。WAKEIさんが、ご自身の意思や判断で「読まない」と決
めたものを「強制して読め」などというつもりは毛頭ないし、そんなことは、できはしないし、す
べきでもない。それは個人の判断なのだから、そのことに対して、とやかく言うようなことでは
断じてない。当然、無視、黙殺する権利というのは、存在するのである。
ただし、それは「WAKEIさんの反論権を予め最初から奪うような、卑怯なものではない」という
ことである。例えば、今、私が既に退会している「推進室」という場で、或いは私に対するどの
ような非難が仮に行われていようとも、それを私はどうこういうつもりもない。それは、私がア
クセスできる状況にあるにもかかわらず、私が私の判断で、そこを退会するという自己決定を
行ったからである。その理由については、何度か書いたので、ここでは触れない。
つまりは、そこに「対象者の反論権が存在したか、しないか」という前提の問題である。そうい
うことをWAKEIさんが既に理解できず、私にこういうことを要請したというのであれば、それは
もう、気の毒としかいう言葉はない。
確か、SYSOP選定の時期の定例RTであったと思う。そこで指名者のことが当然話題になるわ
けで、そのとき、WAKEIさんは「当事者のいないところで、色々な論評はしたくない」という趣旨
のことをはっきりと述べられている。私は後日、ダウンロードして、それを読ませてもらったが、
立派なことだと思った。それでなくともRTというのは、ついつい箍を外してしまいがちな環境に
あるのだから。
そのWAKEIさんがいて、こういうことがおきる。
私は「人」というのは変わるものだと思っている。思想にしても、価値観にしても、生活感にして
も、幸福の追求にしても、年齢や環境、様々な人々との交流によって、それは無論、変化して
いくということはある。
しかし、この問題についていえば、WAKEIさんが何故、今日までの考え方とは、おそらく180度
私には違うようにみえる方向に変貌したのか。私は、それはおそらく終生、理解できないもの
だと思う。ひとつだけ書けば、おそらくWAKEIさんの中で「守るべきもの」が変わったのだろう。
「反論」という著述を世に問うた人々が、私に事実経過も、対応も、その核になる点について、
何ら開示しないなどというのは、ある意味、ちゃんちゃらおかしいという他はない。
|