前回、私は、反論権を認めるということは、当事者への反論そのものを認めるだけではなく
被害を蒙った者が最も有効且効果的である反論の手法・方法までを認めることが必要なの
だと書いた。もちろん、それは「言論に対しては言論で」という大原則が守られた上での話で
ある。その手法・方法までを規制するということであれば、それはもう最初から「相手の反論
権」を認めていないというものに等しいのだというのが、私の主張である。
私がログ開示を依頼した会員は「当該情報は(花田)に開示することが問題だとは思えない
し、管理者もまた、それを許諾するだろう」というメールをくれた。管理者は、その要請を突っ
ぱねたようだが(ちなみに何故、突っぱねたのかという理由は、私には開示されていない)一
時期、発言番号指定によるログ開示を許諾していたとされる、当該発言者(それはtty氏と著
美氏である)からは、何故か、そのログは未だに送付されない。彼らが、何故、自分の意志を
実行しないのか、これまた不明だが、二人の会員(それはこのpatioの管理者である純氏と参
加者のWAKEI氏を指す)が、議論の場を「出版推進室」で行うべきだという意向を示している
ことを私は知っている。
私は、その「支援の部屋」たる、私が読むことのできない場所で、参加者が「訴訟に限定した
話題をここではやる」と管理者が決めたことについて、それは誠に結構なことだと思っている
し、普通、管理者なり参加者というものは、自分たちが決めたこと、或いは、参加するにあた
っての「前提」として、それを知った上で入会した以上、自分たちが決めたことを自分たちが
守らなくて、一体どうするのかということを思っている。もちろん、発言者が一体、何を書くかな
どということは、管理者にも他の参加者にもわからないことだから、そんなものは実は規制な
どできない。逆に言えば、規制できないからこそ、参加者それぞれが自らを律して、矜持をも
って、その場に臨むということが重要になる。
私が当該発言ならびに当該事項への対処を含む関連ログの提出を要請したのは、こういうと
きに参加者ならびに管理者がどう対処するかで、大体、ネットワーカーの本質というものがみ
えるからだ。少なくとも「当事者もいない、しかもパティオの目的にも何ら合致しない、他人へ
の誹謗・中傷発言をこういう場所でするものではない。もし、それをやるというのであれば、花
田が管理するHPなり、花田宛に直接メールを出すなりすべきではないか」という注意喚起は
当然、行うべきである。場というものを、本来の目的に戻すことを提言することは、この場合は
規制には当たらない。というか、もともと明確な目的を管理者自身が、明確に示し、そのことを
前提にWAKEIさんがこれを許諾し、それらを知った上で、参加者は入室しているのだから。
おそらく、誰も止めもしなかったのだろう。私はそう思っているし、前述したような喚起も行われ
なかったのだろうと私は推定している。つまり、極めてアンフェアなのだ。私がメール送信者に
託して、そのことを述べた際に、普通、アンフェアでもないのに、アンフェアなどと言われれば、
私に対して、何らかの抗議があるはずである。これだけの勇士が集まったパティオであるから
それが不当だというのであれば、黙るとは到底思えない。
アンフェアだという指摘に対して、私に直接、抗議してきた会員は一人もいない。つまり、このこ
とをもって、そういう状況が当該パティオに存在していたことを、私は確信している。
もっとも、訴訟支援の部屋などというのは名ばかりだったなどと言うなら、そんな目的に反した
部屋などとっとと潰すべきであろう。モラルというのは、そういうものである。
いつだったか、FSHISOに非公開運営会議室の存在があったときに、そこでのCookie氏の発言
を検証する(会議室への公開)ことが、原告弁護士から「それは、新たな名誉毀損を生み出
す可能性がある」などと、私からみれば、何とはなく恫喝にも似た意図が感じられて、非常に
憤りを覚えたことがあった。この点については、WAKEIさん、ならびに他の支援メンバーから
も不満の表明があったと記憶している。
繰り返すが、私は言論による反論を私の信じる方法で行うことを主張しているが、別にこのこ
とで、誰かを訴えるなどということを考えたこともない。にもかかわらず、彼らは私に関連ログ
を公開しないというならば、このメンバーも藤原弁護士をとやかく批判する資格など私はない
と思う。要するに、そうまでして彼らが守りたいものの正体というものが、私には今も何なのか、
そもそも、守るに値するような発言でもないのだが、つまり、自分たちが「不利益」であると感じ
それから自分たちを「守る」ためには、相手の反論権などというものは、せいぜい自分たちが
許容する、自分たち周囲の中だけでしか許されないと、そう考えているとしか、所詮、その程度
としか思っていないのである。
私は、一人のネットワーカーとして、少なくとも、今後、この人々に「反論権」だの「自己責任原
則」などという言葉を振り回さないでいただきたいと思っている。自分たちの都合のいいそれ
らを、さも普遍的なものとして、語るようなことは詭弁でしかない。
次回、何故、彼らが、それらの開示を拒むのかを、私の視点から考えてみたい。
|