例えば、自分が読むことの出来ない「場」に、自分に対する非難・誹謗や中傷発言が存在
し、それが少なくとも、自分自身の「名誉」に著しく被害を蒙ったと感じるときに、人はどうい
う対応をとるのだろうか。おそらくは、様々な考え方があると思う。
1.無視する。
2.読むことのできない場のパスワード開示を要求し、そこで反論する。
3.当事者に直接、反論する。
4.訴訟を提起する。
私の場合、4という選択肢は無論とらない。言論については言論で対抗するというのが私の
趣旨であることは、FSHISOをはじめとする場で、私は繰り返し表明してきた。
さりとて1.という選択肢は、今回、とるつもりもなかった。無視することが、私の不名誉に直結
すると考えた場合、適宜、反論を加えるというのが、私の考え方でもある。
2.3.という選択肢も、この場合、私の考える「反論」としては、さほど有効なものではない。
それは、いずれも「閉じた場」で終わってしまうこととなり、こういう病理・体質が何故うまれる
のか、その背景にどういう問題があるかを共有することができないからである。
反論権を保障するということは、単純に相手に対する「反論」を認めるなどというものではな
い。そういう屈辱を蒙った者が、あくまでもそれが言論によるものである限り、その者に対し
て最も有効な、効果的な手法・スタイルを認めるということである。反論権を本当に認めると
いうのは、そういうことでなければならない。相手が自分たちの都合のいい方式でしか、反
論の機会を与えないなどというのは、最初から当事者の「反論権」など認めていないことと
同義である。
私は、1〜4でもない、以下のような方法を選択した。
その場所を読むことができる会員に「私に対する不当な誹謗・中傷発言を開示することを
当該場所に、私の意向として伝えて欲しい。そして当該発言について、少なくとも読めない
私が反論できない不当な発言に対して、管理者・参加者が、この問題について、どういう収
拾策を図ったのか」関連発言を全て送付するよう、その会員に求めたのである。それは私
のHPで公開するということを前提に。
そのメールは、もちろん関係者に開示して構わないということも添えておいた。
このメールを受信した方は、FSHISOで何回か議論させてもらったが、非常に倫理観の強い
方だという印象を私は有していた。だからお願いしたのである。
管理者はそのことを拒絶した。まぁ、これは予想どおりのことなので、さほどの驚きはない。
では、この内容は「守秘義務」乃至「その場の発言として、本来の秘匿性を有するものである
か」ということが問題になる。私が依頼した会員からは「花田氏に提供して問題があるような
内容ではないと思われる」という趣旨の返信をいただいた。それはそうであろう。最初から最
後まで、私に対する極めて不当な非難・中傷・侮辱であり、そんなものに守秘義務が課せら
れるはずもない。少なくとも、私がそのことを知った以上は、である。
そのことに対して、私が私の信じる最も効果的な方法で、しかし、あくまでもそれは言論による
反論としてそれを行う権利を有する、ということである。
少なくとも当事者二名は、発言番号を指定して、その発言については、花田に開示することに
了承したようである。その旨の連絡を私はもらった。では当事者から私にその発言を送付する
よう、再度、私の意向を伝えておいた。
私は、その発言群を、そのまま、このページに貼り付ける。そこで私は逐一、徹底した反論を
加える。私が選択したのはそういう手法だった。そのことも予め、私の読めない場に参加して
いる会員には全て伝わっている。今回、私は、事前に彼らに対して、私が行うことは全て開示
した。そして、私は彼らのようにアンフェアではないから、それに対するあなた方の反論がある
というならば、その権利は必ず保障する。それは私の全人格とプライドを賭けて、約束するとい
うことも伝えている。もちろん、私は今までどおり、実名で発言していくことも当然だ。
相手がいかにアンフェアであろうとも、だからといって私もアンフェアになるということはない。
ところがである。そこで、FSHISOに長年アクセスしていれば、誰もがその名前を知っているふ
たりの会員から、それは関係者も読め、私も読める、しかし、圧倒的に多くの会員はそれを
読むことのできない「場」で議論すべきだ、という趣旨の発言があったようである。
その場とは何か。FSHISO出版推進室である。実は当該発言というものは、FSHISOの出版に
関することとは100%関係がない。何故なら、それは、私のこのHPに関するものだからだ。
彼ら二人が、出版推進室を指定したのは、そこだと私がアクセスしようと思えばできる環境に
あるからである。つまり、そこには「花田」がいるというだけのことだ。
そんなふうにして、私の反論方法・手法について、彼らはそれを閉じた方向へ閉じた方向へと
誘導していくのに懸命のようにみえる。もちろん、そんな提案など一顧するに価しない。そんな
場で議論をするような内容では、そもそもないのである。私のHPを巡っての非難なのだから、
それならば、私のHPで、それがどんな批判であり、不当なものであるかを開示し、そこで堂々
と議論するというのは、筋である。
ところが彼らには、この発言を公開されると、何か不利益と感じるものがあるのだろう。こうい
う問題をどんどんどんどん矮小化する方向へと向かわせる。それが、あげくには私の反論の
方式・手法までを規制するかのような愚行に走る。そのこともまた、当然、批判されるべきこ
とである。
要するに、自分たちの都合のいい「かたち」でしか反論権を認めないなどというのは、そもそも
相手の反論権を認めたことになどならない。ただ、反論するためには、そこで何が行われたの
かという、発言という歴然たる事実を知ることは、当然必要になる。それ抜きでは、きちんとし
た有効な反論などできはしないし、そんなことは言ってない言った書いた書いていないなどとい
う低次元の話をしても仕方ないのだ。
人はなぜ人のいない場所で、反論できない場所で第三者への不当な非難・中傷を繰り返すの
か。また、多くの出鱈目な妄想に支配されるのか。ネットワークを考える上で、このことは実に
興味深い。実は、この原稿、再開の数日前に書いているのだが、おそらく彼らは、誰一人とし
て、私に当該ログを開示しないということを予測している。
反論権・自己責任原則・言論の自由、彼らが主張してきたものなど、所詮、それが自分たちに
とって許容できる、或いはまず自分たちの「不利益」を蒙らない、そして自分たちにとって都合
のいいものでしかないことを、私はこういう形で思い知らされるとは、実は想像だにしていなか
った。私は、正直、そのことに人間の業というものをみたように思う。
自分を律する、誰がみていようといまいと、自分にネットワーカーとして、課すべきものがある
などということとは、この人たちには無縁なのかもしれない。何とも「滑稽」なことだ。
必ず、彼らは、この場所を読んでいる。そして、おそらくは、私のいないところで、悪口雑言を
果てることなく続けるのだろう。そうだとするなら、醜悪という他はない。
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