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公開運営が死んだとき



就任直後、SYSOPが、その公開を当時、望まない登録名の発言削除が行われた。
この、コマンド行使を実行した者は誰か。今日に至るも、それは極めて、不透明なまま、残って
いる。もちろん、ホストコンピュータの何らかのトラブルというものは、この場合、niftyの関知し
ないところでおこったという可能性も含めて、全く零ではない。

というのは、私はniftyの人間に「そういうことがありうるか」ということを、実は訊ねたことがある。
「ホストコンピュータのトラブルというものは、もちろんあるけれど、それが誰かの発言をコマンド
行使によって、人為的にではなく削除されてしまう、などということを聞いたことがないし、それは
niftyに限ったことではなく、他のプロバイダのトラブル事例でも知らない」との回答を得た。

「しかも、それが特定のフォーラムでおきるとなると、それはもう自分の知識と理解を完全に超え
るものである」というものであった。私は、こういうことについての知識を詳しくもたないが、逆に、
「一体そういうことがおきたなどと誰かが言っているのか」と逆に問われたことを今でも覚えてい
る。そのことには、私は答えなかった。かなりの剣幕がみてとれたからである。

実は、このときの運営側の対応で、私は、FSHISOの公開運営は死んでしまった、と今でも思っている。
今ある10番会議室は、そういう意味では、名前だけの、理念のない「公開運営会議室」というものでしか
ない。

ひとつの見方として「そんなものは、どうでもいいことだ」という主張があった。もし、「どうでもいいこと」と
いうのであれば、その「どうでもいいこと」ですら、不透明なものを残したということになる。これでは、仮に
「どうでもよくない」ことがおこったときに、もっと不透明なことになるだろう。

コマンド行使、ならびにその手続きというのは、公開運営の「根幹」をなすものである。それがこのざまで
は、公開運営が機能したなどとは、とてもいえない。

「公開運営」の「自治」というものが、崩壊してしまったのである。私は、以来、FSHISOに対して、
これ以上はないというほど、実は醒めてしまった。何を書いても、どれだけRESがついても、今ま
で感じていたようなものが甦るということは、もうなくなってしまった。

WAKEIさんとの19番会議室での議論で、コマンド行使を行った私が、10番会議室にその旨を
報告したところ、ちょっとした騒動になった。当時「わざわざ10番に報告するから、痛くもない
腹を探られる」ということを指摘されたことがある。しかし「痛くもない腹を」報告しない、或い
は「ごまかす」ことによって、腹を痛めるなどというのは、愚かである。

権限を有する立場にある者は、その行使について、問われたことについては、きちんと自説を
説明しなければならない。今は、どうなっているか知らないが、実はSUBSYSでも会員削除を
実行することは、可能であった。それを行使する、しないという問題ではない。そういうコマンド
権限を有する会員というものは、少なくとも「このことについては」不透明性があってはいけな
いのである。

コマンド行使そのものは、あの場合は、正当なものであった。充分に説明が可能な状況はそ
こにあったにもかかわらず、実行者は、今日も不明である。

ひとつ考えられることがある。その実際の行使者が「誰」であれ、それを認めることは、例えば
「過去ログのありもしない改竄」などという疑惑が生じることを防ぎたかったのかもしれない。
そう考えたというのであれば、いかにもお粗末である。第一、そこまで考えたとすれば、少なく
とも、行使した時点で、その報告は、当人であるSYSOPには行わなければならない。

何もかにもが、こういう葬られ方をしたというのは、少なくとも「公開運営を行っていない数多あ
るフォーラム」ならいざ知らず、公開運営を有するフォーラムでおこるというのが、何とも皮相な
ものである。

私は、ここに限って「あんなことがおきる」など、想像したこともなかった。間違いなくおきてはい
けない出来事でもあった。





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