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訴訟とネットワークにおける「言論」の問題。



Aという会員がBというフォ−ラムで、自身が名誉毀損と感じる「発言」に接したとする。
この場合、Aは「法廷上で」その「白黒」をはっきりさせるべく「訴訟」を行う権利を有する。
日本国憲法はそれを保障しているし、誰も「そういう権利」を否定することはできない。

従って、フォーラムで「訴訟提起」「訴訟恫喝」がおこれば、少なくとも、SYSOPは「言論
による解決」「ネット内における解決」を目指して、当事者、乃至、当事者間にあるいく
つかの論点、問題点に対して説得を試みることになる。

訴訟提起を行い、尚且つ、説得にもかかわらず、その意向をくまない場合、更には実
際に訴訟を提起したことが、はっきりした場合、FSHISOの場合は、SYSOPが「退会勧
告を行う」(=会員削除)という、暗黙の慣習がある。あえて「暗黙」と書いたのは、その
ことが、はっきりと「ローカルルール上」に明文化されているわけではないからだ。

私などは「ローカルルール」というよりは「掟」に近い認識を有している。その「場」に参
加するものが、守らなければならない「掟」であり、それを破るということは、「掟」を破る
ことであり、フォーラムに参加する資格を失うというものだ。

それは「理念」であり「精神」と申し上げていいだろう。「ネットでおこったことはネットで解
決しよう」ということである。

しかし、現実に訴訟提起が行われ、上述したような進行となった場合、SYSOPは「会員削
除しておしまい」ということにはならない。その相手ときちんと議論をして、会員削除という
措置を納得してもらわなければいけないというものが残る。ちなみに大村氏とWAKEIさん
のやりとりを過去にみれば「男と男の約束」などという、何かこう時代がかった言葉もでて
きているのだが。会員削除というものは、つきつめれば「排除」ということだから、その手
続きに対しては、慎重なものが求められることは言うまでもない。

ただし、この訴訟提起を巡る対応というものは、実は難しいものがある。

「公開の場で訴訟をほのめかす、訴訟提起を宣言する者」に対して「公開の場で説得する」
ことの「限界」というものは、実はあるのではないだろうか。例えば、大村事件の際には、あ
る会員が、実際に大村氏に会って、真意を問い、説得するということが行われている。

以前、会議室の物理的破壊を理由に、SYSOPが、会員削除を強行したことがあった。
このときは、おそらく誰もが、当該会員と、接触を持つことが難しい状況だったと私は推測し
ている。そういうものを、当該会員が望んでいるかどうか、仮に望んでいたにしても、それが
成果を生み出すのかどうか、かえって問題を拗らすことになりはすまいか、それを読みきる
ということは、実に難しい。

従って、訴訟の説得や回避については、その全てが「公開の場で行われなければならない」
とは、私自身、考えていない。実は、上述した物理的破壊騒動の際、おそらく10番を読み、そ
こから何かを読み取ろうと考えれば、当該会員の訴訟の可能性というものに、ある程度突き
当たるというものがあった。

このとき、おそらくは誰もその当該会員と別交渉の場を持つことはできなかっただろう。そうい
う関係性が全くないし、運営側の殆どが敵対視された状況にあったのだから。つまりは「お手
上げ」である。危機というなら、これも間違いなくFSHISOの危機であった。フォーラムの存立を
脅かすという点においては、何ら変わるところがない。

これももう歴史的事実として、私の責任で書くことにする。

そのときに、訴訟を回避すべく当該会員にコンタクトをとられたのはseitan氏であると、私は聞
いている。もちろん、氏がどういう説得をされたのか、その内容や方法については、私は全く
知らない。そのことが、おそらくは功を奏したのだろう。当該会員は、訴訟という手段を講じる
ことなく、矛をおさめてくださった。

繰り返すが、当時、運営側の誰もがそういうことを出来る状況を有していなかった。関係性とい
っても、それは面識があるとか、実社会で親しいとか、もちろんそういう関係性を指しているわ
けではない。誰もが「自分が説得をしても、おそらくは聞き入れてもらえないだろう。うまくいかな
いだろう」という、一種の閉塞感を強く抱いていたということだ。

もう一度書く。「お手上げ」だったのである。おそらく、当時を考えても、誰もそういうことができる
とは思えなかった。

以来、私は、そのような深刻な事態は、幸いにしてそうはおきなかったけれど、いわば有事の際
には、どんな会員に対しても、訴訟を回避してもらうための、ありとあらゆる説得は講じなければ
ならないと、そう考えた。私が、ある一線を超えた際の「揉め事」に対して、ある程度、敏感にな
ったのは、このとき以来である。

この呼吸というものは、本当に難しいものだと、しみじみ、考えることが今でもある。

少なくとも、その一点については、私はseitan氏に一目置いていることも事実だ。まぁ、本人は
迷惑この上ないことかもしれないが、別にこういうところで「嘘」を書いても仕方がない。






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