polo氏が「掲示板」で、私の行動というのは「あの人がこう言ったから」に寄るところが多い
ということを発言されていた。「結構、本気で書かれている」ということでもある。そのことに
ついて書いてみたい。
それが具体的に「何」を指しているのか、ということについての言及まではなかったので、的
を得たものになるか、わからないが、推測も交えて述べておこう。
例えば、誰が何と言おうと、それに沿ったかたちで「行動しない、できない」ということは、私
に限らず、誰にでも沢山あるだろう。私もFSHISOでの、私に向けられた発言群に対して、同
意できないものは、はっきり同意できないと示してきた。また、賛同できるものについては、
賛同できるということを、割と明瞭に示してきた。
そして、これは「あの人がこう言ったから.....」というよりは、そこに示された主張、或いは
そのことによる「影響」から、私が何かを決めるということは、もちろんあっただろう。それが多
かったとか、少なかったというようなことは、自分で数えることもなければ、意識したということ
もなかった。
例えば、私がSUBSYSを辞任したときに、その理由は、ある発言がきっかけになったということ
を示した。当時、私が出版推進PATIOにいたことで、何かWAKEIさんとの間に、不透明な不穏な
ものがあるかのようなことに対して「そうではない」ということを「証明」するためには、そのログを
公開するのが、実はもっともてっとり早い。しかし、計画途上のことであり、それを不特定多数の
会員が読める場に開示することは、できるはずもない。つまりは「証明」ができないのである。
私は、その発言者が、少なくともそのことで「花田をSUBSYSから辞任させてやる」などという意図は全くな
かったと思っている。それはご本人のその後の発言をみてもわかることだ。
ただ、そういうことについて、私は極度に「潔癖」でありたいと思ったし、推進室の役割とは何
かということを、私は十二分に意識して、場の峻別を心がけていた。にもかかわらず、私に対
してそういう「発言」があったということは、私には極めて不名誉なことであったし、私の力不足
を痛感したことも事実である。そういうものを抱えてまで、SUBSYSであり続けるいかなる理由
も、私はみつけることはできなかった。
「新宿の夜」事件というものがあった。私がある会議室に、その日新宿にいたということを書い
たことに端を発して、ある会員から追求があった。出版の推進にあたって、niftyに経緯の報告
と協力を要請する、そのためのものである。何人かの役員にお会いした。
事実は、それだけである。およそ、協力を求める際に、誰もがこういうアプローチを行うことな
ど当たり前であろう。その点について批判されるべき筋合いのものではない。誰かがそういう
ことをやらなければいけないのだから。
第一、そういうことを当時の状況を事前に開示できるはずもない。そのことで妨害があっては
困ることになる。
出版推進とFSHISOの運営問題とは全く別である。追求する側も、そういうことは承知していた
だろうし、ある意味、そういうことは「どうでもよかった」のであろう。少なくとも、私はそういうこと
で「削除」など求めないというスタンスも知っていたであろうし、そういう意味では「頭の良い」会
員である。
さて、今から、出版推進室にかかわる、ひとつの出来事を書いてみよう。
seitan氏という会員は、出版推進室にいたことがある。もちろん、WAKEIさんのIDに入会申請を
し、それをWAKEIさんが承認されたというものだ。もちろん、そこには私もいた。
結果、私の力不足で実現しなかったが、当時、新潮社の編集担当と、私は交渉を行っていて、
「可能性あり」という返信をもらった私は、推進室の何名かとその担当者の「顔合わせと協議」
のために、東京に出向いた。方向性とそれぞれの役割分担を打ち合わせ、さて、今からいよ
いよという時期でもあった。
そのときに、私は「今後、作業的には、まさに現実の問題や、より具体的な交渉が沢山でてく
るし、情報管理は、より一層、重要になる。それらを考えた結果、私としてはWAKEIさんにseit
an氏を推進室から退会させていただきたい。でなければ、私は、今後、この作業を推進してい
く自信がないし、あとは、きちんと打ち合わせを進めていけば、事は進展するだろうから、私と
しては、それができない限り、この作業からおりることにしたい」という申し入れをした。
これは、いわば「排除の要請」である。WAKEIさんがPATIOの主宰者である以上、筋としてはそ
ういうことになると考えた。ただし、今、考えてみれば、このことは明確な誤りであったと思う。
私が私の立場で、seitan氏の排除が必要だと考えた以上、そのことは当該PATIOできちんと
表明すべきであった。そうしていれば、そのPATIOで、私とseitan氏が「議論した」ということを
痕跡として残すことはできたのである。
ただし、排除そのものについては、私は今でも選択として間違っていたとは考えていない。その
ことでseitan氏が私を恨んだにしても、である。現実の社会で現実の交渉や調整を行っていく
ということを前にしたとき、私はそれを進めるために、最低限の環境は要求する。そういう視座
にあったからだ。
おそらくWAKEIさんとしては「自分の活動を支援してくれる会員」であることには、私もseitan氏も
平等であり、そういう支援者どおしの内紛や排除要請というものについては、相当に頭を悩ま
せたことだろうとは、当時から推測していた。そして、私は「seitan氏のいる場では、私は私の
考える情報管理はできないだろうし、そういう中で活動を今後も続けていくことは、結局は私に
とって、それはWAKEIさんへの支援活動を進めていくことはできないだろう」と判断したのであ
る。
もし、あのときの「あうちぶばうんず氏」がseitan氏の別IDであったにしても、それならそれで私
としては、恨まれたというのであれば仕方がないな、とそう考えていた。だから誰彼に助けを求めたり、削
除を要求したりもしなかった。確定的に私のハンドルが実名発言であることがはっ
きりしたのは、あうちぶばうんず氏とのやりとりだったのだけれど、そういうことで気がすむの
であれば、それもいいではないか、と思っていた。あの一件で、私は妙に達観してしまったと
思っている。
seitan氏がいた当時の推進室発言というものを改めて読んでみた。実は、その底流にあるもの
は「和解と再生」である。氏は、最後まで「そのこと」を訴え続けていた。そしてWAKEIさんも、も
し、原告からそういう話があれば、少なくともその話し合いには応じるということをはっきりと明言
している。そもそも、WAKEIさんと原告というのは、電話とメールのやりとりだけで、直接に会っ
たことなど、それまでに一度もないのだから。
その一点について、もし、seitan氏がそれを「えふしそへの愛」というのであれば、私は実は、わ
からないことはない。ただし、どんな人々であれ、議論を抜きに「和解」などということもない、と
私は考えている。
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