評論するページ

もう一度、過去ログを読んで。



さきほどまで、WAKEIさんの辞任表明からぴお氏の自主退会までの「ログ」をまとめて読んで
みた。今のFSHISOとは、全く違う「断面」がそこにあった。

断っておくが「あの喧騒の時代」を妙に懐かしんでいるというわけではない。しかし「あの喧騒
の時代」というものが、嫌いだというわけでもない。正直に書けば、そういうことである。

しかし、改めて再読してみると「発言削除」だの「会員削除」だのという発言がぽんぽん出てくる。
あの「熱気」とでもいうのか、今、読むと、自分の発言も含めて、正直、うなされそうになる。

別に、私はそれらの要求がどうであったなどということを、いちいち、ここで論評するつもりはな
い。10番会議室の11289に「ローカル・ルールに基づく抗議」というWAKEIさんの発言があるのだ
が、ここでWAKEIさんが抗議した相手は今のSYSOPである。しかも「謝罪と自己削除を求める」
とはっきり書いてある。すなわち、自己削除を求めているわけだから、当該発言にリンクされて
いない。

以前、WAKEIさんは、FSHISOのどこの会議室だったか、FSHISO言説者としてのメルクマール
として「発言削除や謝罪を求めない」という趣旨のことを書かれていた。どの会議室であったか
という記憶はもうないが、私はその発言を読んで、些かの感銘を覚えたことだけは、はっきり覚
えている。

「それに自ら反しているではないか」ということを述べたいのではない。大体、よほど腹に据えか
ねないと、SYSOP相手に「ローカルルールに基く要請」などはしないものである。WAKEIさんとて
生身の人間であり、不当なものから自らを守るためには、行使することがあるというのも、それ
は当然のことだろう。

この頃の会議室というものには、おそらく傍の者がみれば「何やってるんだろ」と思うくらい一途
に、真面目に、何かこう「自己存在を賭けて」議論しているというものが感じられる。

もちろん、今のFSHISOが、そうでないなどと言うつもりは毛頭ない。ただ、この当時というのは
「自己責任を果たす限り、言論、表現の自由も、スタイルも含めて、FSHISOのルールを遵守
する限りは、運営側はそれを最大限、尊重する」という「場」は、かなり魅力的だったのだ。

今と違って、そういう場を誰もが簡単に立ち上げることはできなかったのである。そういうこと
は、無意識の面があるにせよ、誰もが感じていたのではなかっただろうか。だからこそ人々
は、そこに集い、言葉の力を確かめるように、或いは挑むように、或いは淡々と、飽きること
なく議論を続けていたのではなかったか。私には、そんな気がしてならない。

今は、FSHISOのような「場」よりも、ゆるやかな、それを自由と呼ぶかどうかは別にしても規制
という意味では、遥かに、何も問われないに近い場所は沢山ある。確かに「発する」だけなら 
ば、負担は少ない。自分が述べたこと、展開したことについて、転向したり、変節を示せば、
フォーラムだと、その発言は問われることになる。特にFSHISOのようなところでは。

「何故、変わったのか」ということを問われれば、その理由は書かねばならない。でないと発言
者の「ことば」としては、実に薄っぺらなものになってしまう。「いつでも、どうにでも、問われるこ
となく変われる」ということは、負担を軽減するだろう。そんな気はないという人々にとってもであ
る。

しかし、2ちゃんねるでも、私は愛読しているスレッドがいくつかあるが、それ全て無法地帯など
ということではない。ルールが生まれ、賛否が繰り返され、何かのタイミングでそれが場の大勢
として、承認されると、そのルールたるや、おしつけられたものではないから、名無しさんたちは
これを実に厳格に自治として運用していく。ルールに従わない者は、自然とスピンアウトしてい
く。見事なものだと思う。そういうものをいくつか知っているせいか、私は匿名掲示板というもの
を「悉くにおいて悪」などとは考えない。

このフォーラムにとって、ぴお氏の登場から退会までは、FSHISOにとって、ひとつの教訓を与
えたのではないかと思っている。開示していない情報を武器に迫るというものだ。私はあそこ
には「悲劇」的な面があったと思う。氏の自主退会を宣言する発言を再読して、私は強くその
ことを感じた。

それが匿名掲示板でしか、できなかったということも事実である。それはおそらく本人の想像を
超える出来事であったろう。ただし、救いようがないのだ。それがネットの怖さでもあるのだけ
れど。

実は、スパイシーという検索システムが導入されたとき、私は、正直、驚いた面がある。実際に
あるフォーラムでは匿名で発言し、あるフォーラムでは実名で発言した会員がいて、それが騒
動のきっかけになったこともあった。ああいうシステムを導入する際に、会員の公開・非公開の
意志ぐらいは事前に確認すべきではないか、そういう面では、niftyというところは、甘いといえ
ば甘いと、そんなことを思ったりする。





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