苺ちゃんねるで「POLO」氏というハンドルの方から「SUBSYSに立候補した理由、辞任した理由」
を書けとの注文をいただいた。いずれ書くつもりでもあったので、今日は、そのリクエストに応じ
ることにしよう。
私がSUBSYSに立候補したのが97年12月14日。そのときの発言の一部には、このような内容が
ある。
>で、私は何をスタッフとしてやりたいかといえば、まずは貴方に対して、批判すべきは断固とし>>て批判
をするということである。それをスタッフとして行いたいと思っている。
辞任発言が99年1月7日。
>辞任を決めたのは、わっとさんの発言nifty:FSHISO/MES/10/17894でした。ただし、別に今日
>では、この発言は私にとってはむしろよかったと思って います。私にとって「パティオでの推進
>業務」にかなりの時間を割くということを決意させるには十分なコメントでした。これは言葉どお
>りにうけ とっていただいて結構です。
少なくとも、この発言自体に「嘘」はない。立候補する際には、ここに書いた以上の危機感という
ものが、私にはあった。私がtty氏に対して、いくつかの批判をおこなってきて、それを「批判者」
たりえていないと述べたのはWAKEIさんの他にも何人かいたが、果たしてそれがどうであったの
か、今となっては改めて聞こうとは思わない。ただ、tty氏の言うことを結果として「あまり聞くこと
はなかった」と思う。
ただ、個人的には、私がSUBSYSに就任した際に、非公開の掲示板というものを読まされること
になったのだが、あれをみた瞬間、私は心底、怒りを覚えた。一体、何をふざけたことをやって
いるのかということである。私はFSHISO訴訟の原因のひとつに、非公開運営というものが落と
した「影」は相当あったとする立場にいたから、尚更でもあった。あれを即時閉鎖しなければ、一
体、どうなっていたかと思っている。そういう意味では、あそこでちんたら発言を続けていた関係
者というものを、私は、本質的には信頼できないという面はあった。何故かといえば、私の中で
は、訴訟支援を行うということと、ああいう作り方でああいう場で発言するという行為は矛盾する
からである。私はその点について、わっと氏は、そこでは一発言も行っていなかったことを知っ
ているし、それは立派なスタンスであると、強く感じた。私とわっと氏の様々な対立はあったに
しても、この評価だけは決して変わることはない。
私見として思っているが、出版関係のパティオにしても、その歴史的役割を終えた時点で、私は
公開するという考え方はあってもいいと思っている。判決が出て、決着すれば、もうそのログは
戦略、戦術として非公開であることを維持しなければならない理由はないようにも思える。それ
をみれば、一体、参加者がそこでどういうことを協議していたかは一目瞭然なのだから。
この点については、判決後、私はWAKEIさんに持ちかけてみたいと考えている。
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