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大村事件とのかかわり〜SYSOP交代劇



大村事件が勃発したときに、FSHISOでは、10番会議室で多くの会員が、そう8割以上は氏の説得に言葉
を尽くしたという印象が、今日の私にはある。あの当時のログを読み返して思うのだが、少なくとも
「FSHISO訴訟」のときには、こういう熱っぽい「言葉」というものは、そこにはなかったような気もする。公
開運営制度、訴訟体験のあるフォーラム、それを踏まえていたかどうかはともかくと しても、多くの会員
が「場を守る」ために、多くの発言を費やした。

こういうときに「何も言わずに」いわば平時の時だけ「虚勢」を張って喚くような会員というものを、
私は昔から信用していない。いわゆる内弁慶というやつである。それは今でも変わらない。

このころから、何人かの会員と、自然発生的にメールのやりとりが生まれた。別に徒党を組むと
いうものでもなく、さりとて、無目的にメールを交換していたわけでもない。「どうしたものか」という
相談のようなものである。

このときには、実際に大村氏に会った会員もいたし、ニ方面作戦のような説得が行われていた。
私はといえば、時折、メールを出したり、求められたことについて返信をするという程度のことで
あったから、さほど、たいしたことはしていない。

ただ、このときにやりとりした会員とは、今でも、時折、メールの交換があるし、会えば変にそのこ
とを懐かしむということもある。

そして、この事件の収拾をみながらのWAKEI氏のSYSOP辞任表明である。このとき、私は数人と
メールのやりとりをしていた。もっぱら話題は「誰がSYSOPになるか」であった。私は醒火氏で決
まりだと思っていた。現実に、私も醒火支持を会議室で表明したし、それは以来、今日でも間違っていな
かったと思っている。

まず、文句なしに読ませる文章である。あれを「罵倒」という会員がいたが、私はむしろ「技術」の
域だろうと感じていた。余裕を感じさせる「ちから」があった。それと、私が氏を推した最大の理由
は「楽しそうに」フォーラムで発言しているという、みなぎるものがそこにあったからである。楽しく
丁々発止とやれるのは、いいことだと思っていた。

私は、何人かのSYSOPを実際に知っているが、明るさというものは、フォーラムを引っ張る原動力だとい
う気がしている。そういうSYSOPのところには、驚くほど情報も知恵も集まるという面が
ある。そして、こういうSYSOPほど、私ですら驚くほど、niftyと明るく喧嘩するのである。喧嘩し
たから、niftyが疎ましがるかというと、そんなことでもない。むしろ「まかせておいて大丈夫」とい
う、信頼関係が生まれていく。あるSYSOPなどは、現在の「SYSOP収入システム」をスタッフに
全て開示しているし、そんなものを守秘義務とする理由もないという。私もここは全く同感であ
.る。別に悪いことをして得ている収入ではないのだから。

SYSOPが「どういう立場で」フォーラムを運営するのか、ということは、実は非常に大事なことな
のだ。私がFSHISOで注目しているのは、その点だといっても過言ではない。






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