この年の初めから、いわゆる「大村事件」というものが、勃発した。私がWAKEIさんに「何というこ
とはない」激励というか、そういうメールを出した記憶がある。「自殺者がいる」などとさもありげに
語られた大村氏の発言に私は驚いた。驚いたと同時に、この発言に対して、参加者がきちんと
した情報を伝えないという、そういうオフの雰囲気は、私には極めて異常なものに映った。
大体、考えてもみるがいい。殆ど面識もない、そういうオフラインの場で、しかも参加者も大した
数でもなく、そこで行われた話の有無もわからないほど、酩酊するというなどということは、私の
感覚では考えられなかった。そういう「酒」の呑み方というのは、非常識である。私がオフの幹事
を引き受けた際に「あんなだだくさなオフだけは断じてすまい」と感じたものである。
ここで、オフのことについて、書いておこう。
例えば、フォーラムで、やりとりがある。そして、FSHISOに定住してくださった方がいる。その方と
一夜、食事をし、酒を呑み、歌を唄い、楽しい日々を過ごしたい。私にとっては、それはごく普通
の感覚である。それを「好奇心」と呼んでも、何ら悪いものだとは考えない。
例えば、私が個人的にお誘いしても、この人は絶対オフにはこないだろうという会員が何人か想
定できる。それはその人の価値観であるし、それを悪いとは私は全く思わない。例えば、今年の
1月、私は個人オフを催したけれど、この際、ご案内を差し上げても、出欠の返信をいただけなか
った方もいる。しかし、だからといって、その人に対して何らの悪感情が生まれるなどというはずもない。
オフがFSHISOに馴染まないという説がある。議論の妨げになるとでも言うのだろうか。
しかし、その程度で妨げになるような「議論の内容」であるなら、もともと、最初から「対立」などと
いう概念はないのだと私は思っている。そもそも、ネット上で「議論している」ということ自体が、
生身の「自分」なのだから、そのことと、現実社会との交流を全く隔絶し、それ自体を忌避し、そ
れを、自分の価値観というのであれば、そのことはとやかく言わないが、オフを悪のごとく語る
というのは、私は間違っていると思っている。何も出たくない人間のいかなる自由も誰も奪って
はいないのだから。
実は、過去ログを読んでいると、このフォーラムのオフは、開設期からしばらくの間は、意外と
頻繁に行われているのである。それはそれで誠に結構だと私は思った。
ただ、私はそう考えたときに、ひとつ不思議なことに思い当たる。例えば、初期のオフには清水
久美さんも何度か顔を出されていたようだ。或いは、告知されることのない、個人的なオフとい
うものもあったのかもしれない。
しかし、逆に言えば、清水氏が原告となったこの訴訟が提起される際に、一体、そういうことを
思いとどまらせようとする、あえて言うならば「オフ仲間」というものが、一人もいなかったのか。
そのことが私は不思議でならない。少なくとも清水さんは「信頼できる人々に相談する」というこ
とを、提訴に至る過程で述べている。この「信頼できる人々」というのが、誰であるかなどという
ことに、私は何の関心もないが、この人々が「訴訟提起以外による解決」を誰も勧めなかった
のだとすれば、私は一方で、過去のオフも、何とはない中途半端なものでしかなかったのだろ
うということを思っている。
もし、私は、私と面識がある会員がネット上で「言論の問題から」訴訟をおこすというのであれば
個人的に説得するメールも出すだろうし、場合によっては直接、顔をみて話をするということは
考える。説得というのは「もどかしくない」方がいいという面はある。
少なくとも、私はオフによって、日常の延長からは、出会うことのない方々と、話す機会に恵まれたし、教
えていただいたことも沢山あった。偶然の積み重ねというのは、時に有意義なものを生み出すことにな
る。
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