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今度ショートステイが新しい施設に変わりますが (2001 5/26追加)
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この先どうなるやら、自分でも予想がつきません。 でも、今後はそんなに介護にはかかわらないでおこうと私は思っています。 |
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介護をしてる人へのちょっとしたねぎらいの言葉。これがあるのとないのとでは全然違いますね。ちょっとした一言でがんばれたりするもんなんです。 |
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でも、くたびれちゃった。 |
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そうそう、介護に関しては、私の好き放題のびのびさせてもらった、と言う感じなんです。普通 なら、叔母や母に相談してから色々なサービスを利用すべき所を、恥ずかしいことに、他の誰でもなく私が主導権を握っていました。(と、勝手に思っていただけかもしれませんが。) 事後承諾的な形で、デイケアの申し込み、面 接、ショートステイの利用開始。訪問リハビリ、医者に行く、、、、、情報収集、、、などなど。しゃしゃり出る出る、しゃしゃり出たっ。(>_<) 自分が今まで触れたことのない世界だったから、何もかもが面白かった(失礼!)というのは本当。 自分が必要とされていることの満足感とでもいいましょうか。 全部私がやっちゃいました(☆_★) 病院へ連れていくのも、全て。「みんなが楽して介護できたら、、祖母の身体がよくなったら」それしか頭にありません。 この点は同居する前ウチのダンナと一番話し合ったことです。 がその通り。ものの見事に私ははまった。 最初はお手伝い程度の軽いつもりだったんだけど。
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![]() 介護は同居してしまうと必然的に一生懸命やらざるを得ない。 というよりも、私はやってしまった。 叔母や母にまかせておいたらいいものを、先走りして 色んなサービスを取り入れて、勝手にどんどんやっちゃった。 お助けマン程度でよかったのに。 ばあちゃんのため、ばあちゃんのため。 呪文のように唱えて、いろいろやった。 いつの間にかばあちゃんが良くなっていくことが人生の目標? やりすぎちゃったなあ。ホントに。 反省。 |
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![]() 「○○ちゃーん」。ばあの声が黄泉の世界からするように響く。(笑) 交代で介護出来ているとはいえ、同居していると精神的な負担は多い。 これは一言では言い表せない。同居して介護をした人にしかわからないつらさがある。 色んなヒトがいろんなことをいう。でも、介護はヒトとは比べることが出来ない、と本当に思う。ヒトそれぞれに介護の状況があって、それぞれ身体の具合も違う。単純にしんどさ比べは出来ない。比較は出来ない。 同居していると気が休まらんというべきか。ばあのことを忘れることがほとんどないし、常に、人の出入りがあるので、いつも気ぃ使いぃいになる。 交代で介護をやると通うみんなもしんどいのだが 最初は ミモココロモ、シワシワバアサンニ、ナッテシマッタ。 |
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![]() gunjoaen@hello.email.ne.jp 制作:(C)群青亜鉛 2002(改訂) |