◇山彦 日々ノ抄◇ 2006 11−12.
■ 〆まして…(以下略)
わりと早い時間に紅白を見ていたら、オレンジレンジが “チャンピオーネ” を歌っていて、そういやサッカーワールドカップが今年だったんだなぁと思い出しました。と同時にこの歌の歌詞の中の “Hey,
ready set go!” というところがあるのを、いつも “ヘイ,レイ・セフォー” って聞こえていたのも同時に思い出した、そんな年の瀬。もちろんレイ・セフォーは出ていないんですけど、夜は『ダイナマイト』をダラダラと見ていました。おそらく、年越しはテレビの前です。そういやボクの部屋のレコーダーには、いまだにこのワールドカップの試合が13試合分入っています。これもこのまま、年を越します。
では、また来年。
【06/12/31 23:45】
■ 未来を変えた男
今日は前々からお休みを貰う予定でした。大雨の前日、明日は予報では晴れるということだったので、群馬の山に行こうかと思っていました。まだ積雪もあまりないようだしこれを今年最後に… と画策していたんです。この間、この群馬の山への道すがらに車が故障したことを、まだ心のどこかに引きずっているんですけど、その嫌な思いを早いうちに払拭しておくのもいいかなと。年末で大掃除の時期だし、“今年の汚れ、今年のうちに”ってね。
でもね、前日見ちゃったんですよ。車が壊れる夢。しかも通り道の群馬県藤岡市で。今度はマフラーが落っこちる夢を見ました。夢って見た後すぐ忘れたりするじゃないですか? ボクもわりとすぐ忘れる方なんですよ。まぁ、適当な日々を送っているせいか、このところ忘れるのは夢だけじゃないんですけどね。でもこの夢はなぜか消えずに頭の中に残っていました。そこでボクは思った。これは予知夢じゃないかって。予定通り群馬に行ったら、マフラー落っこちちゃうんじゃないかって。
とはいえ実際の話、その程度のことだとボクは行っちゃうタイプです。もともとそういう根拠のないものは信じないし、自分は霊感とかゼロだと思っているので。予知夢ってのもちょっと言葉をひらめいたくらいのことでした。でも前日の豪雨は夜中になっても一向に止む気配がなく、しかも見ていた天気予報が午前六時まで90%、正午まで30%というもの。七時、八時ごろまで雨が残る可能性もあるんじゃないかって現実が、結局出る足を鈍らせていました。その結果、朝起きたら午前七時。もう今から出ても遅い時間です。そして外はすっかり青空でした。結局本日は一日自宅待機してました。録画してあった『プラネット・アース』とか見ちゃったし。『えびボクサー』とかも観ちゃった。なんだあれ。
さっきも言ったとおり、変な思い込みとかしないんですけど、結果的に行けないことになってしまったので、こうなったら行かなくて車が壊れずに済んだと思って気を紛らわすことにします。夜になって寮のある南房総に向かって家を出たら、途中で車のライトが片方切れている事に気づきました。この前は点いていたのに…
大なり小なり車にトラブルが起こることは決まっていたんでしょうか?
【06/12/27 22:25】
■
車が壊れた翌日から草津に温泉旅行に行ってきました。今年の二月に善光寺に行ったバスツアーです。このツアー、名目上はボクが仕事をしている会社の寮のある、南房総のとある市議さんの後援会の集まりということなんですが、基本的にあまり関係ありません。とはいえ、バスの中でちらり、来年四月の統一地方選挙がうんぬんと言ってましたがそもそもボクはこの市の選挙権自体持ち合わせていません。ちなみにこの選挙で落選した場合、次のツアーは自動的にナシということになるそうです。あたりまえか。
前回のときは帰りのバスの中で 綾小路きみまろ のテープを流されるという、いかにも な展開になったわけですが、これがごく自然な流れとも言うべき年齢層の高いツアー。宿泊先での宴会時には、ここぞとばかり皆さんテンションがヒートアップしてました。そしてもちろん、今回も歌わされ、踊らされました。踊りはもちろん、ゴキブリ音頭。いまだにこの踊りの趣旨わかりません。このダンスの詳細については割愛したいと思います。うまく説明できない。
ツアーは一泊だったんですが、かなりリフレッシュして帰宅できました。もう車の壊れた時の悲壮感は消えかけ、次はどの車を買おうかとウェブであれこれ見ていた矢先に連絡。
車直りました。
草津から帰ってきたら車が復活。まるでレストランで “トイレから帰ってきたら料理が来てた” ようなタイミングです。しかも、思っていたよりもかなり費用が安く上がったので助かりました。というわけで翌日の早朝から電車で車を引き取りに行き、ついでに群馬県の荒船山に行ってきました。
妙義に行こうとして埼玉で車の故障のため断念。翌日から草津に一泊旅行。そして帰った日に修理完了の電話。翌日埼玉から群馬の荒船山へ。四日連続で関越を走ったことになります。さすがに最後の帰り道は、趣向を変えて館林まで下道を走り、東北道に乗って帰ってきました。
無駄に時間がかかったよ。
【06/12/09 23:05】
■ ひと月
この一ヶ月間に四回ほど通院しまして、どうやら発症以前の数値まで戻りました。あとは段階的に減らしている薬がなくなればとりあえず完治ということになります。
さて、退院後しばらく仕事をせずに過ごしていたんですが、その間に何度か山にも行きました。丹沢の大山、日光の女峰山、箱根の神山。退院中は全くと言っていいほど運動もしなかったので、最初は歩くのもぎこちないくらいでしたが、何度か歩くうちに慣れてきまして、箱根に行ったときにはもう以前と変わりないくらいに順調に歩けました。そして一週間ほど仕事をしたあと、忙しくないからということと、天気がいいからということでまたお休みをもらい、いつも行っている群馬の山に行こうとした昨日悲劇が起こりました。
夜中に起きて車に乗り込み、関越道を下っていた午前四時半。微妙に振動がしたので、なんだか車の調子がおかしいかな?パンク?と思ってスピードを緩めると、やはり妙なエンジンのふけ方。とはいえアクセル、ブレーキとも反応はあるので、近くのパーキングまで走り、嵐山P.A.に入って減速した瞬間。エンジン停止。
ギアをニュートラルに入れてセルを回してもかかりません。仕方なく惰性でそのまま駐車スペースに車を停め。しばらく悩みました。ボンネットを開けてもわからない。水温も正常だし、バッテリーはこの間替えたばかり。セルは回るけどエンジンがかからない。悩んでもしょうがないので、しばらくトイレを済ませてコーヒーを飲みながら音楽を聴いてました。もちろんそんなことをしていても何の進展もない。しかたなく保険屋のロードサービスに電話をして、全自己負担でレッカーを呼んでもらうことに。早朝なので待ち時間が長く、その間に山登りの格好から着替え、持ち帰る荷物をまとめます。車が動かない以上レッカーで家まで行くのは恐ろしくコストがかかるので、最寄の修理屋さんに入れてもらい、ボクは朝のラッシュ電車で帰宅する羽目になりました。退院して一ヶ月、体が壊れて治ったと思ったら、時間差で車が壊れるとは…
体はどうにか治りましたが、車の方はもうだいぶ使い込んでいるのも事実。症状から言ってエンジン本体である可能性が高いし、治るかどうか非常に不安です。帰宅してからはずっと次はどの車を買おうかと模索してました。
そんなボクの今月の給料はゼロ円です。
【06/11/30 19:45】
■ 帰宅してもう数日経つわけだが。
退院前日、本日はお日柄も悪く… ということを書いたんですが、迎えに来る母親もそういうことをひどく気にする人みたいでした。(他人事のように)
前日のうちに、 “病院で昼ごはんを食べたらすぐ (午の刻の間に) 出るから昼くらいに来てほしい”
と言っておいたので、ボク自身その点について心配はしていませんでした。それが確認のために当日の午前に電話すると、母は日の悪さを気にしたのか、出発前に厄除けのお払いをし、お札を買ってくるとか言い始めました。なので少し遅れるかもしれないということ。うちの母は一旦決めるとあまり融通の利かなくなるタイプなので、とりあえずわかりましたと言っておきます。そして昼ごはんを食べた後にベッドでまどろみながら待っていると、聞こえる着信の音。しかも番号通知が自宅です。まさか…
“今終わったからこれから行くんだけど…” “… … … はぁ” 結局来たのは二時過ぎ。ピッタリ未の刻です。この日は歩いてみる予定も止めて直行で帰宅。何事もなかった
(できなかった) のは、母が厄除けをしてくれたおかげだと思うことにします。
【06/11/04 23:55】