ショパン全作品を斬る
1832年(22才)
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- [67] 練習曲 ホ長調 作品10-3
練習曲作品10の全12曲はまとめて1832年出版されリストに献呈された。
[40]作品10-1ハ長調の項参照。
この作品10の3は「別れの曲」として有名。
速度が Lento ma non troppo と指定されているが、
最初ショパンは Vivace と指定した。
その後推敲するたびに速度指定を遅くして行き、
最終的に Lento ma non troppo となった。
その頃ショパン自身、
自分が作った中で最も美しいメロディーだと言い、
弟子がこれを弾いているときにも自分で感きわまっていたという。
うらやましい限りである。
自分の最高のメロディーを当時にあってソナタやバラードにせず練習曲に使ったショパンの斬新な感覚に驚かされる。
それにしても、
この曲を vivace で演奏したときの滑稽さを想像すると、
最初 vivace と指定したというのが理解に苦しむ。
エチュードは速く難しくなければならないと考えたのだろうか?
これについては私は次のように考えることにしている。
たとえば即興曲第1番変イ長調の急速な三連符を全部四分音符に変え(ところどころ付点のリズムにしてもよいが)3拍子のワルツにしたとする。
伴奏もワルツ風にすればなおよい。
これはこれで結構優美だ。
もしショパンがそうしていたとして我々もそれに慣れたとすると、
今の即興曲第1番はガチャガチャとせわしない感じに聞こえるだろう。
それと同じで、
今の別れの曲を知っているからこそ vivace は変だと思うのではないだろうか。
全く知らずに vivace の別れの曲に慣れたとしたら
「発見したんだけど、この曲 lento でもいけるね」となるのではないだろうか。
むしろ、
最初の vivace の発想にとらわれず、
また練習曲という固定観念にもとらわれず、
この曲は遅い方が適当であるということに気付き、
Lento ma non troppo という最適解に到達したショパンの推敲に敬意を表したい。
- [68] 練習曲 嬰ハ短調 作品10-4
自筆譜では「別れの曲」が静かに終わったあと休むことなく、
この激しい曲が不意に始まるように「attacca il presto」指定されていたが、
出版にあたってはそれは削除された。
ヘンレ版では別れの曲の最後に「attacca il presto con fuoco」が付いている。
パデレフスキー版には付いていない。
いかにも練習曲らしい緊張感に溢れる演奏効果絶大な逸品。
指の伸縮や強弱の入れ替わりが激しいので粒を揃えて演奏するのが難しい。
- [69] マズルカ第55番(ヘンレ版第54番)ニ長調(遺作)
1880年出版。
[29] マズルカ第54番の改作である。
それについては原曲のところで触れたが、
筆者は原曲の方が好きだ。
中間から終わりにかけて原曲からかなり変わっているが、
原曲の半音下降の部分が削除されているのは惜しまれる。
- [70] マズルカ第56番(ヘンレ版第55番)変ロ長調(遺作)
1909年出版。アレクサンドリーヌ・ヴォウォスカ嬢に献呈。
子供向けに書いたかのような素朴で短いマズルカ。
- [71] マズルカ第1番 嬰ヘ短調 作品6-1
この曲と次の第2番、
その次の第4番に加えて
1830年作曲の第3番ホ長調がまとめて作品6として出版された。
これらはポーリーヌ・プラーテル伯爵令嬢に献呈。
この年いよいよショパンが自らマズルカの出版を許し始めた。
いくら自分の魂の根源であろうとも、
パリではマズルカやポロネーズは「田舎っぽい音楽」と思われ、
ワルツやノクターンの方が受けていたであろうことは想像に難くない。
このような中でマズルカを出版するためには、
相当洗練したものを作る必要がある。
まるでシャンソンのようなクヤヴィヤクで始まるこの第1番は、
さすがにねらい通りの出来だ。
途中に民族色のあるパッセージ(右手全ての音に装飾音が付く部分)でエキゾチズムをサービスすることも忘れてはいない。
- [72] マズルカ第2番 嬰ハ短調 作品6-2
出版・献呈は前曲参照。
例の5度連打(この場合は嬰ハ短調属和音)に乗る速いクヤヴィヤクの導入に続き、
マズルの主部が続く。
この旋律は優美でマズルらしくないが、
音量を増し、
8小節の楽句が終わるころはコン・フォルツァのマズルになっている。
- [73] マズルカ第4番 変ホ短調 作品6-4
出版・献呈は[71]マズルカ第1番を参照。
ショパンのマズルカの中では最も短い方である
(一番短いのは9番だが)。
リズムをきちんと刻むのでなく多声部がクシャクシャと絡む不思議なマズルカである。
ショパンの変ホ短調は(いやショパンに限らないが)重苦しい曲が多いのだが、
この曲はなんとなく通り過ぎる風のようにあっけない。
またショパンのいくつかのマズルカに見られる独特の「繰り言をつぶやくようなしつこさ」がこの曲にも感じられる。
ところで文献1にはオベレクとあるが、
速いクヤヴィヤクのようにも聞こえる。
- [74] マズルカ第5番 変ロ長調 作品7-1
この曲と次の第8番、
その次の第9番に加えて
1830年作曲の第6番イ短調と1831年作曲の第7番ヘ短調がまとめて作品7として出版された。
これらはジョーンズ氏(ショパン・ファンだった人)に献呈。
ショパンのマズルカで一番有名な曲を挙げよ、
と言われれば、
誰もがこの第5番を挙げるだろう。
変ロ長音階を直線的に上昇する躍動感に溢れた力強いマズルで、
人気があるのは当然と言える。
中間部は調性感の希薄な(一応変ロ調属七に向かう和声の)静かなクヤヴィヤクで、
現世的生命力に溢れた変ロ長調の主部に比べ、
霧のかなたから聞こえる非現実の世界である。
筆者はこの中間部が好きである。
変ト調のメジャーセブンからセブンへ移行する和音(したがって最高音はF→Eの旋律)で始まるこの部分は古典音楽からかけ離れた斬新さを感ずる。
音の動きや和声はスクリアビンのピアノソナタ第10番の第1主題(これを半音上げて弾いて見よ)を連想させるが、
何か現実ばなれした夢のような部分である。
しかし主部が再現されると現実世界に引き戻される。
- [75] マズルカ第8番 変イ長調 作品7-4
出版・献呈は前曲参照。
この曲については、
これとほとんど同じ原曲の[5] マズルカ 変イ長調(作品7−4の初稿、ヘンレ版に付録の1番)のところで詳しく書いたので、
ここでは詳述しない。
14才のときの作曲をわずかに修正したもので、
その初稿はショパン最初のまともな作品と筆者は考えている。
- [76] マズルカ第9番 ハ長調 作品7-5
出版・献呈は[74]マズルカ第5番を参照。
無窮動的オベレク。
ショパンのマズルカで一番短いが、
終結句を持たないので、
繰り返すと永遠に続くマズルカ。
その点は「音楽の捧げもの」の無窮動に似ている。
- [77] ワルツ第11番 変ト長調 作品70-1(遺作)
1855年フォンタナ出版。
跳躍音程がきらびやかな感じの速いワルツで、
喜びに溢れるような躍動感に満ちている。
和声はトニックとドミナントを繰り返す単純なものだが、
高音部で飛び跳ねる曲想はモダンな感じを与える。
- [78] チェロとピアノのための「悪魔ロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調
楽譜出版社シュレジンジャーの依頼によって書かれ、
翌1833年出版された。
アデール・フォレ嬢に献呈。
すぐ出版されたのに作品番号がない。
ショパンとしては頼まれ仕事のつもりだったのか。
しかしこの曲ではチェロの扱いが一層巧みになっている。
個人的にはこの手の楽曲(序奏と主部がこれ見よがしにあって楽器の技巧を示すことが目的の楽曲)はどうも好きになれない。
原曲がマイヤベーアのオペラとあってはなおさらである。
しかしショパンの室内楽の作曲技術はこの曲でかなり充実して来ているので、
演奏会で聴けばそれなりに楽しめるであろう。
この作曲経験が晩年のチェロソナタに役立ったと考えたいところだ。
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