ラリーレイドモンゴル2002参戦記

 

8月19日  ETAP−8

 6:00スタートの為、4:00起床。まだ真ッ暗のなかで、テント撤収。ビバークでの最後の食事は、田中隊長、田中ユキさん、馬場さんと自分の4人で食べた。この時間はまだ冷んやりしているというか寒い。朝は忙しいので今日で終わってしまうなどという感傷に浸ってる訳にはいかない。そそくさと準備。

 

 ブリーフィングで山田徹さんが、
「いよいよ、最終日です。というよりも8年間のラリーレイドモンゴルの最後の日になりました。〈中略〉SSスタート地点までのリエゾンで約100kmの舗装路を移動しますが、その舗装路は穴だらけである意味ダートよりも危険です。舗装路の穴はコマ図には!(コーション)マークは記載されてませんので。」という話をした。(中略の部分の話にうるっと来たんですが話の内容が全く記憶にありません。不覚です。)

 

 『夕陽を抱いて、ささやかでかつ壮大な夢の最後に』 という表題が、ETAP−8のルートインフォメーションに書かれている。

 

 トップのガントルガが、最終日のスタートを切る。はじめはETAP−1以来のリエゾンだが、いつもとおりに物凄い勢いで出て行く。アッという間に姿が見えなくなり砂煙だけを残していく。続く人たちもみんな同じ様にSS同様のスタート。それを見て、いきおい自分もそんな戦闘モードになる。馬場さんがそれを知ってか知らずか、「鵜澤さん、リアサス、リアサス。ここまで来たら無理すんな、絶対に完走。OK?」と声をかけてくれる。 「OKっす!」と返事。
 ここまでヘタな主人を助けてくれてたサイドスタンドで停められているGSは悲しいくらいにリアが下がった姿でたたずんでいる様に見える。またがると、やけに足つきがいい。「今日だけ、今日だけ、がんばってくれ。あとはゆっくり休まさせてあげるから。」と、優しくGSに語り掛ける。(女房、子供にもこんなに優しく言った事ありません) 
 戦国武将である、信長、秀吉、家康の性格を現す有名な言葉がある。

“鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス” まさかGSを殺す(壊す)わけにはいかない。

“鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス” いくら待ってもリアサスが直るわけがない。

“鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス” スペアのサスを持っているはずもないし、ましてやサスの不調をカバーできるライディングテクニックもない。

それでは、どうするか? ここまで来たらもうなるようにしかならない。無理はできないが開き直るしかない。“鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス” この心境になるしかない。
(松下電器の創業者、故松下幸之助さんの名文句です。そして私は“鳴かぬなら、交換しようかホトトギス” これを機に日本に帰ったら、ホワイトパワーやめて、オーリンズにしようかな)

 

 フラットツインに火をいれる。エンジン音は昨日の馬頭琴の音色に負けないくらいのビートを奏でている。(1回しかオイル交換しなくてスマン、GSよ) 
そして、ガントルガがスタートしてから44分後、他のエントラントとは違い、ゆっくり、大事にといったかんじのスタート。前半はリエゾンと言えども、!コーションマークが多いので気が抜けない。6.73km地点には!!!トリプルコーションのクラック。11.38km地点のコマ図には“亀岩”の記載と、“CAP350”の指示がある。GPSをじっくり見た事と、亀の形をした岩が周辺にあるのでは?と、つい探してしまい、11.71km地点の!!ダブルコーションを見逃した。
 ゆっくり走行していたとはいっても!!ダブルコーションである。勢いよくリアを跳ね上げられ、リアサス付近の「グワシャン」という音とともに転倒。ここまで来たら自分の身体は何があっても我慢する覚悟は出来ているが、一番のネックであるリアサスが逝ってしまったら、全てが終わる。「俺の不注意でスマン、ホワイトパワーよ。」と、祈るような気持ちで、チェック。「フッー!」 とくに問題なし。(やけに気をひくコマ図の300m先に、!!ダブルコーションとは・・・・たかがリエゾン、されどリエゾン。やってくれるぜ、SSER!)

 

 20Km程すると、町が見えはじめる。今まで通過した村は集落といっていいくらいだったが、ここは完全に町と言える規模(かつてのモンゴル帝国の首都ハラホリン)。町に入る手前で#44KTM小林さんが、GSをパスする際にこちらに向って手を振った(リエゾンならでは)。だが、小さな寺の手前を左方向に進路をとる地点で、数台のエントラントと一緒に右へ行ってしまった。追いかけてとめる訳にもいかず、我が道を往く。やがて大きな寺院が現れる。そこで写真を撮っているエントラントもいる。ブリーフィングで山田徹さんが、「町で迷ったら、かなり大きく目立つ寺院がありますのでそこを目標にしてください。余裕のある人はそこで写真でも撮ってください」と、言っていた寺院だ。

 

 「それにしても、こんな大きな町なのに人が少ないなあ」 「あっ、そっか。まだ朝の7:30だもんな、それなのに砂埃をあげながら、50台近くのマシンが街中を走ってるほうがおかしいんだよな」などと、考えながら走行していると前方にゲートが見えてくる。そこをくぐると、「オオー、3,000Kmぶりの舗装道路!」 ラリーレイドでは当たり前かもしれないが、3,000kmも砂漠や草原、川を渡ったりし続けていたなんて、しかもGSで。贅沢の極み。(やっぱり来てよかった)
と同時に、「確実に終りが近づいている」と一瞬だけ切なくなった。が、この舗装路が聞いていた以上に大穴だらけでセンチな気分に浸ってられない。舗装路の為スピードがでるがチョットでも目を離すと、穴にタイヤをとられ転倒しそうだ。地元のモンゴル人でさえ、舗装路をはずれ、わざわざダートを走っている。対向車が来た時など、穴はあるは、正面から自動車は向ってくるはで、どこに避けていいのか非常に難しい。 「おいおい、こんなんが100kmも続くのかよ」

 

 そんなこんなで、ようやく最後のSSスタート地点へ到着。SS開設時間まで、45分程ある。SSスタート前にここまで残っているエントラントでの集合写真の撮影。パリダカでも、最後のビーチでのウイニングランの前に写真撮影があるがそれと同じ演出。(その気にさせるぜ、SSER!) だからといってまだ完走したわけではない。239.09kmのSSが残っている。

 

 いよいよ、最後のSSスタート。239Km先の2002ラリーレイドモンゴルのゴールを目指し、GSのスロットルを捻る。
 スタート後、10km程いくと、#37XR600内田さん(GS乗り、バカミーの仲間でもあります)が、とまっていた。GSをとめ様子をうかがうと、事もあろうにここまで来てエンジントラブルらしい。「せっかくここまで来たのに、これまでです。」との事。何か出来ないかと思っていたら、「あと少し。がんばってください」と内田さんに言われたので、先に往く。

 

 30Km地点近くで、いつまで経ってもどうしても胸のつかえが取れない出来事に出くわした。ピストをリアサスをいたわりながら走行。前方に馬を連れた幼い男の子が2人こちらに手を振ってくれている。こちらもそれに応え、手を振った瞬間、1人の子がこぶし大の石を私に投げつけてきた。避けきれずに傷めている右胸に直撃。プロテクターを装着しているので、痛みはなかったが、バランスを崩しリアが暴れ、転倒。まさか転倒するとは思っていなかったのか、2人とも慌てた様子で馬に跨り、大慌てで逃げていった。後続の#41XR600吉田さんが、「なにかあったんですか?」と、ストップしてくれたが、「いえ、ちょっとよそ見をしてハンドルを取られました。大丈夫です」と答え、先に行ってもらった。
ちょっとした悪戯かもしれないが、「ここまで、いい気になって走ってきたけど、あの子たちにとっては、自分の庭を50台ものマシンに荒らされているのと同じ事なんだろうな」と、罪悪感のようなもの感じた。しかもそれから、数kmいくと、また子供が2人(先の2人ではありません)いて、1人の子が石をもっていた。その時は通過する際、その子をにらみ続けていたら、投げる事はしなかったが(ただ持っていただけかも)、「このラリーって、あの子たちより、ちょっとだけ裕福な人間のエゴなのか?」と、疑心暗鬼になった。

 

 今日のコマ図には、やけに多くの“鉄パイプ”の表記がある。おそらく何かの目印として打ち込んであるのだろが、SSの区間でも人間が造った物を目にする機会が、確実に多くなって来た。ラリーが終りに近づいている事を自覚させられる。夢のような時間が終わってしまう残念さと、先程の子供たちの件とで、かなり複雑な精神状態での走行を続ける。そんな為か、58.48km地点の!!ダブルコーションに気づくのが遅れ、危うく跳ね上げられそうになり、心臓をバクバクさせてしまった。その地点の少し先に、#33XR600山原さんがマシンをとめ、うずくまっていた。GSをとめ、声をかけると 「!!ダブルコーションを見逃し、クラックに突っ込み、吹っ飛んだ」との事。しゃべるのが辛いくらい痛そうであったが、「バイクは大丈夫そうだから、なんとしても走るから先に行っていいですよ」と言われたので、その場をはなれた。

 

 少し走ると今度は#16KTM LC400EGS伊藤さんがストップしていた。オイル漏れがひどく、後続車にオイルをわけてもらいながらここまで来たが、「あと100kmちょっとなのに、これ以上は、無理っす」 「・・・・・・。」 どのように声をかけていいか判らず、「がんばってください」 なんて言ってしまった。

 

 100km地点を過ぎると前方に村が見えはじめる。「やっべぇ、苦手の村かよ!」と思ったが、102.18Km地点のコマ図には、“村を大きく迂回、電柱の横からCAP80”と記載されていた。指示とおりに方位を確認しようとGPSを観ると、電源が落ちていた。「いけね!電池交換してねぇじゃねえかよ」 GPSの電源はバッテリーからとっていたが、初日に配線用のシガープラグが破損した為、その後は乾電池にしていた。乾電池だと、ぎりぎり1日もつかどうかなので、毎日RCPで念のため新しい電池に交換していた。ところがETAP−6のRCPで交換してから、昨日のETAP−7がレストデイだったので、すっかり忘れていた。「まったく、昨日1日何してたんだよ、俺は」  しかもすぐに止まり、オンコースを確認すればいいのに、「あそこに見えるピストがオンコースだろう、そこにいってから電池替えればいいや」と、判断しピストへ向ってしまった。(大バカ者、そんなに単純なコースならCAP指示される訳が無い) 当然ミスコース。しかもこの時、ミスコースしてからそれ程距離を走っていないので、確実な地点まで戻ればいいのに、戻るという事は全く思いつかなかった。電池を入れ替え次のGPSポイントである111.96km地点を目指す事にした。その3km程手前にCP−1があるはずなので、そこで距離メーターをあわせればと判断した。GPS走行という賭けにでた(と言えばカッコいいですがそれ以外思いつきませんでした)。今まで以上に慎重にGSを進めた。しなくてもいい川渡りも2度したし、こんなところで水没したらエライ事になるので、渡れそうな箇所を探すのに右往左往した。

 そうこうするうちに、前方右側から左に向って走るマシンの砂煙が見えた。「あれだっ、オンコースだ!」(こういう時って言葉では言い尽くせないくらいうれしいッス) どんどんマシンが近づいてきた。#45XR−Baja植木さんだった。

 

 無事オンコースに戻れ、#45植木さんと共にCP−1(108.57km地点)へ到着。#45植木さんは、即スタート。あっという間に見えなくなった。私は距離メーターを合わせ、ひと呼吸置いた。今日はさほど暑さを感じなかったが、確認すると40℃だった。「やっぱり涼しいわけだ。一番暑い時からすると10℃も違う。」 (40℃もあれば、死ぬほど暑いはずだが、すっかりモンゴルに身体が馴染んでしまい、過ごし易いとさえ思った。人間の順応性はスゴイ)
 「泣いても、笑っても残り130km。がんばっください。」というオフィシャルの声に励まされ、ラリーレイドモンゴル最後のチェックポイントをあとにした。

 

 CP−1以降のコースは、フカフカのサンド路面が多い。 「またゴビの砂漠地帯に向ってんのか?」 そんな事がある訳がなく、ゴールのウランバートルに確実に近づいている。散々苦しめられてきたサンドなのに、「ラリーが終わってしまう位なら、このままミスコースしてゴビに本当に向っちゃおうかな」なんて、真剣に考えた。
 ナビゲーションも特にややこしい所もなく、上位陣はかなりのハイスピードでアタックしているであろうコースを私は景色を心の中に焼き付けるようにマイペースで往く。とは言え内心は「あと少し、あと少し、とにかくゴールまで持ちこたえてくれ」とトラブルを抱えるリアサスの事で、ドキドキもんである。

 

 残り50kmくらいになると、左側に川が見えはじめる。コマ図に“トーラ川”と記載がある。少し先の小高い所に、エントラントが見える。#45XR−Baja植木さんだった。こちらに手を振っているので、トラブルではなさそう。休憩か景色を堪能している雰囲気だ。私も右手でサムアップのサインを出し、そこを通過。

 

 174.31km地点のコマ図にCP−1以降初めての!コーションマーク。そこを慎重に走り抜け、186.43km地点のコマ図を送ると、次は221.20km。ということはここから約35kmはただ真っすぐに突き進むのみ。周辺の雄大な景色を心ゆくまで、楽しみながら往く。しばらくすると、#14DR350五百蔵さんがストップしていた。GSを止め、声をかける。
 マップケース、メーター、GPSを固定していたパイプユニットが、割れていた。 「これが、破損するんですか?」
普通では想像もつかないところが割れていた。ガムテープとタイダウンで仮止めし、手で支えながらここから先を走行するとの事。大丈夫そうなので先に行くことにする。

 

 221.20km地点、トーラ川が左側、崖の下に見える。コマ図には、“ガケ左によるな”と記載されている。いよいよ残り18km。ギャップに注意し、なめるように越えて行く、相変わらずの、リアサスいたわり走法。

 

 232.50Km地点のIMP(重要ポイント)を指示どおりにCAP70〜50の方位にGSを向けてゆく。残り7Kmのこのポイントを通過した途端に、なんとも言いようの無い切ない気分になった。完走できる感激よりも、この悠久とも思える大地をGSをライドさせる贅沢な時間が終わってしまうという寂しさの方が圧倒的に優っていた。

 

 ついに、239.09km、2002ラリーレイドモンゴルのゴールが見えた。先にゴールしたエントラントの方々から大きな拍手に迎えられながらゴールする。マシンを止め、いろいろなエントラントとお互いを讃え合い握手を交わす。特に斎木校長先生と握手した際、「よーくがんばったね、こんなデカイので。おめでとう。Nice Spirit!」と言われた時にはさすがに終わってしまう寂しさよりも、走りきれた事に感動し、ほんとーに、本当に目頭が熱くなった。(純粋になれました)

 斎木校長先生は、ラリー期間中アドバイスをくれたり、励ましてくれたりといろいろ声をかけてくれていたので、それに応える事が出来たという感激もあった。(今の学校の先生と生徒の関係で、一番足りないものがそこにはありました)

 また、このゴール地点のロケーションもいい。川のほとりで緑も多く、さんざん乾いた大地を走ってきた者にとっては癒される景観。これもSSERの演出というか、こだわりなんだろう。(最後までやってくれるぜ!)

 残念ながら最後のSSで2人のリタイヤが出てしまったが残る全員でコンボイでパレード地点まで移動。SSをゴールしたので、完走はしたことになるがせっかくなのでパレードもしたい。コンボイといってもダートを35Km程走らなければならない。GSよ、がんばってくれ!

 

ということで、モンゴルレポート、あと1回だけお付き合いお願いします。

「パレード、メダル授与式&おわりに」ということで締めくくります。

 

SS順位  44位

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