ラリーレイドモンゴル2002参戦記
8月19日 パレード&etc・・・ コンボイでの移動の前に、リアサスをチェックするとついにオイルがもれていた。SSの最中にこうなったのだろうが 知らぬが仏。よくがんばってくれた。ダートもあと35kmのリエゾンのみ。仮にコンボイの隊列から遅れてもいいので、パレードのスタート地点までたどり着き、パレードに参加したい。ホワイトパワーの息の根だけは止めたくない。 もう終わってしまう寂しさと、走りきった喜び、あと少しリアサスが耐えて欲しい願いの入り混じった複雑な精神状態でコンボイの最後尾を往く。川渡りもあるし、なにより50台弱のマシンの最後尾なので砂埃のすさまじさに閉口した。
やがて、今までいろいろな思いが入り混じった状態から、この移動中に不思議とモンゴルを走れた事、そしてラリーを完走出来た満足感にだんだんなっていき、切ない気分になることはもうなくなっていた。 フラットな路面でも、シートに座ると自分の体重でサスが沈み込み、スィングアームとリアサスのリザーバータンクが当たるようになった。スタンディングでなるべくフロント荷重になる様走った。ほんとうに紙一重の完走だったと最後尾 から、前方を走るマシンたちを見ながら思った。 小さな川を2度渡り、なんとかコンボイを組んでのリエゾンが終わった。その区間ずっと最後尾で隊列を追った。 ダートと舗装路の境い目(これでモンゴルのダートはついに終り)にマシンを止め、パレードの時間まで休憩。
パレードのスタートまでの休憩時間はなんともここちの良い時間だった。聞くところによると、ウランバートル市内の舗装路はさすがに今日の前半のリエゾンの舗装路と違い大穴はないらしく、本当の意味での全行程を走りきれるとこの時やっと確信できた。ここまで手を付けていなかったランチパックをひろげ、みんなで食べながら、ラリー期間中のエピソードなどで、大いに盛り上がった。
そしてパレード出発の時間になる。実は1stツールド・ニッポンにバカミーズのメンバーとして一緒に出場した北海道の山口さんから、モンゴルでのパレードで自然に涙が出て止まらなかったと聞いていた。山口さんは’98年、’99年と2年連続でラリーレイドモンゴルに出場。1年目はリタイヤ、2年目に完走を果たした。2年越しの完走だったのでパレードで感極まったと話してくれた。それを聞いていたので、少しは自分もそんな気分になれるんじゃないかと期待していた。 パレードは約25kmの距離を走行する。モンゴルのパトカーの先導で、総合順位の順番でスタート。しばらくはウランバートルの郊外の為か?とてもパレードとは言えない80Km/hのスピードでの走行。「市街地に入ったらゆっくりになるんだろうな」 が!市街地に入ってもスピードは変わらない。確かにパレードのコースは全て警察が交通を止めて くれていて、ウランバートルの市民がたくさん沿道にいる。 「オイオイ、これじゃ余韻に浸るどころじゃネェな、山口さん時もこんなだったんかな?」 まあ、感極まることはなかったが、とてもすがすがしい気分で走行できたし、ウランバートルの雰囲気も自分なりに堪能できた。そんなスピードだったので、アッという間にメダル授与会場であるチンギスハンホテルに到着した。パレード区間もコマ図には、しっかり記載されていた。そして8年間におよぶラリーレイドモンゴルの最後のコマ図には、 「ゴビの地平の彼方より生還。最期のラリーレイドモンゴルのゴールに到達した。心からの祝福を!そしてこの経験があなたの人生を照らす道標の役割を果たすことを・・・・」 このように記されていた。(感動したっ! by小泉純一郎)
チンギスハンホテル前でバカミーを主宰するマツモトさんが、「おめでとう、ナイス Fight!」の言葉と、相当に力のこもった握手で迎えてくれた。両手のひらはマメだらけで正直「イテッ」と一瞬ひるんだが、思いきり握り返した。
すぐに、フィニッシャーメダル授与式が催された。完走者一人ひとり、ゼッケンナンバーと名前をコールされ山田徹さんから、メダルを授与される。その際、必ず軍楽隊がファンファーレを演奏してくれ、盛り上げてくれる。(単純な私はこの ような演出に非常に感激しました。ちなみに表彰式は翌日場所をかえ、モンゴル人スタッフも含め参加者、関係者全員が出席した閉会パーティのなかで、食事をしながら催されました)
授与式が終わると、すぐにまたマシンにまたがり、パトカーの先導でウランバートル市内を移動。行く先はマシンを格納 するコンテナのある場所。ここまでがんばってくれたGSに心の中で感謝しながら、タンク、キャブに入っているガソリンを 全て抜き、GSをコンテナに収めた。コンテナの扉が閉まる直前にGSに対しもう一度心の中で「ありがとう」と声をかけた。
ホテルに戻り、1週間ぶりにシャワーを浴びた。ひさしぶりに身体を洗えた爽快感よりも、想像をはるかに超えた厳しくも 雄大なモンゴルを体験できた満足感で、人生で一番気持ちのいいシャワーだった。それと8日間、3000kmを走り抜けた間に、身体に染み付いた汗と土が何度洗っても完全に落ちずに、身体を拭くと、白いタオルが少し茶色になってしまう事が、誇らしく思えた。シャワーを浴び終え、ベッドに横になった。そのベッドもまた気持ちよかった(たぶん、この時は仮に誰かに蹴りを食らっても気持ちいいと思えたとおもいます。そんな精神状態でした)
バカミーズの中で自分だけがホテルが違っていた。マフィアT中さん、馬場さんと連絡が取れなかったので、その晩は、ビバークでの約束とおりに、三ヶ尻さん、西田さんらと焼肉屋へ行った。焼肉屋へ行ってびっくりした。 マフィアT中さん、馬場さんだけでなく、30人以上ものエントラントが集まった。こうなると言葉では表せない最高に楽しく 生涯忘れる事のできない宴会になった。日本に帰れば、社会的な立場や生活環境も違う人間が、共通の目的で集まり、お互いを讃え合い、認め合い、ただのバカ騒ぎでなく、なんとも大人の宴会だった・・・。
自分にとって最初で最後(になってほしくない)のラリーレイドモンゴルは、すべての場面で生涯絶対に忘れる事がない 時間、空間、仲間を与えてくれた。 すべてが最高なラリーレイドモンゴルが終わった。
出走 79台 完走 49台 総合順位 41位
おわりに・・・ 1992年、山梨県身延町周辺をコースとする“ラリーin身延”というコマ図をつかった2daysラリーに出場した。当時、千葉県八千代市に住んでいた私はカワサキKDX200SRにて自走で参加した。結果はいつもとおりの可も無く不可も 無くといういつもの平凡なもので帰路についた。高速道路を使わず、R20を上野原付近を走行中、睡魔に襲われ、民家のブロック塀にノーブレーキで突っ込んだ。気が付くと救急車の中という状態だった。結婚式が2ヶ月後に控えていたのに、入院。退院したのが式の2週間前だったので、全ての準備を現在の妻に任せる事になり、両家の親族から罵声を浴びる事になった。しかもKDXは大破し廃車。これを機に草レースから、足を洗うことになった。それでもパリダカに憧れていた私は1994年に現在もライドするR100GSをツーリング用として購入。しばらくすると、バカミーを主宰するマツモト さんのGSの記事を雑誌等で目にするようになった。TBI、モンゴルの記事を読んで、羨ましいとは思っていたが、その世界は「子供もいるし、今更もう無理だ」 と思っていた。
2001年夏、いつも行くバイクショップで「こんなのあるんだ」と何気なく手に取った“ビッグタンクマガジン”を読んだ。 この時初めて“GSバカミー”の存在を知った。ちょうどSSERが1stツールドニッポンのエントリーを受け付けていた。 「これだっ!」衝撃がはしった。懐かしい匂いを感じるとともに新鮮な気分になった。“ラリーinみのぶ”以降、およそ10年間、気持ちに張りを持たせてくれるものが無く、ずっとくすぶっていたが、スッーとした。(結局戻るところに戻っただけですが) そうしてTDNにエントリー(久々のオフロードイベントの為、カルいのにしようか迷いましたが、このHPの管理人の田中章史さんの的確なアドバイスでGSにしました。もしTDNにカルいので参加してたらモンゴルはありませんでした)し、バカミーの門を叩いた。10年ぶりにブロックパターンのタイヤも購入した。 そんなこんなで “はじめに” に書いたとおりにラリーレイドモンゴル参加となった。
砂漠に憧れ、ラリーレイドにいつか挑戦したいと思っているが、実力もなく、休暇、金銭的にも厳しい、家庭を持つごく普通の私の様なサラリーマンが、そういったネガティブな部分に何とか折り合いをつけて参加できる本格的なラリーレイドが、世界で唯一“ラリーレイドモンゴル”だと思う。オーガナイザーは当然日本人なので安心だし、ナビ、路面の難易度も絶妙で、これ以上であれば私ごとき人間がGSを完走させることは出来ないだろう。また簡単すぎては、達成感が薄れてしまう。このあたりのバランスが、リピーターの多い要因ではないかと感じた。そして最大の魅力は誰がなんといってもモンゴルのロケーションだ。大自然の素晴らしさ、雄大さ、厳しさを肌で感じる事が出来る。しかもその中を自分のマシンでライド出来る。日本では体験しにくい非日常をいやというほど味わえる。そして仲間が出来る。
写真や映像では絶対に伝わらない、ましてや言葉では、表現できない。体験するしかない。ツーリングでは感じることが出来ないかもしれない。それを実現させてくれたのがSSER。本当に感謝します。海外で8年間も続けるのは相当にエネルギー、情熱が必要なはず。ありがとうございます。
最低あと2回はラリーレイドモンゴルに出場したい。一度はGSでなくカルいので出場し、BigOffツインと比較したい。そしてそれらをふまえた上で再度GSで挑戦し、「ビギナーズラック」だった今回の完走を、3度目は「イメージとおりに走れた」としたい。そのためには是非SSERさん、“モンゴル”の再開をしてください。そして実現したら、まだ体験していないみなさんも、それに応え出場し、トリップしましょう!
ここまでお付き合いしていただき、ありがとうございました。いつか再開される事を願いつつ・・・・、それでは。
SS順位 44位 |