ラリーレイドモンゴル2002参戦記

 

8月16日  ETAP−5

9:00スタート
 朝、6:00に目が覚める。8時間も熟睡した。
今日はゾーモットを起点にループを描くルート。距離は209.8km。今回のラリー中で1番距離が短い。しかし、田中隊長によると、昨年のゾーモットのループはBigOffには辛かったとの事。「距離が短いETAPは、ナビゲーションもコースの路面も厳しいので、油断ならない」とアドバイスを受けた。そういえば、約210kmのルートにチェックポイントが3ヶ所設定されているのも、その証拠か?距離からするとかなり多い。(通常は大体150kmにつき1ヶ所CPがある)
ゾーモットに着いてラリー中だというのにリゾート気分?になっていたので、“渇”が入った。田中隊長からも
「今日を乗り切れば、マシントラブルでも無い限り、完走できるよ」と言われ、モチベーションアップ!

 

 ループコースの為、テントの撤収、ダッフルバッグの預入れもないので馬場さんとゆったりと朝食をとっていると、
「2人ともあんなデカイので、がんばってるねぇ。すごいよ」と声をかけられる。
「あっ、おはようございます」と返事をする。声の主は、北日本自動車学校の斎木校長先生。(1stツールド・ニッポンの車検会場、プロローグランコース、スタート地点を提供してくれた方) 今回のラリーには、スバルのフォレスターで出場。一緒に朝食をとる。

 

 ブリーフィング。山田徹さんより、
「おそらく、今回のラリーで一番暑くなると思われます。水分、塩分の補給の仕方に注意してください。何度もいいますが咽喉が渇ききってからでは遅いです。少しづつタイミングをはかり、補給してください。そういうサバイバルテクニックも試されるでしょう。」と、発表があった。一番暑くなるって、今までも連日45℃になっているし、水分補給のタイミングといわれても、キャメルバッグ壊れたし・・・・。あ〜あ。(モチベーションダウン)

 

 15分前にスタート地点に並ぶ。このころになると、スタート順は大きく変わる事はないので、周りはいつものメンバーとなる。CP,RCPや走行中にもよく顔を合わせる。この日もそんな連中と
「CP−1は61km地点ということは、うちらがスタートする頃はガントルガはCP−1を通過してるよ。」
「それどころか、今日は200kmだから、うちらがCP−1に到着する頃には、もうゴールしてるよ」
 そんな会話をしていると、山田徹さんがやって来て、「この辺は、トップグループと違いまったりとした雰囲気だね」と、声をかけられ、みんな笑った。でも後ろから10番目位の連中は、それぞれいろんな困難を乗り越え、ドラマを作りながらここまで生き残っている連中ばかりで、一晩中デューンを彷徨ったり、フロントリムだけで10km走ったり、ある意味トップグループよりもタフかもしれない。(順位に関係なく、みんな大変ということです)

 

 9:47、メガネをしっかりかけ、カッコよくスタートといきたい所だが、いきなりのフカフカサンド。しかもコーナーもギャップも多い。「またかよ、勘弁してくれよ。」泣きが入る。ライディングテクニックの無い自分としては、GSのパワーにモノを言わせ、勢いだけで突っ走りたいが、こうコーナー、ギャップが多いとそうもいかない。ピストを無視して真っすぐ行きたいが、ピスト外はとてもじゃないが走れる状況じゃない。日本の林道の様にコーナーがブラインドになっていないので、コーナーの出口どころか、地平線まで見えてしまい、つい真っすぐ行き何度もオーバーランをして転倒する。こんなところで、コーナーでの視線の位置の大事さを確認させられる事になる。
 しばらくすると、馬場さんが転倒していた。立ち止まり、馬場さんのR80GSを起すのを手伝い、先にその場を離れる。直後に#44KTM小林さんにパスされるが、目前でギャップに跳ばされ小林さんが転倒。それを目で追っていた為、小林さんのいる方向にGSが向かってしまう。絡んだら、ヤバイ。ここで自分のできる事は、自分から転倒して絡まない様にするだけ。(今思えば、もう一つ方法がありました。目をつむって運を天に任せる。得意技です)

 

 20Km程でやっとフカフカサンドを抜けたが、愛車といえど200kg超のGSを何度も起し、かなり体力消耗した。しかもかなりの暑さ。腕時計の温度計は見ない事にしているが、40℃はあるだろうことは5日目ともなると、実感できた。
 そしてコースは枯れ川となる。フカフカサンドにくらべれば、川砂のほうが、少しは走り易い。コーナーも少なくなり、スピードに乗せやすい。ここで気をつけなければならないのは、ナビゲーション。ついつい枯れ川に沿って走ってしまいオンコースを見失いがちになる。止まって水を飲みたいが、なぜか止まる気分になれず、先を急ぐ。(別に先を争う順位でもないのに) 「キャメルバッグ落ちてねえかなあ」 水分補給のタイミングが悪く、のちのち痛い目にあう事になる。

 

 CP−1(61km地点)到着。オフィシャルが2人、ものすごい暑さの中にポツンといるだけだった。Dパックから、ペットボトルを取り出し、水をガブ飲みするが、飲んでも飲んでも咽喉の渇きが癒されない。先は長い。まだこの時は水を飲む事を我慢できた。この間通過するエントラントはいなかった。「あれっ、馬場さんが来るはずだよな」

CP−1を発つ。CP−1以降はフラットでハイスピードのコース設定。

 遥か前方の陽炎の上に山が浮かんで見える。蜃気楼か?現実の山か?  ブリーフィングで、

「CP−2は山の裾野の左側をかすめる様に抜け、その先の以前飛行場だった所に設置してあります」と発表があった。という事は、「ありゃあ、本当の山だ」 それにしても不思議というか、写真や映像なんかじゃ伝える事の出来ない景色。その山の裾野を走り、CP−2に早く着き、水を飲みたい一心でスロットルを開ける。キャメルバッグが使い物にならないので、チェックポイントごとに、水分補給しようと決めていた。CP−2(110km地点)に早くも?到着。  暑すぎる!

 

  先ずは、水をカブ飲み。暑さだけでなく、唇に付けたリップクリームもアッという間に乾く程、乾燥しているので、咽喉が渇く。見ない様にしていた気温だったが、何気なく腕時計の表示を切り替え、見てしまった。“49℃” (卒倒!)
それにしてもここが元空港なのか?確かに真っ平らで滑走路っぽいが、人が周辺で生活していた気配が無いどころか動物、植物の気配がない、全く水気を感じない。さえぎる物が無いのに風も感じない。音もない。もしここで一人きりだったら自分の存在を確認出来るものが何も無い気がした。ただ空だけは青く、安心できた。

 

  今日のETAPの中間地点のCPの為、#44KTM小林さんをはじめ、4,5人のエントラントが休憩していた。今まで意識してか、しらずか「暑い」という言葉をエントラントから聞かなかったが、ここではみんな口にしていた。
 #42XR650L田中さんがパンク修理をしていた。CP−2手前数kmでパンクし、そのままここまで走って来たそうだ。殺人的な暑さの中での作業も非常につらそうだが、暑さのあまりチューブにパッチを貼る接着剤がつかずに困っていた。
「誰か、スペアチューブもっていませんか?」と、みんなに聞いたが、誰も返事をしなかった。私はもっていたが、心の中で、(持ってるけど、貸したら俺がパンクするかもしれないし、貸せねえよな)と思った。すると#45XRバハ植木さんが
「スペア持ってないんだ?2ヶ持ってれば貸せるけど、1ヶしか持ってないから」と、みんなを代弁してくれた。この暑さの中で、携帯ポンプでエアーを入れるのはさすがに気の毒なので、八尋さんから借りている大きなポンプを#42田中さんに渡し、「もし自分がパンクしたら、待ってますんで」とCP−2を発つ。残り約100km。残りの水、約250ml。

 

  CP−2を発ってしばらくすると何となく体がダルくなってきた。どんどん身体が重くなっている感じがした。CP−2から20km位走るといよいよ気分も悪くなり、吐きこそしないもののヘルメットの中で「オエッ、オエッ」と、繰り返した。
「なんかヤベーな、こりゃ脱水症状になりかけ?」  マシンをピストの広い場所で停め、体の様子をみることにした。前半のサンドでの体力消耗と、水分補給の失敗が原因か?

#44KTM小林さん、#33XR600山原さんが通過した。2人ともスピードをゆるめてくれたので、手で何ともないと合図をした。「やっぱり山田さんの言ってたとおりだな。なんで我慢しちゃんだよ俺は!」 咽喉が渇ききる前に補給する様にアドバイスされたのに、毎度毎度の自分自身のミス。サバイバルテクニックの試験に見事に不合格。
たとえキャメルバッグが正常に使えたとしても同じ失敗をしただろうことは明白。(別にキャメルバッグ無くても止まって飲めばいいだけの事です。でも、それが出来ないところがラリーの面白さだと言い訳させてください)

 CP−3まで、残りおよそ40km。CP−3にいけばオフィシャルが水をもってるだろうと判断し、残りの水を半分飲み、もう半分を頭から被った。ここれで少し身体が楽になり、再スタート。配給された水は使い果たした。

 

 やがてコースはドライレイクへ。ここは体調がすぐれなくても、最高に気分がいい。不思議なくらいグリップする。舗装路よりフラットでスピードが出るんじゃないかと思うほどだ。GSの本領発揮するには、最高のロケーション。陶酔した。一生ここを走っていたいと思った。だが、楽しい時間というのはアッという間にすぎてしまうのが世の常。また、サンドと灼熱の世界に戻った。体調は悪いといっても走ることは充分できる。ボーッとしがちなので、「集中、集中」と、言い聞かせながら走行を続ける。

 

 #44KTM小林さん、#41XR600吉田さんがストップし、ルートの確認ををしていた。この辺りからコマ図に指示されたピスト走行から、CAP走行に切り替わる地点だった。ここまで綺麗にトレースされていた轍もここからは四方に散らばっていた。先行車も迷っていた様だ。3人で協議するも結局、3人それぞれの思う方位へ進んだ。
「なんで俺の言うとおりにしないんだろ、俺のルートがオンコースなのに。どうなってもしらねーぞ」と思いながら我が道を行くが、「あれー、違うかな?」 轍もなくなり、砂も深くなり始める。ETAP−2のデューンの悪夢が頭をよぎる。
「ヤベー!これ絶対違う。」 「ミスコースでスタックしたら、今の体調ではラリーが終わっちゃう。」 少ない能力を駆使して、なんとか砂にはまることなく3人が分かれた地点に戻ると、#44小林さんも戻ってきた。ということは、#41吉田さんのルートがオンコースなのか? 確かに轍が一番多い。疑問に思いつつも#44小林さんとそのルートへ進む。

 目の前にサンド質(デューンではない)のヒルクライムが現れる。#小林さんは斜面に対し、斜めに進入したが難なくクリア。そのあとをGSで追うが登れず、下にGSを引きずり降ろす。次は失敗が許されない。もうGSをひき起す体力は無い様に思えた。GSを斜面に対し垂直に向け、助走を付け一気に駆け上がる。「やったー!」 成功。 ところが、「エッ、ウソッ」 がっくし。#44小林さん、#41吉田さんが引き返してきた。結局3人が選んだルート全てがミスコース。

 

 右往左往しながら何とかオンコースへ。CP−3まではCAP走行が続く。ナビゲーションが難しく、先行車に追いつき、後続車に追いつかれて、10台くらいの集団になっていた。かなり前にスタートしたバカミーのユキさんもいた。このころになると、咽喉の渇きを忘れるくらいに、体力的に限界が近づいている気がした。スロットルを捻る右手、クラッチを握る左手ともに痺れていた。救いは気持ちがまだ萎えていない事だった。ただ、1度でもGSを倒せば、そこで気持ちさえ、イッてしまいそうな状況が続く。ナビゲーションをする余裕がないので、今いる集団から置いていかれない様にGPS、コマ図を無視してライディングに集注した。(XR600、400やKTMに無我夢中でついていったこの時が、意識とは別に一番乗れていたかも?)

 

 サンドの為、ハンドルを取られない様に、各車スピードに乗せ突っ走る。
「早く、CP−3に着かないか」 そればかりを考えていた。集団の目の前に大きなギャップが現れる。みんなそれをなんとかクリアするが、#44小林さんが、そこで転倒。自分は#44小林さんをよけて、転倒。(ここは、コマ図にコーションマークが、記載されてなかったので、サブフレームが折れた2輪、4輪がいました)

「うっ〜う」 一番恐れていた事が起きてしまった。#44小林さんは即KTMを起し、
「鵜澤さん、大丈夫?バイクおこそうか?」 

「いや、大丈夫です。先に行ってください」(全然、大丈夫じゃないのに!?)

なぜか、そう答えた。そう言ったので、当然#44小林さんは先に行った。GSを起さなければならない。一発勝負!
無駄に体力を使う余裕はない。気合いをいれ、GSを引き起こす。・・・が、ダメだった。腕に力がはいらない。もう一度チャレンジするが、失敗。メチャクチャでかいショック。「なんでこんなに重てんだよ、GSはよ。」気持ちも切れそうになる。
 気持ちを落ち着かせるために、少し休み再チャレンジ。すると、GSがスーッと持ち上がった。 「アレッ?」 
#37XR600内田さんが、手伝ってくれていた。そばにいる事に全然気づかなかった(気持ち落ち着いて無いじゃん)。
本当に嬉しく何度も何度もお礼を言った。「TBIの時に自分もみんなに助けて貰いましたから」と#37内田さん。

(ラストTBIをR1150GSで完走したGS乗り。バカミー走行会にも参加している仲間です。感謝。)

 

 距離の割には、ようやくCP−3(169km地点)到着。ここのオフィシャルはバカミーを主宰するマツモトさんだった。ここで、水をもらい休憩するつもりだったが、親分の前で情けない姿をみせられない。カッコつけて即スタートしようとしたが、やはり身体がついていかず、“ドテッ”。立ちゴケ。「またGS起すのかよ」 ここではマツモトさんが見ている事もあり、一発でGSを起しあげた。(なんだ出来るじゃん) マツモトさんに水をくれとは言えなかった。

 CP−3は“恐竜の谷”と呼ばれる(世界的にも有名で恐竜の化石が沢山発掘される)場所に設置されていたので各チームのメカニックやマネージャーが、化石を探しついでにここでエントラントの応援をしていた。マネージャーさん達も暑くて、みんなオフィシャルカーの影にいた。その中の1人、上西さんが「みんなには無いゆうて、断ったから内緒やで」と、残り少ないにもかかわらず水をくれた。2,3口飲ませてもらった。それだけでも全身にしみわたったのを感じた。
(上西さんは、今回はチームマネージャーでの参加ですが、2000年、2001年と2年連続でドミネーターで出場。1stツールド・ニッポンで、ゼッケン番号が近い為、宿泊の時同部屋が多く、鹿児島のゴール後のホテルの浴場で朝風呂につかりながら、モンゴルに出場することを一番初めに話した人です。)

  上西さんの水のおかげで、残り40kmを走れるくらいに復活した。上西さんによるとここから先は楽だとの事。コマ図と距離メーターを合わせ、CP−3を発つ。

 

 CP−3以降はピストをトレースするルートになり、ナビゲーションも簡単で、路面も固くハイスピードコース。しかしスピードを出せなかった。気持ちは前へ前へとなっているが、メーターをみてもせいぜい60Km/h。それでもしんどくて気が付くと40Km/h位になっていた。たんたんと走るしかなかった。やがて前方にゾーモットの樹々が見えた。
「ヨッシャー!」 ヘルメットの中で叫ぶ。ETAP−2のデューンでのゴール以上に消耗した身体でゲートをくぐり、水を飲みまくる。

 

 ゴールしたのは、15:00。日没まで8時間もあり、普通であればゾーモットをたんのう出来るのだが、今日はヘルメットブーツを脱ぎ、木陰で横にならざるを得なかった。#26F650ダカール三ヶ尻さんや、#57KLX250河村さんに「“泉”で頭、身体を冷やせばサッパリしますよ。」と言われたが、動けなかった。少し寝ようとしたが、身体が興奮している為か寝付けなかった。遠くからフラットツインの乾いた排気音が聞こえてきた。

「馬場さんだ。馬場さんも帰って来た!」(正直馬場さんの事はこの時点まで忘れてました。スミマセン)

 1時間くらい横になっていると、相変わらずダルイが歩けるくらいには体力も回復してきた。“泉”に行くと、昨日同様#44KTM小林さんがいた。ペットボトルに水を汲み頭から被った。サッパリはするがそれだけでは回復するはずもない。念の為、メディカルチェックを受けようとメディカルゲルに行くがモンゴル人ドクターはいなかった。モンゴル人の通訳にドクターをさがしてもらった。ドクターはラクダに乗り、はしゃいでいた。

 モンゴル人通訳を介してのドクターとの会話で、「どうした?」「身体がダルイんです。脱水症状では?」
するとドクターは、私の舌を診て「軽い熱射病だ。涼しい所で休め、そうすれば明日もスタートできる。」
この間1分程度だった。(さすがは名医?) 

 

 そういえば今日はレストコントロールがなかったので、朝食以降何も食べていなかった。RCPがなくても毎日ランチパックは配給される。ランチパックのパンを2つ食べた。するとまた体力が回復して来たのがわかった。(まさかお腹がへってただけ?) その後はしばらく応援メッセージの掲示板前でイスに座り、HPN田中隊長、#14DR350五百蔵さんと会話をしながら、身体を休める。HPN田中隊長でさえ「前半のサンドはBigOffにはつらかったね」との事。
タイヤ交換、オイル交換は昨日やっておき正解。今日だったらとてもじゃないが出来なかった。(この日、HPN田中隊長は、フロントフォークのオイルシールが抜け、オイルシールの交換をしました)

 

 21:00。この頃になると、おかげさまですっかり元気になり、馬場さん、#40DJEBEL上村さん(R80Basic乗り)と一緒に夕食をとる。馬場さんもかなりキツかったと思うが、そんなそぶりを全くみせず、楽しい雰囲気にしてくれる。タフで、明るくさすがは薩摩隼人。

 

 夕食後、あの“菅原”さんと、会話する機会を得た。「どうGSは?大変でしょ」と話し掛けてくれ、そこからラリーの心構えや、経験など大変貴重な話を聞く事が出来た。その中でパンクの話になった。「パンクしたら、どんなに競っている状況でも、先ずタバコを1本吸う事にしてるんだよ。パンクってさあ、慣れちゃえばリカバリーにそんなに時間かかんないから、なおさら急ごうとして、つまんないミスするんだよ。工具おいてっちゃったりね。」 

  わかっているつもりだが、パリダカ最多出場の菅原さんの言うとおりのミスを翌日することになる。(もしかすると、菅原さんは私を見てコイツはミスしそうだなとわかったのか?)

 

 この日、#53DJEBEL谷口さんがリタイヤした。ETAP−2の前半にフロントブレーキオイルラインを破損し、ここまでリアブレーキのみでがんばっていたが、その負担がミッションにかかったのか?途中ギアが入らなくなったそうだ。
ゾーモットに戻って来た谷口さんは、「やれるだけの事はやった。悔いは無い」とサッパリした表情で安心した。

ETAP−2のデューンで、谷口さんがいなければ、私は間違いなくゾーモットには来れなかった。共に星空を見た事がかなり前の出来事に思えた。

 

 明日はゾーモットを離れ、今回のラリー最長600.72km。しかも川渡りも多い。ラリーも終盤にさしかかる。
日が暮れたから、寝よっと。


SS順位 42位 
総合リザルト 46位(55台中)
リタイヤ  計24台

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