ラリーレイドモンゴル2002参戦記
8月16日 ETAP−5 9:00スタート
ループコースの為、テントの撤収、ダッフルバッグの預入れもないので馬場さんとゆったりと朝食をとっていると、
ブリーフィング。山田徹さんより、
15分前にスタート地点に並ぶ。このころになると、スタート順は大きく変わる事はないので、周りはいつものメンバーとなる。CP,RCPや走行中にもよく顔を合わせる。この日もそんな連中と
9:47、メガネをしっかりかけ、カッコよくスタートといきたい所だが、いきなりのフカフカサンド。しかもコーナーもギャップも多い。「またかよ、勘弁してくれよ。」泣きが入る。ライディングテクニックの無い自分としては、GSのパワーにモノを言わせ、勢いだけで突っ走りたいが、こうコーナー、ギャップが多いとそうもいかない。ピストを無視して真っすぐ行きたいが、ピスト外はとてもじゃないが走れる状況じゃない。日本の林道の様にコーナーがブラインドになっていないので、コーナーの出口どころか、地平線まで見えてしまい、つい真っすぐ行き何度もオーバーランをして転倒する。こんなところで、コーナーでの視線の位置の大事さを確認させられる事になる。
20Km程でやっとフカフカサンドを抜けたが、愛車といえど200kg超のGSを何度も起し、かなり体力消耗した。しかもかなりの暑さ。腕時計の温度計は見ない事にしているが、40℃はあるだろうことは5日目ともなると、実感できた。
CP−1(61km地点)到着。オフィシャルが2人、ものすごい暑さの中にポツンといるだけだった。Dパックから、ペットボトルを取り出し、水をガブ飲みするが、飲んでも飲んでも咽喉の渇きが癒されない。先は長い。まだこの時は水を飲む事を我慢できた。この間通過するエントラントはいなかった。「あれっ、馬場さんが来るはずだよな」 CP−1を発つ。CP−1以降はフラットでハイスピードのコース設定。 遥か前方の陽炎の上に山が浮かんで見える。蜃気楼か?現実の山か? ブリーフィングで、 「CP−2は山の裾野の左側をかすめる様に抜け、その先の以前飛行場だった所に設置してあります」と発表があった。という事は、「ありゃあ、本当の山だ」 それにしても不思議というか、写真や映像なんかじゃ伝える事の出来ない景色。その山の裾野を走り、CP−2に早く着き、水を飲みたい一心でスロットルを開ける。キャメルバッグが使い物にならないので、チェックポイントごとに、水分補給しようと決めていた。CP−2(110km地点)に早くも?到着。 暑すぎる!
先ずは、水をカブ飲み。暑さだけでなく、唇に付けたリップクリームもアッという間に乾く程、乾燥しているので、咽喉が渇く。見ない様にしていた気温だったが、何気なく腕時計の表示を切り替え、見てしまった。“49℃” (卒倒!)
今日のETAPの中間地点のCPの為、#44KTM小林さんをはじめ、4,5人のエントラントが休憩していた。今まで意識してか、しらずか「暑い」という言葉をエントラントから聞かなかったが、ここではみんな口にしていた。
CP−2を発ってしばらくすると何となく体がダルくなってきた。どんどん身体が重くなっている感じがした。CP−2から20km位走るといよいよ気分も悪くなり、吐きこそしないもののヘルメットの中で「オエッ、オエッ」と、繰り返した。 #44KTM小林さん、#33XR600山原さんが通過した。2人ともスピードをゆるめてくれたので、手で何ともないと合図をした。「やっぱり山田さんの言ってたとおりだな。なんで我慢しちゃんだよ俺は!」 咽喉が渇ききる前に補給する様にアドバイスされたのに、毎度毎度の自分自身のミス。サバイバルテクニックの試験に見事に不合格。 CP−3まで、残りおよそ40km。CP−3にいけばオフィシャルが水をもってるだろうと判断し、残りの水を半分飲み、もう半分を頭から被った。ここれで少し身体が楽になり、再スタート。配給された水は使い果たした。
やがてコースはドライレイクへ。ここは体調がすぐれなくても、最高に気分がいい。不思議なくらいグリップする。舗装路よりフラットでスピードが出るんじゃないかと思うほどだ。GSの本領発揮するには、最高のロケーション。陶酔した。一生ここを走っていたいと思った。だが、楽しい時間というのはアッという間にすぎてしまうのが世の常。また、サンドと灼熱の世界に戻った。体調は悪いといっても走ることは充分できる。ボーッとしがちなので、「集中、集中」と、言い聞かせながら走行を続ける。
#44KTM小林さん、#41XR600吉田さんがストップし、ルートの確認ををしていた。この辺りからコマ図に指示されたピスト走行から、CAP走行に切り替わる地点だった。ここまで綺麗にトレースされていた轍もここからは四方に散らばっていた。先行車も迷っていた様だ。3人で協議するも結局、3人それぞれの思う方位へ進んだ。 目の前にサンド質(デューンではない)のヒルクライムが現れる。#小林さんは斜面に対し、斜めに進入したが難なくクリア。そのあとをGSで追うが登れず、下にGSを引きずり降ろす。次は失敗が許されない。もうGSをひき起す体力は無い様に思えた。GSを斜面に対し垂直に向け、助走を付け一気に駆け上がる。「やったー!」 成功。 ところが、「エッ、ウソッ」 がっくし。#44小林さん、#41吉田さんが引き返してきた。結局3人が選んだルート全てがミスコース。
右往左往しながら何とかオンコースへ。CP−3まではCAP走行が続く。ナビゲーションが難しく、先行車に追いつき、後続車に追いつかれて、10台くらいの集団になっていた。かなり前にスタートしたバカミーのユキさんもいた。このころになると、咽喉の渇きを忘れるくらいに、体力的に限界が近づいている気がした。スロットルを捻る右手、クラッチを握る左手ともに痺れていた。救いは気持ちがまだ萎えていない事だった。ただ、1度でもGSを倒せば、そこで気持ちさえ、イッてしまいそうな状況が続く。ナビゲーションをする余裕がないので、今いる集団から置いていかれない様にGPS、コマ図を無視してライディングに集注した。(XR600、400やKTMに無我夢中でついていったこの時が、意識とは別に一番乗れていたかも?)
サンドの為、ハンドルを取られない様に、各車スピードに乗せ突っ走る。 「うっ〜う」 一番恐れていた事が起きてしまった。#44小林さんは即KTMを起し、 「いや、大丈夫です。先に行ってください」(全然、大丈夫じゃないのに!?) なぜか、そう答えた。そう言ったので、当然#44小林さんは先に行った。GSを起さなければならない。一発勝負! (ラストTBIをR1150GSで完走したGS乗り。バカミー走行会にも参加している仲間です。感謝。)
距離の割には、ようやくCP−3(169km地点)到着。ここのオフィシャルはバカミーを主宰するマツモトさんだった。ここで、水をもらい休憩するつもりだったが、親分の前で情けない姿をみせられない。カッコつけて即スタートしようとしたが、やはり身体がついていかず、“ドテッ”。立ちゴケ。「またGS起すのかよ」 ここではマツモトさんが見ている事もあり、一発でGSを起しあげた。(なんだ出来るじゃん) マツモトさんに水をくれとは言えなかった。 CP−3は“恐竜の谷”と呼ばれる(世界的にも有名で恐竜の化石が沢山発掘される)場所に設置されていたので各チームのメカニックやマネージャーが、化石を探しついでにここでエントラントの応援をしていた。マネージャーさん達も暑くて、みんなオフィシャルカーの影にいた。その中の1人、上西さんが「みんなには無いゆうて、断ったから内緒やで」と、残り少ないにもかかわらず水をくれた。2,3口飲ませてもらった。それだけでも全身にしみわたったのを感じた。 上西さんの水のおかげで、残り40kmを走れるくらいに復活した。上西さんによるとここから先は楽だとの事。コマ図と距離メーターを合わせ、CP−3を発つ。
CP−3以降はピストをトレースするルートになり、ナビゲーションも簡単で、路面も固くハイスピードコース。しかしスピードを出せなかった。気持ちは前へ前へとなっているが、メーターをみてもせいぜい60Km/h。それでもしんどくて気が付くと40Km/h位になっていた。たんたんと走るしかなかった。やがて前方にゾーモットの樹々が見えた。
ゴールしたのは、15:00。日没まで8時間もあり、普通であればゾーモットをたんのう出来るのだが、今日はヘルメットブーツを脱ぎ、木陰で横にならざるを得なかった。#26F650ダカール三ヶ尻さんや、#57KLX250河村さんに「“泉”で頭、身体を冷やせばサッパリしますよ。」と言われたが、動けなかった。少し寝ようとしたが、身体が興奮している為か寝付けなかった。遠くからフラットツインの乾いた排気音が聞こえてきた。 「馬場さんだ。馬場さんも帰って来た!」(正直馬場さんの事はこの時点まで忘れてました。スミマセン) 1時間くらい横になっていると、相変わらずダルイが歩けるくらいには体力も回復してきた。“泉”に行くと、昨日同様#44KTM小林さんがいた。ペットボトルに水を汲み頭から被った。サッパリはするがそれだけでは回復するはずもない。念の為、メディカルチェックを受けようとメディカルゲルに行くがモンゴル人ドクターはいなかった。モンゴル人の通訳にドクターをさがしてもらった。ドクターはラクダに乗り、はしゃいでいた。 モンゴル人通訳を介してのドクターとの会話で、「どうした?」「身体がダルイんです。脱水症状では?」
そういえば今日はレストコントロールがなかったので、朝食以降何も食べていなかった。RCPがなくても毎日ランチパックは配給される。ランチパックのパンを2つ食べた。するとまた体力が回復して来たのがわかった。(まさかお腹がへってただけ?) その後はしばらく応援メッセージの掲示板前でイスに座り、HPN田中隊長、#14DR350五百蔵さんと会話をしながら、身体を休める。HPN田中隊長でさえ「前半のサンドはBigOffにはつらかったね」との事。
21:00。この頃になると、おかげさまですっかり元気になり、馬場さん、#40DJEBEL上村さん(R80Basic乗り)と一緒に夕食をとる。馬場さんもかなりキツかったと思うが、そんなそぶりを全くみせず、楽しい雰囲気にしてくれる。タフで、明るくさすがは薩摩隼人。
夕食後、あの“菅原”さんと、会話する機会を得た。「どうGSは?大変でしょ」と話し掛けてくれ、そこからラリーの心構えや、経験など大変貴重な話を聞く事が出来た。その中でパンクの話になった。「パンクしたら、どんなに競っている状況でも、先ずタバコを1本吸う事にしてるんだよ。パンクってさあ、慣れちゃえばリカバリーにそんなに時間かかんないから、なおさら急ごうとして、つまんないミスするんだよ。工具おいてっちゃったりね。」 わかっているつもりだが、パリダカ最多出場の菅原さんの言うとおりのミスを翌日することになる。(もしかすると、菅原さんは私を見てコイツはミスしそうだなとわかったのか?)
この日、#53DJEBEL谷口さんがリタイヤした。ETAP−2の前半にフロントブレーキオイルラインを破損し、ここまでリアブレーキのみでがんばっていたが、その負担がミッションにかかったのか?途中ギアが入らなくなったそうだ。 ETAP−2のデューンで、谷口さんがいなければ、私は間違いなくゾーモットには来れなかった。共に星空を見た事がかなり前の出来事に思えた。
明日はゾーモットを離れ、今回のラリー最長600.72km。しかも川渡りも多い。ラリーも終盤にさしかかる。
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