ラリーレイドモンゴル2002参戦記
8月15日 ETAP−4 【奇蹟の大地ゾーモット】 {ここのところラリーレイドモンゴルの中継地としてつとに有名になったゾーモット、耳を澄ますと地下の水脈を 流れる水の音が聞こえる。この乾燥した大地に大木が宿りみずみずしい木陰をつくっているではないか。 このラリーに参加する目的のひとつは、この地までやってきたいという願望じゃないかと錯覚するほどだ。 神々が宿る、奇蹟の井戸ゾーモット。ここであなたは果たして、どんな夢をみるか。}
“ゾーモット” 今回も中間地点に設定され、このラリーで一番楽しみにしていた場所。ゾーモットにたどり着く、という事が、1つのモチベーションにもなっている。 8:00スタート。 2日目位までは、誰も見ていないのに、大地でするその行為が照れくさかったが、このころになると
その朝の恒例行事を終え、ビバークに戻ると、うしろから「オー、オー」と声がするので振り返る。自分も思わず、「オー、オー」と、もっと大きい声で叫んだ。そして人目もはばからず、声の主に抱きついた。その声の主は、ぬぁ〜んと、ETAP−2でミスコースし、パンクした時にエアーポンプを貸してくれた青年だった。お互い母国語で会話(?)。私は2日ぶりの再会なのに、本当に久しぶりに会ったような錯覚に陥った。文通したくなった(冗談です)。青年は、私の手を引き、こっちに来いと手振りをし、私に馬を見せてくれる。この馬に乗ってここまで来たようだ。自慢の馬らしく、得意顔。お互い名前を教えあう。私を“しゃつる”と呼んでくれる。(私の名は“さとる”) 彼は“ザフトゥ”(ゾフトとも聞こえる)。モンゴルに気の許せる友達ができた。(SSERさん、この友人に再び会えるよう、いつかまたラリーレイド・モンゴルやりましょう!)
なぜか今日のビバーク周辺はモンゴル人の見物人が多い。そんなさなか、ETAP−2でさんざん苦労させられたデューンの方角から、ロシア製2サイクル(日本でいえば、1960年代のバイクに似てます)に、3人乗りでモンゴル人がやってきた。みんな唖然とした。「なんであのバイクで走れるの?しかも3人乗りだよ!」
八尋さんから、大きいエアーポンプ(いわゆる、普通の空気入れです)を借り、シートにくくりつける。これで安心。しかも昨日リタイヤした人から予備としてチューブも借りる。これでパンク対策はOK。水を受け取るがキャメルバッグが壊れた為、Dパックにペットボトルのまま入れる。同じ1.5gでも背負うと、ズシリと重さを感じる。やっぱり、キャメルバッグは優れものなんだなと改めて思う。
ブリーフィングで山田徹さんから、「今日のビバークは、皆さんが楽しみにしているゾーモットです。今日はスタート順を逆にし、リザルトの遅い方からスタートします。皆さんが少しでも早くゾーモットに着いて、木陰で休めるようにしました。」と、発表があった。スタートは1分間隔の為、1位のガントルガと60番目の人では、1時間の差になる。ガントルガのことだから、60番目の人がスタートする頃は、すでに100km先を走行している事になるので、これはいい配慮だと思ったが・・・・。
さあ!ゾーモット目指しスタート。ちょうど、デューンから太陽が顔を出す。雄大だが、また暑くなりそうだ。 「なんで、そんな大事なもんを忘れるかね、ゾーモット行く資格ねーよ」と自分を責めたが、あとの祭り。
少しすると、いつもと違い遅い順スタートの為、後続車にバンバン、パスされはじめる。前半はハイスピードコースなので、その砂埃が、またすごい。しかも自分はメガネが無い為、セフティペース。
無事?いつもとおりの順位に落ち着き、いつもとおり幾つかの村を抜け、小さな川を渡り、走り続ける。
コマ図を送る。「ん、ん?」コマ図が動かない。すでに手動になっているマップケースのツマミを強引にまわす。ビリビリリィ「やっちまった。またかよ。」 コマ図の半分を破ってしまった。おそらく、ETAP−4のコマ図を巻く際、両端をビニールテープでマップケースのシャフトに貼るので、そのテープがよけいな所に付いたのだろう。走りながら、コマ図を修正しようとしたので、かえって訳がわからなくなっている。距離も今ひとつ自信を持てていない。止まって直そうか迷ったが「CP−1まで40kmこのままGPSだけでいいや。」
サンドで悪戦苦闘していると、バックミラーに4輪が見える。先にいたはずなので、ミスコースしてたのか?
そんなこんなで、いつもの事ながらドタバタでCP−1(157km地点)到着。背中のDパックから、ペットボトルを取り出し、水をガブ飲み。「いや〜水ってメチャクチャうまっいすね、河村さん」と、#57KLX250の河村さんに、声を思わずかけると、「そーすっね」と、いつもとおりのニコニコ顔。(どんな状況でも河村さんは、楽しそうにしてました)
コマ図を直し、スタート。相変わらずのサンド。「もう、砂はいいよ」 「青本さん、大変だなあ、俺もその気持ちよくわかるよ」 (とにかく集中しない男である)
そんな事を考えてるから、ミスコース。分岐を間違え、右に進んだ。すぐに気が付き、逆戻りする事なく50m先に見えるオンコースへショートカット。だが、「ガシッ」の音ともに前方に投げ出された(巴投げくらった感じです)。クレバスに前輪がハマった。冷や汗かく間もなかった。自分の体よりマシンが心配だが、息が詰まった感じで、呼吸がうまく出来ない。「ん、ん、ううっ、うぅぅぅ」 こういう時、なぜか口で呼吸するが、鼻でしたら、何ともなかった(アレッ?)。体は痛いが、問題ないレベル。深さ50cm、幅も50cm位のクレバス。この程度のクレバスで良かった。マシンも何ともなさそうだが、マシンをどうやって出すかが問題。長さが3メートル位のクレバスで、穴の底の土も固い、深さも50cm以上の所はない。クレバスの右端はだんだん浅くなっている。 「ラッキー、後輪も落として、右端から上がればいいや」 なんなくマシンを出す。
タンクローリーにブルーシートを結びタープとし、その影にほとんどの人が体を横にしている。ここのRCPでは2人に1.5gのペットボトル1本の割合いで配給があった。暑さへの配慮だが、それ位今日も暑い。 西遊記の天竺を目指す気分もこんなかもしれない。
RCPを発つ。目指すは130Km先のゾーモット。#34小林さんの話では、おそらく残り20kmくらいまでは、ハイスピードコースで、最後20kmは枯れ川だろうとの事。その言葉とおりしばらくはハイスピードコース。蜃気楼が見え、あそこがゾーモットか?と何度も錯覚する。いくら走っても近づかないので、蜃気楼とわかっていても、ついイラつく。残り20Kmになり、#34小林さんの言うとおり、枯れ川を走行。また苦手のサンド。
ここがゾーモット。しかもまだ17:00。日没まで5時間もある。木陰もある。幸せ気分。テントを設置、着替えをし、早速#44KTM小林さんと、清水の湧き出る場所へ行く。#71バトボルト、#72ラドナー(2人ともモンゴル人)がいた。水量はそれ程ではないが、こんな砂漠のド真ん中に水が湧き、ここだけ大木が宿り、みずみずしい雰囲気をつくっている。まさしく、神々が宿る、奇蹟の大地、奇蹟の井戸ゾーモット。きっと日本だったら、大観光地になり世間に俗され、台無しになるんだろう。
まだ日没まで、4時間ある。ETAP−4で丁度、ラリーが半分終了した事になる。メカニックのいないライダーのほとんどが、タイヤ交換をこの日にした。田中隊長、馬場さん、私のOHV3台並べて、タイヤ交換作業。古き良きOHV時代のパリダカBMWワークスの作業風景もこんな感じだったんだろうと、思いを馳せる。ラリーに欠かせないが、地味なシーン。それでもOHVのGSは絵になる。
夕食は21:00から。まだ1時間ある。木陰で熟睡してる人。整備してる人。ドクターに診断してもらってる人応援メッセージに目を通してる人。モンゴル人が売りに来た常温ビールを買ってる人。そのビールで既に出来あがった人。ラリー中のエピソードを輪になって座り、笑いながら話す連中。そんなエントラント達を見る事が出来て、そんなエントラントと会話が出来て、最高に楽しい。
そして日没と同時に、テントに入り、シュラフにもぐり込む。時計なんていらない。陽が暮れたら寝る。人間本来の生活。いい夢、見れそうだ。それではおやすみなさい。また明日・・・・。
SS順位 41位 |