ラリーレイドモンゴル2002参戦記

 

8月13日  ETAP−2(後半)

 RCPをスタート直後は、日本のすすき位の高さの枯れ草の中をCAP走行。方位を指示されても、何があるかわからない草の中にむやみに突入することも出来ず、迷路のようだ。そこを過ぎると今度は枯れ川。 今までは、渡るだけの枯れ川を、ここは、川に沿っての走行。ここの砂は日本の海の砂と同じで、砂漠特有の粒の小さなサラサラな物ではなかった。色で表現すると前者はグレー、後者はラクダ色。 コマ図は枯れ川を走れとは指示されていないが、CAPとおりに走行するとそこを走るしかない。少しの間、 日本のエンデューロコースを走行している気分になる。違うのは、この暑さ・・・(いけネッ、禁句だ)

 その後コマ図に従い薄いピストを走行。トップグループの轍があるからピストだと判るが、トップを走るガントルガは、一体どんなナビゲーションをしてるんだろうか?

 

  スロットルを戻さず、車体を右に傾けるだけで曲がる事のできる大きなRの右コーナー。出口付近に、突如現る苦手のフカフカのサンド。今現在の自分にはここを切り抜ける術は無く、ハンドルをとられ、なすがまま。ただ、この状況で唯一思うように出来た事がある。パリダカ最多出場の菅原さんから戴いた当たり前だが なかなか出来ないアドバイスの1つを実行できた。 「あのね、転倒だと思ったらバイク投げちゃいな。バイクとからむから、怪我すんだよな。バイクだって人間がぶつかるから、変なふうに転がって壊れちゃうんだよな」 これが昨日のビバークでの夕食後に、菅原さんからいただいたアドバイス。エラそうに書いているが、結局、 転倒。背中を打った。フカフカだから、体もバイクも異常ナシ。

 

  CP−2まで残り100Km程の区間はハイスピードのステージだったが、気持ちが乗っていかない。 どうやっても、気分を奮い立たせる事が出来ない。GSが決して抜かれてはいけないフラットなストレートで、 DR350,XR400に抵抗する事なく抜かれる。ユキさんにもパスされるが、気持ちが攻めに転じてくれない。 たった1度の、マシンも体にもダメージのない転倒が、精神的にはかなり影響していたのか?

  気分転換とノドの乾きを潤そうと、キャメルバッグから水を吸う。何も変わらない。どうすればいいんだ?度々スロットルをあおるが、気が付くとツーリングペースに戻っている。とにかく、もがく。

 

  CP−2(428km地点)へ到着。転倒からここまでは、コースは簡単な設定だったわりに、ようやくたどり着いた気分。#54XR400飯塚悟さんが居たが、お互い頭を下げるのみの挨拶。ペースが上がらないので休む訳にもいかず、CP−3目指す。

 この辺りに来ると、また緑も多くなり、暑さもひと段落。スタート順位と抜かれた台数から、現在40位前後。

今日のゴールまであと120km地点位にあるETAP−2最後の小さな村が、見える。最後のデューンを、明るいうちに通過したいので、ナビの難しい村でミスコースはしたくない。ここでコマ図の先送りと、GPSの方角を見て、おおよその見当をつけ、再スタート。のつもりが、 

 「あれ。・・・・ウソッ!」「冗談じゃねえよ!・・っんだよ!」 ひとりで叫ぶ。フロントがパンクしてる。ほんの少し前までは問題なかったのに、徐々にエアーがぬけていたのか?止まる寸前にリム打ちしたか?と考えていると、馬場さんが通りかかり、 「ここで作業すると、村の人たちに囲まれ大変だよ」と声をかけられるが、村を抜けるには距離がある、逆走は危険だ。(といいつつ、移動するのが面倒なので)馬場さんには先に行ってもらい、その場で作業開始。

 テールバッグを開け、チューブ、工具、ポンプを取り出したころにはもう子供が2人いた(こんなに早く、 どこから来たんだ)そして走って向かってくる村の人たちが、大勢見える。少し怖くなる。

  覚悟を決め作業を続ける。なるべく顔をあげない様にする。村人たちの足元だけ見ると30人位に囲まれている。ワイワイ、ガヤガヤ何を言っているのか全く理解できない。「ベームベー」モンゴルの村人の会話で唯一理解できた単語。(ちなみに“ベームベー”は“BMW”です) 作業中、2台のエントラントが通過した。 パンクはラリーに於いて、トラブルとはいえないのでチームのメンバーか、声を掛けられない限りは、そこに止まる事はまず無い。

 そのうちに、工具をいじったり、マシンに触れたりし始める。子供たちは見ているだけだが、手を出すのは大人。何とも表現する事のできない異様な雰囲気の中で、チューブの入れ替えが終わり、あとはエアーをと、ポンプを探すが見当たらない。「さっき出したつもりがテールバッグの中か?」「砂に埋まったか?」

 「オメーラ、盗みやがったな、、ポンプ返せよ!返せよ!」と日本語でわめく。当然、モンゴルの人たちに通じている訳はないが、GSを囲んでいた人の輪が大きくなる。ポンプで空気を入れるジェスチャーを しながら、「ポンプ、ポンプ?ポンプ、ポンプ?」と今度はすがる様な情けない(人には見せられない姿だったと思う)声で周囲の人に確認するが、反応ナシ。するとひとりの男が、モンゴル語とジェスチャーで 「俺のポンプを貸してやる」と言っている(理解するのに苦労した)。「イェース」となぜか英語で答えた。(英語も全く通じませんが、身振り手振りの時に発する言葉はなぜか英語でした)

 その男がついて来いと言うので少し離れた路地裏にいく。子供たちもついてきたが、男が何かを言うと戻った。ヤバイ気がしたので、ポケットに6徳ナイフ、手にはタイヤレバーを握っていた。(いざとなったらと本当に覚悟した) 男は家の中からポンプを持ってきた。「なんだ親切な人じゃん」とホッとした。そして男が地面に“5000”と書いた。「何?」「・・て事はテメエが盗んだんじゃねえのか」また怒る。 「ポンプ貸すから、5000トゥルグよこせ」といっている。「ノーッ!」と大きく手を横に振る。 「だったら、貸さない」「ちくしょー」と言いながら、地面に“2000”と書き、情けないが価格交渉する。 すると男は地面の“2000”を丸で囲んだ。あっけなく交渉成立。(2000トゥルグ=200円)

 やっとの思いで作業を終えた。でも自分のポンプは出てこない。ポンプを取り上げようと思ったが、後から来るエントラントに迷惑がかかるといけないので、次にパンクしたら・・と不安になりながら再スタート。

 

  時計を見ると、約1時間のタイムロス。まあ1時間ならいいか。再スタート直後にXRにパスされた。しばらくポンプの件を引きずっていた。

 「あとから来る誰かにポンプ借りればよかったんだ」「いけね、ポンプなくても、ボンベ持ってたんだ」

  そんなことを考えながら、30、40Km位進んだだろうか。コマ図では分岐はないが、目の前のピストには分岐がある。GPSを確認(微妙だった)し、左へ進む。ただ、左のピストは細く、メインピストとは思えない。コマ図は2km先に“!マーク”が記されている。ピストはだんだん細くなり、バイク1台分の太さになる。 とりあえず、2km進んで危険箇所がなければ引き返せばいい。ところが偶然そこに枯れ川があった。GPS は微妙な方向を指し、何ともいえない。バイクらしき轍もある。(疑心暗鬼のまま、どんどんはまっていく)

  つぎのコマ図は20km先、ピストの交差を示している。またまたとりあえず(中途半端な判断が命取り)、そこまで行く事にする。途中、コマ図に記されてもおかしくない“!マーク”級の枯れ川があったにもかかわらず進む。だんだんガレてくるが、轍はある。20km進んだがピストの交差がない。やっとここで気が付く。4輪も同じコースなので、バイク1台分の太さを走れるわけがなく、ミスコース。

  その時、ガツン、ガツンと2度フロントタイヤが岩にヒットした。「アッ!」 ハンドルがとられるのを必死におさえ、ストップ。目の前が真っ暗になるのをこの時、初めて体験した。再スタートして1時間ちょっとで、またパンク。おもいっきり落ち込んだ。

 

  時刻は17:30。この日ゴールまであと60Km位だろうか。気分を落ち着かせようとしたが、冷静になればなる程、今の状況が怖くなる。ミスコースしているという事は後続車が来る可能性は低い。という事はエアーポンプを借りる事ができない。という事はリタイヤ。・・・冗談じゃない、まだ2日目だ。

  R100GSには充実した工具(今回車載工具以外に準備した工具はタイヤレバー2本、ニッパー1ヶのみ)とともにエアーボンベが3つ車載されている。早速、作業開始。これで3度目のパンクの為、新品チューブはない。パッチを貼り、タイヤ、リムに組み込む。3度目となれば、作業もスムース。チューブの口金に ボンベのノズルを取り付け・・・・ポキッ???!!

 「う〜そっ。なんでだよ! もいいよ、ラリーなんかどうでもよ」 (メチャクチャふて腐れる)

 「なんで俺ばっか、こんなめにあうんだよ」 (ダダをこねる)

 「あきらめるな、冷静になれば切り抜けられる」 (一生懸命自分自身を励ます)

  純正ボンベのノズルはプラスチック。GSを購入して10年目にして初めて取り出した。プラスチックが劣化してもおかしくはない。事前にチェックしていなかった自分のミス。ビニールテープをはり、プラスチックパテで固定し、1ヶ目のボンベを試すが、エアーが漏れ、失敗。2本目もダメ。もう開き直るしかない。

 「リムのみで、オンコースまで行ってポンプを後続車に借りるか?そんな事してリムを傷めれば、あと6日間はどうなる?タイヤに草を詰めて・・・無理だ」。いい案はないか?

 

 細いピストの先にはゲルが小さくみえ、バイクの轍もそちらに続いている。この轍はゲルの住人だった。

「パタタタタ、パタタタタ」自分が来た方向から音が近づいて来る。モンゴル人の青年がロシア製2サイクルバイクに大きな荷物を積んでやってくる。ニコニコして近づいてきた。GSと私の様子を見て、すぐに状況を把握したようで、エアーポンプをバイクから降ろしてきた。大感激(本当に涙が出た)。ポンプを借りる。

  先程の犯人(私はそう思っている)から借りたポンプも、この青年のポンプもホースの先に口金(ノズル)がついていないただのゴム管。よってムシをはずし空気をいれ、ホースをはずした瞬間にムシを取り付けなけ れば、せっかく入れた空気がもれてしまう。私はそれが、上手く出来ずにさっきも犯人にやってもらい、今回も青年にやってもらう。情けない。(ということは“2000トゥルグ”は取られたんじゃなく、工賃か?)

しかもビード出しに苦戦(言い訳します。GSは元々、チューブレスの為、難しい)していると、青年がタイヤレバー1本で簡単にビードを掻き出す。恐るべし、モンゴリアン。

  どう感謝の気持ちを表したらいいのかわからず、非常食にと馬場さんからもらった鹿児島名物の“ボタン飴”を1箱渡す。その場で1粒口にした青年の“美味い”というジェスチャーは笑えた。すると青年は缶の中から干し草をこまかくしたものを出し、新聞紙を小さく切ってそれを巻き、火を点け、吸えと手振りをする。 5年ぶりに口にする煙草にしては強烈すぎ、渋い顔をすると大笑いされた。2時間半もここにいて、やっとこの時、今いる場所の景色の雄大さに気がついた。「モンゴルに来て良かった。」心底そう思った。

 

  時刻20:00、日没までおよそ2時間。先ずはオンコースへ戻らなければならない。GPSをみると、それ程違う方向を指しているわけではないのでオンコースまでの距離はあまり無いと判断する。というよりも、間違って走ってきたコースを戻るのが1番安全だが、どうしてもそういう気になれない。青年もショートカットしてオンコースに戻れると地面に地図を書いてくれるが、その絵は理解できない。でも理解したふりをして固い握手をし別れる。

 

  GPS走行はうまくいけば、コースを大幅にカットでき、タイムロスを取り戻せるが、その分リスクを伴う。

(実際にオンコースからはずれ、クレバスや穴でマシンを壊したり、怪我をしてリタイヤした人も多く、今回、大きな事故も起きました。心よりご冥福をお祈りします)

  慎重に、ゆっくり、前を確認しながら、やっとの思いでオンコースらしきピストに戻れた。が確信は出来ない。あとは、距離メーターを修正するのに明確な目標物があればOK。少し走ると、小さな川が流れている。今ラリー最初の川渡りをして、ここで距離メーターを合わせ、オンコースという確信を得る。

 

 「きっと、最下位だろうな」と思いながら、先を急ぐ。相当長い時間、日本人に会っていない気がしてきた。 4時間くらい日本人を見ていない。たった4時間だが、これだけの間、日本人に会わないなんて日常生活では考えられない。それに日も傾きはじめ、切なくなってくる。でもこんな気分もモンゴルに来たからこそ経験できるのだ。ピストは砂が多くなりデューンが近いことを知らせる。かなり砂が深くなり、真っすぐ走るのが 難しくなり、何度も転倒しそうになるが、200kg超のGSを倒せば、それを起こすのにとてつもなく体力を消耗するので、必死でこらえながら進んでいると、前方に馬場さんが見える。フカフカのサンドで転倒した直後の様だ。エラく久しぶりに感じた日本語での会話がバカミーズの馬場さんだった事がすごく嬉しかった。 (しかもモンゴル経験者の馬場さんとここで合流したことは、この後のデューン越えに於いて、心強かったし助かりました)

 

 今朝8:00のスタートが遠い昔のように感じながら、やっとCP−3(552km地点)到着。 最後方かと思いながら、走行していたが、まだまだ、うしろにいる様だ。ノドがかなり乾いていたがデューンの事を考えると潤す程度しか飲めない。残り500cc位。(ETAP−2のみ2g、他は1.5gの配給)

 馬場さんの提案で少しここで休憩することにする。ここまでお互いかなりの体力を消耗している。馬場さんもここまでミスコース、転倒いろいろあったそうだ。そこへ#25TTレイド後藤さんが全く違う方向からやって来る。ミスコースし、かなりの余計な距離を走ってきたそうで、ガソリンぎりぎりでここにたどり着いた。馬場さんと私のタンクからガソリンをわけた。今度は#52DJEBEL250谷口さんがトラブルをかかえながらも到着。 谷口さんは転倒で不幸にもフロントブレーキのオイルラインを破損し、リアブレーキのみで走行している。それでも、笑ってその事を話している。自分がこのラリーで1番苦労している気分になっていた事が恥ずかしい。

 

  4人でデューンへ出発しようとした時、ヘリが飛んでくる。オフィシャルの無線のやりとりが聞こえてきた。 「#24八尋さん、収容完了」、耳を疑った。デューンから落ちて怪我をしたとオフィシャルから聞くが、怪我の程度、リタイヤなのかは判らないとの事。「それよりも早く行かないと日が暮れますよ」と言われた。

 

  日が暮れかかってかかっていたが、あと1時間は大丈夫だろう。残り20km。CP−3からビバークまではコマ図での指示はなく、CAP走行。4人でデューンへ突入。なるべく、アップダウンのないところや、デューンとデューンの谷間を探しての走行。だが、それではスピードに乗せられないので、スタックの嵐。腕あがり。 同時に息もあがる。しかも方向がわからなくなり、ストレスもたまる。

  「せっかく砂漠へ来たんだ。ここでしか経験できない事をしなければ悔いが残る」

しかもここで、S.ペテランセルがデューンを疾走する姿をイメージしてしまった。よせばいいのに2m程の高さのデューンに、スピードをのせ果敢にアタック。やっぱり現実は厳しい。あえなくスピードが落ち、スタック。 仕方なくバイクを倒し、下にひきずりおろす。結局、ここは迂回し、傾斜の緩いデューンで再アタック。それでも頂上の寸前でストップ。でもここは、スタックしてよかった。頂上から先は絶壁。しかもこちらからは高さのない デューンに見えるが、頂上からの絶壁の高さ(深さ)は倍くらいある。恐ろしい。ここでのスタックはマシンを倒せない程深く埋まった。マシンを掘り出そうと砂を掻くが、アリ地獄の様に掘っても、掘っても砂が崩れて穴が埋まる。1人では脱出不可能。3人に手伝ってもらう。ここで馬場さんに穴の掘り方を伝授してもらう。 (その方法は言葉で説明できないので省きます。アシカラズ)

 

  苦しんでる割にはまだ3kmしか進んでいない(絶句)。周りには、スタックの跡や、もがいている轍がたくさんある。

 馬場さんが、比較的走りやすいラインを見つけ、そのラインに向かう。後藤さん、谷口さん、私はそこにたどりつくまでが大変なルートにいる。馬場さんはそのラインでどんどん先に行き、みえなくなる。走りやすいといってもBigOff系はパワーバンドを維持し、スピードも保たなければならない。よってカルいのよりもかなりスピードが出る事になるし、一度止まるとまた、大変な思いをするので止まりたくない。なので、馬場さんが先に行ってしまうのは大いに理解できる。残った3人で悪戦苦闘する。そのラインまであと少しのところに小さなデューンがあるが、たいしたことはないとスロットルをあけ、駆け上がる・・・「しまった!」。フアッと 浮いた感じがした瞬間、「グァシャン」。音と共に投げ出された。フカフカのサンドの為。体は何ともないし マシンも問題なし。谷口さんは頂上でうまく止まれた様で上から声をかけてくれる。後藤さんは落下したGS をみてストップした為、登りの途中でスタック。とりあえず、GSはデューンを越えた(落下した)ので、後藤さんのTTレイドをあげなければならない。ただ、このショックなのか、気力も体力もいっぱい、いっぱい。水も飲みほしている。今、落ちたデューンを登るが、それこそあり地獄の様で、砂が崩れて登れない。

  やっとの思いで、TTレイドの側に行くが男3人でも動かす事が出来ない。自分だけでなく、谷口さん、後藤さんも、完全にイッてしまってる。ここで太陽が砂漠に沈むのを見る事になる。感動する余裕は全くない。

  菅原さんのパイロットが自分たちが行こうとするラインを走行している。菅原さんでさえ、まだ走っている。その後、暗くなり車種はわからないが、10台位のヘッドライトがそのラインを往く。

 3人のうちで、谷口さんだけが水を残しており、それを3人で分ける。谷口さんの、

「こうなったら、少し寝て体力回復させよう。これ以上無駄に体力を使わないほうがいい。」 という意見に同調し、寝る事にする。非常食用のカロリーメイトを一袋食べ、砂漠に横たわる。時刻22:30。

  おあむけになると、満天の星空が目に飛び込む。「おぉっ!」3人とも声をあげる。すごすぎる。贅沢すぎる。こんな星空見たことがない。気持ちいい。(この素晴らしさを私の能力では、表現できません)

 

 はっと目が覚める。朝まで寝てしまった気がして、時計をみると30分が過ぎている。たった30分だが、体力、気力ともに復活。(大自然から英気をもらったということか?)3人で行動開始。TTレイドを一度、下に戻し、再アタック。頂上から、3人でTTレイド、DJEBELを順に降ろし、ついに待望のラインへ。

  今まで走行していた場所とくらべると天と地の違いだ。そうはいっても、かなりハード。GSのライトだけをたよりに、少し高いところになると前方にビバークの明かりがないか確認しながら、GPSの指示する方向に突き進む。それでも不安。正確な距離はとうに全く判らなくなっている。

  スピードを殺すと、スタックしそうなので、スロットルをあける。すると250ccと1000ccの違いで差がどうしても開いてしまう。後藤さん、谷口さんがいなければ、ここまでこれなかった事を思うと先に行く訳にはいかない。途中何度か止まり、2人を待つ。後藤さんが、

 「先に行ってください。ここまでくれば大丈夫。GSのペースで行ってください。そうじゃないとスタックしますよ。もうGSを起したくないですから。ハハハッ」と言ってくれたので、言葉に甘えさせてもらう。バックミラーに2つのライトが見えなくなると、それはそれで不安が襲っくる。このコースであっているのか?もしスタック したら?(こんな時、どの様にプラス志向に気持ちを切り替えるのでしょうか?)

 

 しばらくすると、真っ暗の前方に明かりが、チラチラッと見え隠れする。そのうちにはっきりと見えるようになると、本当に嬉しなる。心の底から、声が出た。「ビバークだ。生き残った。ざまーみろ!」

 ビバークのゲートをくぐると、拍手でみんなが迎えてくれた。馬場さんと抱きあう。馬場さんが 「鵜澤さん、先に行ってゴメン。」としきりに謝るので、気にしていない旨をつたえていると、又拍手が起こる。谷口さん、後藤さんがゴールした。3人で固い握手。時刻24:50。

  それにしても、みんなの拍手が嬉しく、感動した。まだ2日目ということは、競技中だ。競技中にこれだけお互いを助け合い、励ましあい、讃え合えるスポーツが他にあるだろうか?

 

  馬場さんは食事をせずに待っていてくれ、2人で食事。そこへユキさんが声をかけてくれる。ユキさんは、薄暗くなった頃にビバークへ着いたとの事。(恐るべし) 田中隊長はすでにテントの中だが、馬場さんと私のテントを設営してくれた。とユキさんから聞いた。(感謝)

  すでに2時をまわっていたので、顔も洗わず、歯も磨かず、テントに入る。明日は310kmのループコース。距離も短いので全くマシンのメンテをしなくても大丈夫だろうと判断。 (この時は八尋さんの状況はわかりませんでした)

 

とにかく体を休めたかったので、壮絶な1日の余韻に浸ることなく、就寝。

 

 SS順位 55位

 総合リザルト 47位(65台中)

 リタイヤ 14台

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