ラリーレイドモンゴル2002参戦記

 

8月12日  ETAP−1

   朝、7時にバカミーズ5人揃って食事。5人とも気負うことなくリラックスムード。

モンゴル到着から、この朝食まで4回バカミーズで食事をするが、必ず田中隊長が メンバーに声をかけ、全員での食事だった。盛り上げ役は、馬場さん。ラリー初日、2日目ではなく、ETAP−1,2という呼び方も、気分を昂揚させる。

 

9:00〜スタート   30秒間隔ゼッケン順

先ずは19.94Km舗装路リエゾン。昨日のプロローグのコースだったので問題なく、SSスタート地点へ到着。

今回実を言うと、ナビゲーションには自信があった。初めてのモンゴルで、全く根拠がないのに一体この自信は、どこから湧いてくるのか?(だから、素人は手におえない)

 

10:00〜SSスタート 1分間隔ゼッケン順

#25だが、24番目のスタート。(プロローグのダートで穴に突っ込みクラッシュし、骨折リタイヤが1名)

パリダカ創始者、故ティエリー・サビーヌの

  “望むなら、連れて行こう。ただし、冒険の扉を開くのは君だ”

という言葉が頭に浮かんだ。 冒険の扉を開く時が、近づく。スタートをカウントダウンする山田徹さんに、

「これ、落ちるよ」

と、シートにくくりつけたリアバッグを指摘されたが、自分としては、入念に平ゴム3本で固定しているので大丈夫と気にしなかった。(しかし・・・)

   ついにスタート。バカミーズのメンバーの中では最後尾スタート。 スタート直後の1Km地点の!マーク(コーションマーク)のカレ川(雨季は川になる)を渡ると30.40Km地点 まで、傾斜のゆるやかな小高い丘を越えてゆく。

その後、ピストはガレてくる。70Km地点にある祈祷所付近のガレた上りで、#1菅原さんのパイロットをパス。(この時、早々とパンクしタイヤ交換直後だったらしい)そこを過ぎると、前方にバカミーズの馬場さんが見えた。しばらく、馬場さんとの距離を100m位に保ち、走行する。やがて右に進路をとる地点になるが、馬場さんは直進してしまった。(日本の道と違い、右折ではなく、この辺にきたら、コマ図に指示されるCAP{方位}に進み、少し走るとコマ図どおりのピストになるといった感覚です。たまにピストが、はっきりと交差している場合もあり)

 

   馬場さんと別れてから(?)ついに地平線まで続く大草原。

遥か遠くに砂煙が2つ上がっている。ガレ場でパスされたXR400と600だろうか?

コマ図を先送りし、コーションマークがないかチェックし、スロットルオープン。スピードを100Km〜120Kmに保つ。そのうちに砂煙が見えなくなり(エッ、差が開いてる!?)後ろを見ても誰もいない。

前後左右、見えるものは、大草原と青空のみだ。感動しているとバタバタ、バタバタと音がするので誰かに追いつかれたかと思ったが、低空飛行でヘリが、やってきた。しばらくGSとヘリが並走する。頭にパリダカの映像が浮かぶ。砂漠を疾走するS.ペテランセルを上空を並走するヘリから撮影するあのシーンと同じだ。 (注;私にとってパリダカのヒーローはS.ペテランセルです。ラリーレイドに興味を持ち始めた頃にS.ペテランセルが台頭してきて、その後の強さに惹かれました。G.ライエはDR−Zでした。GSな方々スミマセン)

それにしても、こんなに集中してなくて、いいんだろうか?

  

   小さな村の丘の上のCP−1〈143km地点〉に到着する。オフィシャル以外誰もいない。CPといってもSSの途中だから当り前だ。そこで小便をし、さあ行くかという時に、ユキさんと、#26F650ダカールの三ヶ尻さんが到着。手前20Km位にテールバッグが落ちていたとの事。「エッ!まさか?やっちまった俺のだ」とは思ったが、この時はショックも受けなかった。「コース逆走する訳にもいかないし、中身はFチューブ、タイヤレバー以外は、なくても問題ないし、タイヤ交換は、どうせビバークでやるんだし借りればいいや」位にしか思わなかった。 まさか自分がパンクするなんて、微塵も考えもしなかった。(やっぱり、素人は怖い)そして、RCP(給油&休憩)目指し再スタート。

   途中、水溜り(雨季には池)があったが、浅そうな所を選んで渡り、問題なし。(場所によってはかなり深く、水没した人あり) RCP手前の村に差しかかる。前日の総合ブリーフィングで、村や町でのナビゲーションのコツの説明がある位、そこでのナビは迷いやすい。コマ図を中心にナビをしていたら、どこを走行しているのか、わからなくなったので、そこでは、コマ図を無視し、GPSの指す方向と子供たちにおしえてもらうことで通過した。(ラリー中、幾度もの村や町を通ったが、1度もこの方法で迷う事はなかったが、あくまで素人のやりかたです)

  そこの村で、前を走行していたXRとDRが、違う方向にいってしまった。ライディングテクニックで、勝ることができないので、こういう時に順位をあげる。CP−1で先行していたユキさんも、あらぬ方向から戻ってきた。村を過ぎ、5Km程でRCP(277km地点)到着。1時間の休憩、先ず給油。

田中隊長から、

「鵜澤さん、早いじゃん」

と声をかけられ(このときのハヤイは“速い”ではない)、周りを見ると、15番目位の到着だった。 ランチパックを食べていたら、山田徹さんが、落としたテールバッグをもってきてくれた。途中オフィシャルが 拾ってくれたそうだ。

「言ったとおりでしょ、次はわかってても拾わないよ」

 と笑われた。落とした事をあまり気にしていなかったくせに、拾われた事にエラく、感激した。

「ツキがある。これなら完走できる」と、思った。(単純で、浅はかなヤツです)

  バカミーズ全員が到着。ミスコースはあったものの、各人大きなトラブルなく一安心。 テールバッグを布テープで固定し、RCPを後にする。ここから、CP−2までは、途中の村でのミスコースさえ気を付ければ問題のない、ハイスピードコース。競技だという事を忘れ、景色を堪能していまい、スロットルを緩めてしまう事があり、フッと我にかえり、また気合いを入れなおすということが度々あった。

 

   まもなく、CP−2(439km地点)到着。やはり、オフィシャル以外誰もいない。条件反射か?また小便タイム。 その間、ユキさん通過。次にツールド・ニッポンでも大活躍、#39F650ダカールの尾崎さんが到着。 CP−2手前数Kmで転倒し、ラジエターを破損したそうだ。(残念ながら、翌日、スタート出来ず) そこを出発しようとした時に、八尋さんが到着。お互い、手をあげ、無事を確認。この時の時刻19:00。 暗くなるまであと2、3時間。ミスコースさえしなければ、日没まえにビバークに着くだろう。

   残り50Km地点に、田中隊長のHPNがリアホイールをはずしてとまっていた。2度目のパンクだそうだ。 しかも5寸位のクギが刺さっていた。

「何でこんな草原の中にクギが落ちているのか、しかもそれを拾ってしまうなんて」

田中隊長は少しだけガックリしていた。水が欲しいとの事だったので、水を半分渡し、先を急い だ。そして残り30Km地点に、GSの永遠のライバルアフリカツインの#8菊池さんがとまっていた。

「CDIが逝ってしまった。残念ながら、ここで終わりです。デカいのは大変だけど頑張って下さい」

と、逆に励まされた。隣席だった飛行機の中での、菊池さんとの会話が頭に浮かんだ。

 

   ETAP−1のゴールがあと10mのところで、フロントがパンク。当然、そのまま惰性でゴールのつもりが、予想以上にハンドルをとられ、転倒。軽量オフ車であれば、フロントのパンクは、無理すれば進めない事も ないが、GSはそれができない。相当にフロント荷重なのか?ヘタなのか?

  なにはともあれ、明るいうちにゴール。ビバークの地名はマンダルゴビ(ゴビ砂漠の入り口という意味らしい。参加者から聞いた話なので定かではない。ひねりのない地名です)もう、あしたはゴビ砂漠。

初日としては、まずまずのすべり出しで、気持ち良く走れ、爽快な気分。ビバークで沈む夕陽を見ながら、モンゴル最高!なんて思った。(そんな気分も順位も、この日だけになるとは・・・)

  バカミーズ全員が無事ビバーク到着。馬場さんも、途中パンクし、この日、メンバー5人中3人がパンクした。

GPSの電源をシガーソケットを使い、バッテリーからとっていたが、シガープラグが早くも振動で破損し、電源を乾電池からとし、チューブ交換、エアークリーナーの掃除をして、就寝。(何気なく、エアークリーナーと書いていますが、バカミーズのOHV系の4人で仕入れた、今回唯一おごったスペシャルパーツ。OHV時代のBMWワークスが使用していた物と同じ。現在HPNで販売。どんなに細かい砂粒も通さない、スグレ物。ちょっと自慢です)

 

  SS順位 26位(9時間24分41秒)

  総合リザルト 26位(79台中)

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