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イタリア紀行
片岡護の アーリオ・オーリオ
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終わりに
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アンサンブル・アメデオ 第14回定期演奏会 パンフレットより
Ensemble Amedeo The 14th Regular Concert
後援 イタリア文化会館(イタリア大使館 文化部)
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1998年1月24日(土)
於:かつしかシンフォニーヒルズ
"モーツアルトホール"
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1992年夏、ローマの太陽の下、、、
1992年の8月、人々の目はバルセロナで開催されていたオリンピックに集まっていた。その頃僕はヨーロッパを旅行中で、前後の予定の関係で空いてしまった10日間ほどをかけてローマで一人でのんびりと観光を楽しんでいた。そしてその中の企画の一つがレスピーギの『ローマ3部作』に登場する各所をまわるというものだった。
今日演奏される『ローマの松』で言えばボルゲーゼ公園、カタコンベ付近、ジャニコロ公園、そしてアッピア(旧)街道の各所と言う事になる。ただ問題なのは、2つの公園に関してはバスに乗って現地に到着したら、あとはベンチや芝に座って飽きるまで鳥の声(日本ではあまり聞き慣れないが、ヨーロッパでは本当にこの曲の様に鳥が鳴いているのだ)を聞いたり、屋台のアイスを買ってきて食べれば目的は達成するし、カタコンベとても一箇所のスポットに集中しているに過ぎない(ただ実際にはカタコンベはアッピア旧街道の一部に沿ってあるので『カタコンベ付近の松』と『アッピア街道の松』は一部重複している事になる)。ところがこの曲の壮大なクライマックスを形作っているアッピア街道を行進するとなると、これはもはや観光というより修行であった。それは『古代ローマ軍の凱旋』というよりはむしろ『聖フランチェスコ会修道士の鞭打ち行脚』と言った方が正しいかもしれない(?)
じりじりと照りつけるローマの午後の太陽の下、無謀にもローマ時代そのまま(?)の革のサンダルに半ズボンという出で立ちでバスの終点に降り立った僕は、取り敢えず疲れるまではというつもりでアッピア旧街道を郊外に向けて(これではローマへの凱旋と言うよりは敗走になってしまうが)歩きだした。勿論頭の中にはこの曲が(時々『ローマの松』の他の楽章や『噴水』や『祭』に行ったり来たりしながら)流れている。
3km位は歩いただろうか、汗だくになり足も痛くなり始めたところで郊外を走る車通りの多い環状線(出発点からここまでの間は荒涼とした風景の未舗装道で自動車も希なのだが)に出た。もう一度来た道を引き返す気になれなかったのでここから別のバスに乗って地下鉄の駅まで帰ることにしたのだが、それ以来この旅行中ずっと『ローマ3部作』は頭の中で鳴り続けていた。
その後ローマからオリンピック直後のバルセロナへと飛び、念願のガウディ建築を目にすることができた僕は、帰国後結果的に拙作『アントニオ・ガウディの建築』を作曲する事ができたのだが、実は一方でこの曲にはからずも影響を与えてしまったのは古代都市、ローマの景観でもあったのである。
(筆者は指揮者・作曲家、現在イタリア在住)
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