善意の自然保護活動がもたらす新たな自然破壊

岐阜大学農学部多様性生物学講座助教授 川窪伸光

1.はじめに
2.自然保護活動の特性
3.自然保護活動の行事企画の問題点
4.特定生物種の保護を掲げた活動に関する問題点
5.自然環境回復における生物学的問題点
6.おわりに


1.はじめに
 いま私達人類は,より快適な生活環境を求め続けてきた結果として,自らの存続に不安を覚えるような環境問題に直面している.化石燃料の消費に起因する大気中の二酸化炭素濃度上昇から予想される地球温暖化,フロンガスの大量使用に起因すると考えられているオゾン層の破壊,自然の回復力を無視して行なわれてきた伐採で減少しつつある熱帯林の問題など,私達は地球的規模の環境変化を認識し,その問題の重要性を認識するに至っている.

 このような背景のもと,日本では多くの公害問題をきっかけとした市民レベルでの自然保護・環境保全活動(以降,「自然保護活動」と略す)が1970年前後から活発化し,現在では全国各地で固有に自然保護を目的とした市民団体が無数に生じ,いくつかの全国的規模の自然保護団体も成立するようになった.また民間レベルでの問題意識のたかまりと並行して,国政レベルでも環境問題が世界共通の地球規模の問題であることを認識し,環境問題へ取り組みはじめ,問題解決のための行政上の整備を進めている.

 しかし,自然保護活動の高まりとはうらはらに,素朴な気持ちではじめた身近な自然保護活動が、無意識のうちに自然破壊を促進してしまう。実はそんな可能性が普通にある。この講義で私は,市民レベルでの自然保護活動はじめ各種の環境保全活動の現状を検討しつつ,自然保護活動全般に潜んでいる問題点の解析を試みる.


2.自然保護活動の特性

 地域社会での自然保護活動団体は,大きく分けると異なる2つの型の団体と見ることができる.ひとつは,従来から自然保護とは別の目的で成立している地域社会の青少年団体,PTA,町内会等であり,もう一つは自然保護や自然回復を目的として人々が集っている地域の有志活動グループ等の団体である.この2つの団体の特性を理解することで,自然保護の実践・充実における留意点が明かになると考えられる.

2-1.青少年団体,PTA,町内会等の自然保護活動

 まず,自然保護や自然回復を目的として成立した団体でない場合を検討しよう.つまり地域社会の青少年団体,PTA等の社会教育関係団体をはじめ,町内会等の住民自治団体等が,何らかの自然保護・回復活動(自然保護活動)を行なう場合である.これら地域社会の団体は,多様な思想信条をもった地域の人々が集い,本来は自然保護とは別の活動をしている場である.したがってその団体は,参加者の考え方は様々でも,少なくともある特定の自然を保護もしくは回復させることにおいて共通理解がある場合のみに,その自然保護活動を行なうと考えることができる.

 しかし実際には,これらの団体で,具体的な自然保護活動が行なわれることはあまり多くない.なぜなら,これらの団体は地域社会の生活に深く根ざしたものであり,ある特定の参加者(団体構成員)の生活を脅かすことはしない高度な自律的機能を備えた団体であると考えられるからである.

 例えば,ある河川の貴重生物の保護のためには,上流の汚染排水の浄化が不可欠な場合を考えてみよう.その汚染排水を流す工場が少数でない地域住民の職場であれば,この貴重生物の保護はこの地域住民の活動に馴染みにくいと一般に考えられる.実際,地域社会の青少年団体,PTA等の社会教育関係団体をはじめ,町内会等の住民自治団体等が行なう環境に関する運動や活動は,地域清掃,空き缶回収,古紙回収等の美化・リサイクル活動などに限られる傾向にある.つまり,ある特定の参加者の生活を脅かす可能性が少ないことが,これらの団体の活動の種類を決める一つの因子だからであろう.

 また,もし具体的な自然保護活動をこれらの住民団体が行なう場合でも,上記に述べた団体の特性上,おのずと,環境問題の根本的原因を検討しなくてすむ表面的な活動に陥りやすい.例えば,かつては身近な自然に普通に見かけることができ,現在では稀となってしまった特定生物A種を保護し,自然界に取り戻そうという活動が行なわれる場合がある.しかしその場合,そのA種を減少させた原因の解明は行なわれにくい.これは原因解明の科学的困難とは別に,原因解明という作業が,参加者(団体構成員)の生活を検討する作業に近づき,団体の性格上,非常に難しくなっていくからであろう.したがって,そのA種を減少させた原因の解明よりは,A種の飼育・回復に関する活動が主体となる傾向がみられる.環境問題の解決のためには,本来,原因の解析が不可欠であることからすれば,このような活動は理想的な状態にあるとは言えないであろう.

2-2.有志グループ等の自然保護活動

 近年,市民の有志グループ等による自然保護活動が非常に盛んに行なわれるようになった.その活動のきっかけは日々の生活に根ざした身近な環境に関する疑問や危機感から生じており,参加者は同じ問題意識を比較的強く抱いた人々によって構成されている(当然,参加者の思想信条は多様である).これらの自然保護活動のために生じた有志グループは,前述の地域社会の青少年団体,PTA,町内会等に比較すると,一般に活動は活発で,また活動内容もグループによって様々に異なっている.飲料水の水質維持の問題や特定生物種の保護の問題から,原子力利用に関する問題まで,対象とする環境問題は非常に多岐にわたっている.したがって一般に活動対象となる環境問題の原因に対する意識は非常に高く,問題解決への活動はより実践的で,各活動は効果や成果をあらかじめ予想して企画されている場合が多い.

 しかし,企画者の意志は,企画した自然保護活動の参加者達には充分には理解されているとは限らず,有志グループの活動には,前述の地域社会による活動とはまた違った側面で問題性を含んでいる。特に,社会的理解を度外視した過激な活動に訴えるグループがあるとき,他の善意のグループの活動は,著しく阻害される可能性がある。つまり,一部の有志の活動が「自然保護活動アレルギー」を社会に根付かせてしまうい,自然保護の善意は台無しになる。

 私たちが,自然保護活動に関わるとき,これらの有志グループの自然保護活動の特性と,前述の地域社会の活動の間の差異を理解しつつ,いかの問題点について意識しなければならない。以下に善意の有志グループが自然保護活動を実践する場合の問題点を詳細に検討する。

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3.自然保護活動の行事企画の問題点

 先にも述べたように有志グループの自然保護活動のきっかけは,日々の生活に根ざした身近な環境に関する素朴な疑問や危機感から生じており,参加者は同じ環境問題に対する意識を比較的強く抱いた人々のみによって構成されている.しかし,実際に社会で多様な価値観を持った人々が協力して何らかの活動を行なおうとしたとき,活動内容は,多くの人々が参加でき,その参加に充実感が得られ,また活動宣伝上目立つように,短期的に成果が容易に目に見えるものに偏りやすい.つまり1日や2日で解決できる環境問題は存在しないのに,行事(イベント)企画では1日中(もしくは数時間中)に何らかの目に見える成果が期待されてしまう側面がある.

 実際にはその有志グループが行事を企画する上で,長時間におよぶ議論のなか,対象とする環境問題の根本的原因の解析や,その問題解決についての考え方が検討されてきたはずである.しかし,普段はその有志グループに属していないで,その企画された1日か2日の行事に参加する者にとっては,その企画の背景となったそのグループの環境問題への取り組みまで理解することはできないのが一般的である.まして子供たち,児童や生徒にとっては,社会的側面から企画された行事の意味さえ理解できない可能性さえある.イベント参加だけでは環境問題の深い理解は生まれない.

 環境問題の解決には,対象とする環境問題の根本的原因の解析や,その問題解決についての考え方の検討こそが重要である.これらのイベントに参加する場合には,あらかじめイベント企画の背景についての議論を参加者間で充分に行なっておく必要があろうと思われる.そうしないかぎり,自然保護活動はまったく一過性の体験となり,環境に対する問題意識の高揚は望めないであろう.「自然保護活動に参加すればそれで良い」は,単なる贖罪行為であり,新たな自然破壊を引き起こす温床となる。

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4.特定生物種の保護を掲げた活動に関する問題点

 組織規模の大小を問わず自然保護活動には,しばしば特定の生物種や特定の地域を掲げた自然の保護や回復をめざしているかのような活動が見られる.これらの活動は,ときに,自然保護・環境保全について参加者に誤解を生じさせる可能性を含んでいる.

 例えば「屋久島の自然を守ろう」という地域に着眼した活動があるとしよう.この場合,屋久島の自然は種子島の自然より重要であるとか,屋久島においても種子島においても開発行為の問題性は同じであるといった,単純な比較は,当然ながらまったくなじまない.確かに屋久島の自然は他の地域では見ることができない貴重な自然ではあるが,屋久島の自然だけが重要ではない.地球規模の環境の保全を考える上で,屋久島の自然は,あくまで自然保護活動(キャンペーン)上の象徴(シンボル)として注目しようとするのであって,本来,屋久島以外でも我々の周辺全ての自然が人類にとって重要であることを考えるきっかけとして掲げているのである. このような自然保護活動を実施している団体内では,充分な議論がなされ,この点は了解されているとは思われるが,実際に「屋久島の自然を守ろう」というキャンペーンを実施した途端に,団体以外の人々(児童生徒を含む)に「屋久島の自然さえ守れば良い」といった誤解を生じさせる可能性が潜んでいるのは確かであろう.

 また特定の生物種をキャンペーン上のシンボルとして掲げた場合,また異なった問題が生じる可能性がある.当然ながら,先ほどと同様に環境問題を考える上で特定生物だけが重要なのではない.しかし,キャンペーンのためのシンボル化させた生物種は,単に自然保護・環境保護活動上で戦略的に選択された生物種であるはずなのに幾つかの誤解を生じさせる.その誤解は,そのシンボル生物種の選定理由に由来する.多くの場合,特定の生物種がシンボルとして選定されるとき,その生物種が絶滅の危機に頻していることが一つの条件になり,また同時に,その生物種の外見上の美しさや可愛らしさといった点がもう一つの重要な条件になる.これらの条件は,一般の人々(児童生徒を含む)にとっては,自然保護活動への参加のきっかけとなる単純な理由(ある生物が絶滅しそうだから)と,シンボルへの馴染みやすさの点(美しく可愛らしいから)では正の作用が期待できるが,環境問題を解決する上で保護すべき生物種の誤った価値基準を導く危険性がある.

 最悪の場合,絶滅の危機にない生物種は重要でなく,また美しくも可愛らしくもない生物には関心を持たない結果さえ招くかもしれない.複雑な生態系で維持されている地球環境の保全を考える為には,あくまで多様な生物相(生物多様性)の維持が必要であることを,またそのためにはそれら生物相の生息環境条件を維持する必要があることを,その自然保護活動参加者は理解しなければならないであろう. キャンペーンに登場する生物種や地域はあくまでシンボルであり,その活動の最終的な目的ではないことを参加者が理解しておく必要があり,企画者はその周知に充分に留意しなければならないであろう.特定地域・生物だけの保護活動は,新たな自然破壊から目をそらせる効果があることを意識する必要がある。

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5.自然環境回復における生物学的問題点

 前項でも述べたように,地域社会に見られる自然保護活動には,しばしば特定生物の保護や回復に関する活動が見られる.この活動には,キャンペーンにおけるシンボル化の問題とは別に,その自然保護活動の基本理念に関わる重大な問題を生じさせているように思う.ひとつは自然環境の人為的回復の限界に関する誤解であり,もうひとつは自然保護活動の究極的目的に関する問題である.

 まず自然環境の人為的回復の限界について考えてみよう.自然保護活動では,しばしば,ある生物種の自然界への回復作業が行なわれる.例えば,かつては身近な自然に普通に見かけることができたのに,現在では稀となってしまった動物(しばしば昆虫類や魚類)や植物(しばしば美しい花木)を,自然界に戻す(放流や植栽)活動が行なわれる場合がある.これらの活動の多くは,参加者達の脳裏に焼きついているかつての故郷(地元)の情景を取り戻そうとする素朴な気持ちから企画されている場合が多い.しかしこれらの素朴な気持ちではじめた自然保護活動は,逆に無意識のうちに地域の自然破壊を促進してしまう可能性を含んでいる.

 実際の活動では,かつての生物を回復するとは言っても,その地域で失われてしまった生物個体は,新たに他の個体で補充・代用するしかない.だから,消滅してしまった動物や植物の代用を業者から買い求めたり,他の地域に生き残っていた多数の個体の一部を採集してきて,移住・移植(導入)することが行なわれる.これは何でもない当たり前のことのようだが,実は,ここに自然を無意識にせよさらに破壊してしまう可能性が潜んでいる.

 生物学的(遺伝学的)には,生物は生息する地域地域で異なっていることが知られている.したがって,たとえ同種と考えられている生物個体でも,新たに導入した個体が,消滅してしまった個体と遺伝学的に同じである可能性はほとんどない.つまり代用として導入された個体は,その場所で新たな(未知の)自然環境を生みだすこととなる.多くの場合は目に見えるような自然環境の変化は見られないが,導入された個体が,かつての個体と著しく異なるような場合,付近の近縁種の集団の遺伝的構成を変化させたりして(例えば自然界には存在していなかった雑種の形成),既存の生態系に大幅な変化が起こる可能性がある.

 残念ながら生物学的に言えば,一度失われた自然状態を完全に元に戻すこと(回復)はできない.これは亡くなった人が2度と戻らないというのに近い意味で言うことができる.したがって無理に自然の回復を試みる活動の裏には,逆に既存の自然を破壊し,その生態系のバランスを崩す危険性があると言えるのである.このような生物学的な視点からすれば,充分な科学的検討なしに特定の生物種を自然界へ戻していく活動の実際の有効性と危険性は,自然保護・保全を模索する際に必ず検討されるべき課題であると考えられるであろう.

 特定生物種を自然界へ戻すような活動のもうひとつの問題点は,自然保護活動の基本理念に関わるより重大な問題点かも知れない.それは自然環境の「回復」に重点が置かれ活動がなされる点に関係する.前述のとおり,残念ながら一度失われた自然は完全には元に戻せない.この視点に立てば,自然環境の「回復」活動において重要な本来の目的は,自然の「回復」や自然環境の「修復」ではなく,それらの「回復・修復」をしなければならない程,無謀に自然環境を改変してきたことへの反省であり,今後2度と同じ過ちを繰り返さないように参加者同士が確認しあうことであろう.

 特に子供達が自然保護・保全活動に参加することを考えた場合,これらの自然環境「回復」活動の問題性はさらに明らかになる.なぜなら,未来ある子供達に残すべきことは回復の仕方や修復の仕方ではなく,我々が自然を破壊してきた様子を詳細に説明し,それを2度と繰り返さないようにする手法であるべきだからである.その点を充分に理解しておかないで,回復や修復活動に子供達を参加させることは,まるで我々大人達の環境破壊のツケを子供達に払わせているようなものである.この種の活動では,私達大人の自然環境に対する考えが足りなかったという反省点を,まず子供達に理解させる努力が求められるのではないだろうか.自然環境「回復」活動は,自然環境の改変に慎重に振る舞わなければならないことと同時に,一度失った自然環境は容易には元通りにならないことが理解できる機会になるべきである.重要なのは回復や修復ではなく,今後,大切な自然環境を失わないことなのだから.

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6.おわりに

 この講義で私は,自然保護・保全活動において予想される問題点を,市民レベルでの活動の現状を検討しつつ議論してきた.自然保護・保全活動を推し進めるには,地域社会のいわゆる自然保護活動自体が,なぜ生じたのか?その環境破壊の原因は何か?を,企画者自身はもとより,参加者たちに考えさせる必要があろう.当然,それらの疑問に答えることは容易ではない.しかし,環境問題の背景や原因が複雑であるからといって,将来の不安だけを増強するような環境問題の解決の困難性のみを子供達に印象づけることは避けるべきであろう.環境問題への解決にはいろいろな取り組み方があり,その実例として,地域社会の様々な団体の自然保護活動を,子供達自身が体験することには意義がある.しかし,自然保護活動の前提は,自然破壊や環境問題の背景・原因についての深い理解である。

 ところで本講義では,自然保護活動の問題点ばかり検討したので,私がそれらの活動に批判しか持っていないように感じられたかも知れない.しかし私個人としては,あらゆる自然保護活動は,常に活動上の問題点について議論を怠らず,かつ人々の価値観の多様性を認めつつ行なう限り問題はないと考えている.ただ,人がある自然保護活動に参加する場合,その活動の問題性を知りつつ参加するのと,問題性はないと全面的に信じて参加するのとでは,人類の直面する環境問題解決への道のりの長さが異なるであろうとは思っている.自然保護・保全活動自体の必要がなくなる世界。それこそが活動の目的なのだから。

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さらに興味のある方への参考文献紹介

1.学校における環境教育の課題を知るために
 文部省編 1991 「環境教育指導資料」(中学校・高等学校編)
 大蔵省印刷局  文部省編 1992 「環境教育指導資料」(小学校編)
 大蔵省印刷局  鹿児島県総合教育センター編 1993 「かごしまの環境教育,ー 学校での実践をめざしてー」

2.自然保護活動の実際を知るために
 信州大学教養部 自然保護講座編 1973 「自然保護を考える」 共立出版
 信州大学教養部 自然保護講座編 1978 「続・自然保護を考える」 共立出版
 信州大学教養部 環境科学講座編 1980 「自然との共存 ー新・環境科学論ー」 共立出版
 信州大学教養部 環境科学講座編 1982 「自然とむすぶ文化 ー新・自然保護論ー」共立出版
 宝月欣二他編 1972 「環境の科学」 日本放送出版協会

3.日本の野生植物の危機的状況を知るために
 岩槻邦男著 1990 「日本絶滅危惧植物」 海鳴社
 科学朝日 1990 / 11 「特集,里山のエレジー・絶滅に追い込まれる身近な生き物達」

4.自然回復,植え戻しの実際について
 宮脇昭著 1970 「植物と人間・生物社会のバランス」NHKブックス109 日本放送出版協会
 岩槻邦男・下園文雄著 1989 「滅びゆく植物を救う科学」 研成社
 川窪伸光(1993):学校と地域社会の連携による環境教育の問題点、地域社会の自然保護活動の問題点をめぐって. 鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要・特別号1:81-86.
 鷲谷いづみ・矢原徹一(1996):保全生態学入門・遺伝子から景観まで. 文一総合出版.

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