L...主水曲輪

 ここは主水(もんど)曲輪といわれている場所です。
 なんで主水曲輪といわれているのかよくわかりせん。主水(もんど)をCD−ROM版の広辞苑で調べてみると主水司(しゅすいし)のことさしているようです。で、主水司とは、「律令制で、宮内省に属し、供養の水・粥・氷室(ひむろ)のことをつかさどる役所」のことだそうです。ようするに主水曲輪とは兵糧曲輪のようなものなのでしょうか。(ちょっと、無理がある推測ですが。(^_^;)....)
主水曲輪


M...堀切(その4)
 ここも、堀切の跡のようです。


N...
堀切(その5)

 写真だとちいさな堀切跡のようにみえますが、実際現場に行ってみればわかると思いますが、ここの堀切はかなり大きな堀切になっていたと記憶しています。
「越後以来穴沢家先祖留書」によると
「(略)...峰の詰リハ柵を振り、柵の割堀深キ ┐(?)丈に余ル、(略)..越前様ハ新六殿(長尾房長公)ト奉申」
との記載があり、おそらく、この留書中の「峰ノ詰」とは、このNの堀切あたりを指すのでしょう。よってこの堀切は長尾房長公時代の遺構なのでしょう。

なお、「┐(?)丈に余ル、」の意味がちょっと意味が分からないのですが、現地をみると、この堀切はすこし東の側面に曲がってほられたようにみえます。まるでちょっとした横堀のような雰囲気を感じました。だから、
「┐(?)丈に余ル、」とは、「かぎ状(あて字か?)に曲がっている、」の意味かもしれません。(あまり自信がありませんが。(^_^;))

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