| A.....御館(おたて)跡 (御屋敷とも呼ばれているようです) ここは、平時に行政などを行う場所と思われます。山城の多くはこのように、平時に行政などを行う場所として平地に小城、館等を設けています。いざという時は、山頂の山城へ籠城します。(たとえば、武田信玄公が居住した有名な躑躅ケ館にも実は裏手に要害山城という詰めの山城があります。あまりこのことは一般的に知られていないみたいですが。 (^_^;) ) 殿様はいつも本丸や天守閣の最上階にいるなんていうのは、時代劇の世界だけですよ。 (笑) (時代劇と言えば、NHK大河ドラマ「毛利元就」で出てきた城の描写は天守閣が無くて、なかなか戦国時代らしき城に描かれていましたね。進歩したものです。(といっても、黒沢映画の「蜘蛛の巣城」ですでに、そのような描写は使われていたと思いましたが....)ただ、尼子氏の紋章が、隅立四つ目になっていたのにちょっと疑念を抱くのですが、私としては今までの資料から平四つ目だったと思うのですが....地元(出雲地方)の人は何にも言わないみたいだし...地元の人が作ったホームページでもわざと尼子氏の紋章は載せないようにして、論争をさけているようだし...あっ、ここでは関係ありませんか (^_^;)) |
この城に平地に館を構えたことは、「越後以来穴沢家先祖書留」に「山ノ腰ニ御館構フ....(略).....越前様ハ新六殿(長尾房長 公)ト奉申」と書いてあったように長尾房長公の頃には作られたようですが、今の遺構は最後の城主の堀氏のものと思われます。 遺構は、石垣が少し現存し、なんとなく、桝形虎口があったような、入り口がありますが、はっきりと確認できるほどは残っていません。 私個人としては、テカテカに復元された石垣や櫓より、このようにすこし、崩れ、朽ち果てたような、コケの生えた石垣の方が、非常に好きです。なぜなら、時の流れとか、人の世のはかなさとか、無情感というかなんというかそういうものが、ズシ〜ンと味わえるもので......(⌒ー⌒) 坂戸城のうち、地表面で確認できる石垣が一番多い箇所は、この御館だと思います。山城部にも、数カ所ありますが、確認できる部分は非常に狭いようです。でも、発掘すれば、かなり石垣が発見できると思います。問題はだれが発掘費用を出すかですが....(^_^;) |
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