よこすかウインドアンサンブルの始まり
よこすかウインドアンサンブルは、1979年ごろから活動を始めた「小金高校吹奏楽部OBバンド」の流れを上手く利用して始まった楽団です。
小金高校OBバンドが活動を始める際に、集まる場所の確保が必要でした。
当時は、松戸市が、市民活動のために学校開放という手段をしていたため、このルールに則り、学校に相談したところ、「教育委員会で認定されること」が必要条件でした。
そのための規約作りをしたのが、私と10期~12期のOBです。規約作りのために、顧問を交えて会議を重ね、教育委員会へ市民活動団体の申請を行いました。
その際にも「松戸市民の団体」である必要が有った為、「市内にある県立高校のOB活動」であることを訴えて、特例として認めてもらうまで苦労がありました。
学校使用許可の事務手続きが済み、OBバンド活動への理解をお願いするために、OBを代表して小金高校の学校長に面会を求め、直接OB活動の理解と支援をお願いすることが出来ました。
こうした準備期間を終え、晴れて小金高校OBバンドは、小金高校を練習場所として活動を始めることができたのです。
※上の写真は、よこすか結成より5年ほど前の写真
よこすか誕生を語るときにいつも書いてるように「よこすかウインドアンサンブル」としての第一歩は1986年4月、いつもの遊び仲間でドライブに行った帰りに、我孫子のファミレス(我孫子高校の隣にある)に休憩で立ち寄ったときに遡ります。
雑談のなかで18期のOGが「新松戸にある中学校のOBバンドにエキストラで参加した」という話がきっかけになり「うちのOBも出ましょうよ。」という話を受け、思い出作りにやってみようか、と私がGOサインを出すという毎度の展開で実現への話が始まりました。
その場にいた社会人は私と10期生のI田だけで、19期が高校を卒業したばかりの時です。
一気に人集めの話や吹奏楽連盟登録の手筈などをまとめ、行動が開始されました。
このように何かある時に直ぐに動き出せる背景には、小金高校吹奏楽部のOBが広い世代で仲が良く、直ぐに集まれるという独特の環境を作っていた強みがありました。
いつもの様に私が発起人となり、小金高校OB吹奏楽団が誕生し(実際は3度目の結成ですが)、発足時の事務的な作業は当時の大学生たちに動いてもらい、対外的な諸事項は社会人が行うという分担で事が動き出しました。
具体的に言うと、よこすかウインドアンサンブルの創設と命名をしたのが私で、結成後に事務分野を任命されたのが団長(17期のS君)です。
楽団の位置付けとしては、小金高校吹奏楽部OB活動の中のひとつとし、何かの時の責任はOBが負うという事でした。
諸々の手続きの関係で楽団の正式名称は「千葉県立小金高等学校OB吹奏楽団」。
ただし、コンクール目的の楽団のため、「コンクールで下手な演奏をしたら後輩に申し訳ない」という思いから、正式名称のほかに「通称」を付ける事にしました。
第1案は「新松戸吹奏楽団」。
ところが、当時は既に「新松戸吹奏楽団」を名乗る団体が存在することがわかり、私が命名したのは高校所在地の「松戸市横須賀」から「よこすかウインドアンサンブル」
ひらがなにしたのは、団体名をやさしい印象にしたかったからです。
この後「よこすか」が活動を続ける中で、誤解を受けていることがあります。
結成のときに、ブランクの空いたOBたちの敷居を高くしないために「3回の合奏で」というキャッチを使いましたが、これは「様々な環境に居るOBでも3回だけ高校時代に戻って熱く吹奏楽に向かい合おうよ」という思いがあっての言葉です。
コンクールの出場+同窓会を目的にした、夏季限定の活動は3年続きましたが、母校の定期演奏会10回記念に出演したらどうかという顧問の提案により、コンクール以外の場所での演奏が実現しました。
この時もまたお祭り騒ぎで、わずか20数分の演奏でしたが64名のOBが集まり、異常な盛り上がりの中、現役の前座を務めました。
またいつか、たまには集まって楽器を吹きたいね、という雰囲気が盛り上がり、更には顧問からの「高校の定期演奏会に出ればいいじゃないか」という話。
しかし、私としては複雑な思いがありました。
顧問の好意は嬉しいけれど、高校生にしてみればOBは邪魔な存在になるのが世の常。
高校生の演奏会に無理に出て邪魔をしたくない、という気持ちの方が強くありました。
事の成り行き上、次年度だけは出演させてもらい、演奏会費用をOBで半額負担したものの現役とOBの溝は深まり、それぞれの思いはすれ違いを生むことになりました。
一度不信感をもたらすと、物事は必要以上に悪く伝わります。
OBの悪口は現役の上級生から下級生に伝わり、会ったことも話したことも無い新入部員までもがOBを嫌う事態が起こりました。
彼らは、未知のOBに対して何も知らぬままに「きっと酷い人たちなんだ」と思い込んでしまうという刷り込みの連鎖です。
これを回避・修復するという大きな課題を背負うのは1期生の私の責任であり、17期で先輩たちに押付けられただけの団長には無理な話です。
この間に顧問の転勤があり、新規の音楽教諭は吹奏楽を目の敵にする人だったので顧問不在になり、学校長から直々に呼ばれた私に「来年は必ずOBの教員を呼ぶから1年間、面倒を見て欲しい」と頼まれるという事態が重なりました。
ピンチこそチャンスと思い、現役とOBの関係修復の手段のひとつとして、OBバンド(よこすか)の演奏会を開催し、現役を招待するという裏事情を含めて「よこすかウインドアンサンブルの演奏会」を開催しました。
目論見は成功し、この年以降の卒業生はよこすかにも多数在籍しています。
当時は「県立小金高校OB吹奏楽団(通称「よこすかウインドアンサンブル」)」でしたから、小金高校周辺、新松戸周辺へのチラシのポスティング。市内と近隣市の学校へポスターや入場券を配布。駅周辺にポスター掲示の依頼に回ったりしました。
集客のために名称も「クリスマス・コンサート」とし、経費が無いためポスターやチケットも赤の一色刷り。チラシは夜に団員有志で集まって広範囲にポスティングもしました。
しかし、よこすかウインドアンサンブルの最初の演奏会を最後に、事情で吹奏楽から離れた仲間もいました。
残念なことに、初回のコンサートを迎える前に、病気で命を奪われてしまった仲間達もいます。
まったく同じメンバーでステージに乗ることは二度とありません。
そんなこともあって、私は、毎回のコンサートを「ラストコンサート」のつもりで迎えることにしています。