小金高校吹奏楽部OBOG活動記録

 


創部


 1965年に千葉県立小金高等学校が創立し、その翌年(1966年)に、吹奏楽部が誕生しました。
 生徒会すら無い状態から始まった高校生活の中、同級生数人と「吹奏楽部を作ろう」という話が出たものの、音楽科教諭に相談した結果、まだ校舎も完成していないので、翌年に楽器を購入するという約束までで1年目は断念し、校舎完成間際になってから部活発足に向けての準備を始めました。
 念願が叶い、1966年5月、17名の編成で吹奏楽部が発足しました。当時は、生徒数・教員数共に少なかったため、「コーラス部」と「吹奏楽部」をまとめて「音楽部」としていました。
 1年のときに「来年は一緒に吹奏楽部を創ろう」と約束していた同級生は、なぜか皆揃って運動系の部活を続け、結局残った人数は女子4人と男子3人になってしまいました。更に残念なことに、私以外の男子はフェードアウトし、選択の余地は無い雰囲気に陥り、部長兼指揮者は私が引き受けることになったのです。
 私が部長となって活動を開始した吹奏楽部は、上級生と下級生が非常に仲が良いことで、職員の間でも評判の部活でした。
 朝、登校すると、ほとんどの部員は先ず音楽室に集まる。練習の無い日でも、習慣のように集まる。
昼休みも当然のように集まるくらいだから、放課後の部活動も出席率は非常に良かった。
 そして下校時も、校門で全員が揃うのを待ってから、大挙して駅まで歩いた。誰が言い出した訳でもなく、自然にそういった習慣になった。たぶんそれは、周囲から見たら異様な姿だったのかも知れません。

 当時、部活と言えば上下関係の厳しい世界が当たり前の時代でした。私は、そういった形式的な厳しい上下関係でなく、お互いを尊重しながら、心が通い合うような部にしたいと考えていました。私が部長として後輩たちに伝えた「ミーティングでは、物事の一部しか見えてこない。それより、先輩が後輩の中に入っていって物事を伝えたり意見を聞いたりしたい。先輩の方から階段を下りていって、後輩たちの生の声を聞くように接してみよう」という呼びかけが実践された結果なのかも知れません。
 私が引退し、OBとして後輩たちと関わり続けたのは、自然の流れで、在学時代と似たような関係が続きました。そして、私に続いて卒業したOBの多くも、現役との関わりを持ち続けてくれました。
これが、今でも小金高校吹奏楽部が、先輩後輩に係わらずお互いに意見を言い合える良い関係を保ち続けている起源であり、後に幅広い世代が集まってOBバンドを結成できた大きな土台であると思います。

写真:1期~3期生の合奏練習(1967年)


歴代顧問と部活の変革


創部当初は、前記のとおり「音楽部」の中に位置する「吹奏楽部」という位置付けであったため、音楽科教諭であった野尻俊康先生が初代顧問となりました。 これまでの小金高校吹奏楽部顧問は声楽専攻の音楽科教諭が多く、歴代顧問それぞれの考え方により、吹奏楽部との関わり方が大きく異なっていました。 初代顧問の時代は、顧問は主にコーラス部の指導を行い、初代部長であった私が吹奏楽部の合奏指揮(今で言う「学指揮」)を行っていました。顧問が吹奏楽の指揮をするのは、大きな行事での本番ぐらいで、日常の部活動は生徒が自主的に行っていました。写真(下)創部3年目にコンクール初出場コンクール 5期生の時代に2代目顧問、(故)飯島英男先生を迎えます。一家揃って芸大出身という音楽家系の先生で、やはり専門は声楽。ご高齢になられての転任でしたので、外部から吹奏楽の講師(金崎享氏)を招聘してくれました。飯島先生は、卒業生にも大変気さくに接してくださり、卒業生と一緒にお酒を呑みながら音楽の話をするのが楽しそうで、何度もお誘いを頂き、良い思いでになっています。 10期生の時代に3代目顧問として福井博之先生が松戸高校から転任され、部活動の内容が大きく変わります。これまでは、ほぼ生徒だけで運営してきたため、音楽面での知識が乏しく、練習面でもその影響が出ていました。福井先生の着任により、コンクールの出場部門がランクアップされ、これまで「課題曲の無い部門」への出場が多かったのですが、県大会以上への道がある部門(今で言うA部門)に進出し、多数の楽器を購入して編成を大きくしました。練習内容もチューニングや基礎合奏の時間を増やし、演奏の精度が上がりました。 これまで定期演奏会を開いていなかった小金高校が第1回定期演奏会を開いたのも、福井先生着任後4年目(13期生の時代)になります。14期生の時代にはコンクールA部門で初めて金賞を受賞しました。★写真(下)第2回定期演奏会(14,15期生)松戸市民会館は立ち見が出るほどの満員第2回定期演奏会第2回定期演奏会 福井先生は15年に渡って顧問をされた後、東葛飾高校に転任され、退職後はいくつもの合唱団の指導をされ、松戸市音楽協会の代表をされています。 福井先生転出後に移動してきた音楽科教諭は吹奏楽部の顧問を拒否されたため、1年間の正規顧問不在(副顧問をされていた家庭科の先生に合宿等に引率して頂きながら)となりました。25期の時代です。 当時の学校長からお呼びが掛かり、翌年度に必ず同部の卒業生教諭を本校に移動できるように尽くすので、1年間だけOBの皆さんで吹奏楽部を支えて欲しいと協力の依頼を頂きました。 翌年(26期の時代)、校長のご尽力のおかげで、本校13期生(トランペット)の島上直人先生が数学科教諭として本校に転任し、吹奏楽部の4代目顧問になりました。OBが顧問になったということもあり、卒業生との距離も近まり、この頃から定期演奏会の演出が凝ったものになり始めます。第2部でミュージカルを初めてやったのがこの年です。

下の写真、1枚目は2、3期生による吹奏楽コンクール初出場のものです。まだ千葉県文化会館が出来てない時代です。
2、3枚目は小金高校吹奏楽部第2回定期演奏会、松戸市民会館で14、15期部員です。12月の演奏会は当時珍しかったので1200人のホールは満席で、立ち見も出るほどでした。


 島上顧問の後に5代目顧問として着任されたのが音楽科教諭の日暮桂子先生。日暮先生も専門は声楽ですが、吹奏楽部の顧問経験があるとの事で、また違ったスタイルの部活になります。
 日暮先生も厳しく指導するというよりは、生徒をのびのびと自由にさせながら、良い所を見つけて誉めるタイプの様で、これまでの顧問とは違った形で部活動と関わっていました。

 

 そして2015年、高校が創立50周年を迎えた年に、6代目顧問として幕張総合高校オーケストラ部より中島正考先生が着任されました。本校吹奏楽部としては始めての管楽器専攻の音楽科教諭を迎えた訳で、吹奏楽経験を踏まえた厳しい音楽指導と、音楽に向き合う「人としてのあり方」を伝える指導に力を注がれています。
加えて2016年に、野田中央高校吹奏楽部顧問であった本校14期生の山田先生が本校に転任され、弦楽部顧問と吹奏楽部副顧問に就任されました。山田先生は東葛飾地区吹奏楽連盟の事務局長をされており、以前は市立柏高校の吹奏楽部顧問もされていたパーカッション奏者です。中学も大学も吹奏楽部に所属していたそうですが、残念ながら本校にいた高校生時代だけは柔道部に所属していたそうです。
 他にも歴代の副顧問には家庭科の先生や養護教諭の先生方が多数関わってくださいました。現在も、中島先生、山田先生の他に2名の先生が副顧問として活動を共にしております。


 


OBの活動



 初期の頃から、OBたちは時間のあるときに高校を訪れて、現役の片隅で楽器を吹く程度で、OB揃って楽器を吹く機会は、ほとんどありませんでした。
唯一の演奏発表は、部活のアンサンブル発表会を共同で開催し、OBと現役が一緒にアンサンブルをしたことぐらいです。
15,16期ぐらいの時期は、OBの伝で佼成ウインドのメンバーなど数人のプロを講師として招いたり、アンサンブル発表会にも参加してもらう機会もありました。
 楽器を離れての交流は頻繁にあり、週末に集まって現役と遊んだり、OBだけで旅行に行ったり、日帰りドライブなども盛んに行われました。
そんな中で、楽器を吹こうという気運が高まったことが何度かあります。
最初は、1975年ごろ(11期生が現役のころ)に小さなコンボ・バンドが組まれ、ライブ・ホールを借りて演奏を披露したり、市民会館を借りて録音までやったことがあります。編成は、ドラム、ベース、ピアノ、ギター、フルート、アルトサックス、トランペット、トロンボーン。 私も、トランペットやドラム、アレンジで参加していました。

 


 上の写真は吹奏楽編成で集まった1期~15期の卒業生です。
 OBバンドとして、部活のない日曜などに高校の音楽室を借りて、OBで楽器を吹くメンバーを募って正式に活動を始めたことです。当事の集合写真を見ると、15期生以上のOBが多数参加しています。1980年頃と思われます。編成は50名近い編成でバランスも比較的よく、うまく集まったものだと、今更ながらに感心します。
1981年に校内格技場で開催した創部15周年祝賀会での演奏をした後、この活動は通年活動ではなく、不定期のバンドとして断続的に続きましたが、具体的な目標が無かったため、「久しぶりに合奏をする」という新鮮味も徐々に薄れ、一旦中断しました。
今思えば、分奏などもきちんとやって、目標が無い割には真面目に取り組んでいたと感心します。

 1986年春。中断、再開を繰り返していたOBバンドは、コンクール出場という単発的な目的のために「よこすかウインドアンサンブル」という愛称を付けた覆面バンドとして行動を再開しました。
 春先のドライブに、いつもの仲良しグループ数名で出かけた帰り道、我孫子にある、とあるファミリーレストランで話はスタートしました。
 とある18期OGの「新松戸にある、どこかの中学のOBが集まってコンクールに出るらしい」という発言に端を発し、「みんなが出たいなら全OB・OGに人声を掛けてみようか」と言ってしまった私の発言により、勧誘の言葉が各世代の卒業生に広がり、既に築かれていた小金高校吹奏楽部の世代間交流も手伝って、瞬時に60名ほどの卒業生が集まりました。
 当時集まったメンバーは、社会人よりも大学生が圧倒的に多く、「社会人はなかなか自由に動けないので、事務仕事は時間の融通の利く大学生にやってもらおう」という理由で、部長経験も無く人前に立つことも初めてだったであろう後輩に、「事務局兼団長」という書類上の肩書きを押し付け、経験豊富なOBは「幹事」というサポート役に回る形で「OBバンド」は動き始めました。
 その際に、「コンクールで悪い成績を残した場合、後輩たちに申し訳ないから」という理由で、母校の所在地であった「松戸市横須賀」から、親しみやすく優しいイメージの平仮名で「よこすか」の愛称を付けることにしました。命名者は、1期生OBである私です。


 3回の練習でコンクールに出場し「銀賞」になった事に盛り上がったOB・OGたちは、翌年も集まることを約束して分かれました。これが1986年の出来事です。
 コンクール活動が3年目になると、コンクール以外でも演奏したいという欲が出てきました。
 コンクールの打ち上げの席で、年長組のOBが話し合って出した結論は、「残るはコンサートしかないでしょ。やってみましょうよ。」ということでした。
 せっかくコンサートをやるのなら、当時は演奏機会が少なかった現役生にも演奏の機会を増やしてあげよう、ということで、第2部に現役生を招待しました。無名の「よこすかウインドアンサンブル」が小金高校のOBバンドである事をアピールして集客を伸ばすことは、部活にもOBにメリットがあったからです。その後も、冬のコンサートには現役を招待するという形で活動を行い、打楽器や練習場所に小金高校に借りる事が出来たのも、この時代だから可能だった事です。  初めてのコンサートは、時期を年末にして「クリスマスコンサート」とし、無名な楽団の知恵として集客を目論んだのです。
 結果は大成功。初めてにしては、かなりのお客さんが足を運んでくれて、松戸市民会館が拍手で溢れました。
 これを切っ掛けに、年に2回のコンサートをコンスタントに開催し、冬のコンサートでは、現役生の部が設けられるというスタイルが、よこすかWEの特徴として定着ました。


吹奏楽部同窓会の事務局的な役割を担っていたOB.OG吹奏楽団



 小金高校の第4期生が卒業した頃に、吹奏楽部OB会正式結成が行われました。当初は総会も開催し、会長、副会長、会計などの役員も選出されましたが、その後、いつのまにか存在が薄れ、事実上組織的な活動は、消滅しました。
 その後、何度となくOBバンド結成の動きがあったときも、OB会結成の話がもちあがりましたし、教育委員会に書類を提出するために規約も作りました。
 そうした経緯から、よこすか結成時に「OBを統括する事務局的な役割を持たせる」ということで、その位置づけが規約に盛り込まれました。
 しかし、よこすかの活動を続けるうちに、OB以外の参加者の割合も増え、なかなかOBバンド位置付けでは実状に合わないという見方も出てきました。
 もちろん、OBバンドと承知の上で仲間に入ってくれた人がほとんどであり、排他的な雰囲気は全く無いのですが、組織として動くときに、逆にOBの括りが無い方がスムーズな場合が出てくるようになりました。
 そういったことを解決すべく、規約を作り直し、組織を明確化して、「目に見えるもの」を整える事に目を向けました。しかし、万事が満足する方法は無く、うやむやに葬り去られたしまった部分があったのも現実です。
 表面の形式だけを体裁を繕っても魂がなければ意味がありません。せっかく作り変えた組織を効果的に運用するためには、むしろ今まで以上に人のつながりを大切にしていかないと、OBバンドだから対応できた事が、逆に摩擦や弊害を引き起こす事態になることもあります。
OBバンド時代にも何度も問題が起きましたが、それを裏で解決するのが1期生であるが故に荷を背負う役目だと覚悟していました。これは本人の意思ではなく運命のようなものでした。
 今は、OBを代表する組織としての位置づけは無くなり、普通の市民バンドの道を歩んでいますが、決して今までの方向が間違っていた訳けでは無く、むしろ非常に希で素晴らしい特性を持った団体として、多くの吹奏楽関係者に賞賛されていたのは誇りに思います。


小金高校吹奏楽部の記念行事


1.創部5周年記念

 ・レコード製作
  創部5周年を記念して、過去5年間の演奏をレコードにしました。
 ・記念誌発行
  まだOBの数も少なかったので、全員に声をかけ、自由に文章を募集したところ、旅行記や、OBに対する現役の思い、趣味の話など、多数集まって賑やかな内容の物が出来ました。
  同世代に留まらない年代間の交流や、自由な小金の気風はこの頃から根付いています。


2.創部15周年記念

 ・レコード製作
  創部15周年を記念して第4回定期演奏会のライブレコードを作りました。
 ・記念会発行
 ・記念祝賀会
  15期生の送別会と、当時盛んだったアンサンブル発表会、15周年記念祝賀会を合体させた会を小金高校挌技場で開催しました。


3.結成20周年

 ・レコード製作
 過去の定期演奏会の演奏を集めたレコードを作りました。
 ・記念誌発行
  OBの住所録を巻末に付けた記念誌を発行しました。
※個人情報に過敏にならざるを得ない今日では、住所録の作成は不可能になってしまいました。
   OB行事の連絡用メールアドレスさえ提出を躊躇う状況は、今後のOBOG活動に影響しそうです。
 ・大同窓会
  新松戸市民センターのホールを借りて、卒業生による大同窓会を開催しました。
  内容は、過去の演奏を見たり聴いたり、余興ありの、3時間ほどの行事を終え、二次会は各世代ごとに楽しんだようです。
 ・小金高校のシンボルマーク制定
  16期:松本 航(ひーるす)デザインによる、五線をモチーフにした小金高校吹奏楽部のシンボルマークが制定されました。


4.千葉県立小金高等学校創立30周年記念式典

 小金高等学校の公式行事として、森のホール21で記念式典が行われ、当時はOB活動の位置付けであった「よこすかウインドアンサンブル」もOBを代表する活動団体として招待、現役部員(30,31期)と合同演奏しました。


5.定期演奏会開催20回記念

  1998年2月21日(土) 13:30開場 14:00開演
  森のホール21大ホール(コンサート)
  大会議室(レセプション)
  小金高校吹奏楽部の定期演奏会の開催20周年を迎えるにあたって、OBでコンサート(よこすかとは切り離して)を開くことになりました。(創部30周年のタイミングとずれてしまったため、「定期演奏会20回記念OBコンサート」となった)
  連絡可能な全卒業生に声をかけて、文字通りのOBバンドにより演奏会を開催し、現役生も交えての一大イベントになりました。
  実行委員会を組織し、約1年かけての大事業は、参加者の思い出に残る素晴らしい出来事になり、レセプションには、演奏に参加しなかったOBも訪れ、久々の再開の花が咲いていました。
 演奏会当日にはコアラテレビのカメラ取材も入り、後日放映されました。
この演奏会は、波多野実行委員長(1期生)を中心に14名の実行委員が約1年前から企画してきました。構成や選曲、人集めの問題や、また社会人と学生の生活時間の違いによる問題など様々な困難 がありましたが、当日は元顧問の福井先生をお迎えして、OB約50名、現役部員約40名の総勢90名が演奏に参加しました。また普段会うことのない多くのOBも聴きに来てくれました。
演奏会終了後には、森のホール内の大会議室にてレセプションも行われ、初めて会う人や、久しぶり に会う仲間達と楽しいひとときを過ごすことができました。


=プログラム=

<第1部>
~OBと現役生によるクラシックステージ~
狂詩曲「スペイン」
カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲
カルメン組曲より「闘牛士の歌」「ハバネラ」「アルカラの竜騎兵」「闘牛士」

<第2部>
~歴史を振り返るステージ~
ブロックM
宝島
ディスコ・キッド
オーメンズ・オブ・ラブ

<第3部>
~元顧問福井博之先生をお迎えしてのステージ~
ロザムンデ序曲
弦楽セレナーデより第2楽章ワルツ
スラブ舞曲第8番
星条旗よ永遠なれ

<第4部>
~グランド・フィナーレ~
フラッシング・ウインズ
アルメニアン・ダンスⅠ

<アンコール>
マンボNo5
蛍の光行進曲


6.創部40周年記念行事

・記念演奏会&大同窓会

  2007年10月7日、森のホール21大ホールにおいて、約70名のOB吹奏楽団と、この年の現役部員、総勢100名を超えるメンバーによる記念演奏会を開催しました。
 この模様は、コアラテレビで放映されました。
 記念演奏会の終了後、森のホール内のレセプションホールにおいて大同窓会が開催され、約230名の卒業生が一堂に会し、懐かしい話や映像を見ながらのひと時を過ごしました。
 記念に「DVD版小金高校吹奏楽部40年の記録(120分)」、記念誌、記念ティッシュ、記念ペーパーホルダー、が作成され、当日配布されました。
 また、この日の模様を記録したDVD(2枚組)も作成され、参加者に配布されました。


★写真(上)小金高校吹奏楽部創部40周年記念演奏会
★写真(下)小金高校創部40周年記念レセプション

1.現役部員(高校生)とOBによる記念コンサートの開催
  OBによる吹奏楽団を編成し、懐かしい曲を演奏しました。プログラムは次の項に掲載しています。
  記念コンサートは一般公開で、700名を超えるお客様に御来場いただきました。

2.大同窓会
  上記コンサートの終了後、森のホール21レセプションホールで「大同窓会」が開催され、約220名の吹奏楽部OBが集まりました。

3.記念誌、40周年記念DVDの作成
  演奏会出演者および同窓会参加者配布用の記念誌と記念DVDを作成し、配布しました。

・開催日時 2007年10月7日(日)、記念コンサート(一般公開)は、13時開場 14時開演、16時終演
 大同窓会は演奏会終了後 16時30分受付開始、17時30分開宴、20時30分お開き
・開催場所 記念コンサートは「松戸市森のホール21 大ホール」、大同窓会は同ホール4階のレセプションホール

・当日の演奏曲目

第1部
 小金高校現役部員の演奏

第2部(OBバンドによる演奏)・・・指揮:黒田尚宏(27期)(1~3曲目)、波多野好美(1期)(4,5曲目)
 音楽祭のプレリュード
 バラの謝肉祭
 ハーリヤーノシュより終楽章
 サウス・ランパート・ストリート・パレード・・・ソリスト:PICC=永田まどか(21期)、CLA=川井夏香(31期)、TRP=吉永勇和(29期)、畑利男(25期)、柏本耕司(26期)、吉沢裕之(20期)
 オーメンズ・オブ・ラブ

第3部(OBバンド+現役吹奏楽部員の合同演奏)
    指揮:日暮桂子(吹奏楽部現顧問)(1曲目)、波多野好美(2曲目以降)
 シンンフォニア・ノビリッシマ
 パヴァーヌ(トロンボーンとバンドのための)・・・ソリスト:斉藤稔(17期)
 コパカバーナ・・・ソリスト:TBN=前田奈央子(31期)、EB=小野誠一郎、DRMS=富谷学、PERC=吉永百合子、小林久美子、大塚香、
アンコール----------------------
 木陰の散歩道
 オーメンズ・オブ・ラブ


7.小金高校創立50周年記念式典

・式典にて現役吹奏楽部員と卒業生有志で合同演奏(約90名)を行う
・第2部の「映像と音楽で綴る小金50年」では全編の音楽を生演奏で担当

 


8.創部50周年記念演奏会

・現役+卒業生有志総勢150人による記念演奏会を開催
・卒業生によるレセプション開催(演奏会終演後)

2017年1月14日(土) 森のホール21(松戸市)大ホール13:00開演

 第1部:OB・OG有志による吹奏楽団の演奏 指揮:波多野好美(OB会長)、黒田尚宏(27期)
   1.チェリオ・マーチ=オープニング演出曲
   2.アルヴァマー序曲
   3.スラブ舞曲第8番
   4.アフリカン・シンフォニー

 第2部:小金高等学校吹奏楽部の演奏
   1.交響曲第1番「グラール」~第4楽章 ロンド-コーダ(天野正道)
   2.第九Brass Rock
   3.君の瞳に恋してる(フルートとバンドのための)
   4.マイケルジャクソン・メドレー
   5.バンドとコーラスのためのソーランファンク

 第3部:卒業生と現役吹奏楽部員の合同演奏 指揮:中島正考(顧問)、波多野好美(OB会長)
   1.春の猟犬
   2.ディスコ・キッド
   3.エル・クンバンチェロ
   4.エルザの大聖堂への行列
 アンコール曲
   5.オーメンズ・オブ・ラブ